しゃらり、と小さな音をたてて、手のひらに鎮座する。
信じられないものを見るように・・・首飾りと尚香さまへと、視線を何度も往復させた。


「 これは・・・? 」


琥珀だろう。手のひらの真ん中には、金色の小粒が光っていた。 彼女が身に着けているような、または城の宴で見るような高価なものではないことくらい見抜けるが、 問題はどうして自分に渡したか、だ。
だが・・・その煌きを見た時、不思議と私の中で『 思い出して欲しい 』と訴える輝きがあった。


「 からよ 」


その言葉に、あ、と大きく開いた口を手で塞ぐことで、叫び出してしまいそうな声を必死に押さえる。






「 ( ・・・そうだ、これはの母上、の ) 」






形見なの。ずっと・・・これを、取りに来たかった・・・。






震える指先で石を撫でて、愛しそうに手のひらで包む。そんな彼女を抱き締めたくて、胸が騒いだ。


あの朝の『  』が見事なほど自分の中で再現され、同時に蓋を開けたように過去の記憶が蘇る。 泣いてばかりだ、貴方にはみっともないところばかり見られて嫌だ、と喚いて喚いて・・・ やっぱり泣いてばかりだった彼女。でもその心許ない芯は、絶対に折れなかった。


「 陸遜へ、戦のお守りにしてくださいって預かったの 」
「 彼女に・・・にお逢いになられたのですか 」
「 ええ、今日の午後逢って来たのよ。貴方に逢ったら、がどうしてるか急に気になってね。
  陸遜に逢うかって聞かれて、今夜逢うって伝えたら、渡して欲しいって頼まれたの 」


尚香さまは微笑むが、いつものような陽気な感じはなく、そっと憐憫を含んだような笑い方だった。
彼女は先日のお茶会の時に、従妹であるの様子をもっと気にかけるべきだと散々説いた。
それは、恐らく尚香さま自身が経験した『 寂しさ 』故。似たような立場であるも、自分と同じ 望郷の念に駆られているはずだ、と言った。
確かに・・・望郷の念に駆られ、呉に帰りたいと思うかもしれない。でも、


「 それぐらいで帰ってきてくれるなら、私も苦労はしないんです 」


絶対に折れない心の軸、というものを持つ彼女だからこそ・・・。
という人間はどんな運命を受け入れ、納得し、自分のものにして頑なに遂行するのだ。
流されているように見えて、翻弄されているのは私たちの方だ、と改めて思う。
の信念には、自分など到底敵わない。






有無を言わさず攫いたいほど愛してる。けれど、誰にも翻弄されないその気高い魂までをも、愛してる。






「 にね、同じことを聞いてみたの。戦の先の未来でも陸遜に逢えるかわからないのよって。
  けれど、それでも陸遜に逢えない理由があるから、って断れちゃったわ 」
「 彼女らしい回答です 」
「 ふうん・・・逢えない理由があるの?貴方たちの間には 」
「 ・・・ええ。彼女と逢う時は、いつこれが最後になってもおかしくないと思ってました 」


その『 機会 』が訪れるには、たくさんの分岐点があったはずだ。
出逢ったあの日、間者と共に斬り伏せていたかもしれない。死んでもらいます、と告げた時、 舌を噛み切られていたかもしれない。首も絞めたことがあった。陸家から逃げようとして誰かに狙われた時もあった。 練師さまが彼女をあそこまで育てなければ、孫権さまの不興を買っていただろう。
・・・この琥珀の首飾りを取りに、城を抜け出したこともそのひとつ。
夫婦として過ごしてみて、2人で過ごす時間が増えて、愛を育んだ彼女を本当に抱いていたならば・・・ いつもの運命の分岐があったのに、も私も『 別れ 』を選んだ。


自分に与えられた使命を、忠実に執行する為に。幾度かの逢瀬の度に傷つき、苦しんだとしても。


琥珀の首飾りを握ると、しゃり、と再び小さな音を立てた。
尚香さまは溜め息を吐くと、苦笑交じりに私へと向き直る。


「 ・・・頑固者ねえ、2人とも 」
「 おや、今頃気づかれましたか。私とは似た者同志、同族嫌悪というやつです 」
「 そうやって、嘘つきなところもそっくり。お互い求めて止まないくせに 」


虚勢を張るのは陸遜の悪い癖ね、と笑った。が、私は逆に泣きそうな顔になった、と思う。
そうでなければ・・・彼女はこうも慈愛に向けた眼差しをしないだろう。
首飾りを抱き込んだ手のひらに、尚香さまの白い両手が重なった。


「 理由は聞かないわ、私は蜀に嫁いだのだから。呉の政治には関与しない 」
「 ・・・尚香さま・・・ 」
「 だけどね、陸遜。友人の一人として、貴方の未来を心配しているわ。のこともね。
  一生後悔する未来を選んでは駄目よ。時間がかかってもいい、納得できる未来を選んで頂戴 」


ぎゅっとその手に力が篭めて、すぐに宙に漂う袖の奥へと引っ込める。
彼女は、太陽のような笑顔に戻って裾を翻す。距離を充分にとってところで立ち止まると、私にそっと手を振った。 そして・・・宴の会場に向かう劉備殿の姿を見つけたのか、靴音を鳴らして走り去る。 彼の驚いたような悲鳴が廊下の空気を震わせた。しょ、尚香殿!驚いたぞ、急に飛びついてくるとは・・・!!という 声に、彼女の陽気な笑い声が重なる。


柱の影に居た私の姿は、誰にも気づかれていない。
宴の開始には余裕を持って室を出たから、まだ時間はあるはず・・・と足早にその場を後にした。


建物と建物を結ぶ廊下から外れ、庭に出る。人気のないことを確認すると、一際濃い岩影に寄り添うと ずるずるとその場に座り込んだ。 はあ・・・と思ったより大きな溜め息が零れる。ふと見上げた夜空には、呉と変わらぬ美しい星が輝いている。 彼女も見上げているのでしょうか・・・この空を。


「 ( あの頃の純粋な『 想い 』を、私は忘れていたかもしれません・・・ ) 」




を自分のものにしたい、この手で幸せにしたい。永遠に自分の傍で笑っていて欲しい。


だけどそれは・・・愛故に、と掲げた黒い欲求は、我侭以外の何もでもなかったのではないでしょうか。




彼女は自らの意思で嫁いだ、という事実を忘れてはいけない。そしてそれを促したのは使命に燃えていた 当時の自分だ。 が二度も私を拒んだのは、自分の意思とは裏腹に強い理性で、自らを制御できた結果なのだ。 理性を見失っていたのは、私の方。想えば想うほど、強い『 思い込み 』に捕らわれ、あわよくば趙雲殿から 奪おうと・・・そんな風に彼女を無理矢理手に入れたとして、待ち受ける幸せは『 本物 』なのでしょうか。


「 ( ・・・すみません、・・・ ) 」


すみません、すみません、。どうかこんな私を赦して下さい。
私だって貴女の幸せを望んでいるのに、こんなにも自分を見失って・・・貴女も趙雲殿も傷つけた。


震える手のひらを広げて、琥珀の首飾りを空に掲げる。淡い光は星にも似ていた。
だけどそれは『 特別 』なもの。これだけ幾億もの光の中で、一際、自分には特別な『 星 』。
さながら人と人と繋ぐ縁のようだ。 涙の海に溶けそうになった時も、積み重ねてきた想いを引き裂かれた時も・・・と出逢ったことを、 愛し合ったことを後悔したことなど一度も無い。
たくさんの男女が居るのに、彼女の存在は私の唯一の『 星 』であり、未来を照らす光なのだ。
何時の時も・・・そして、きっとこれからも。


「 ・・・・・・ 」


呉にいた頃の、満面の笑顔の彼女を思い浮かべて、私はその首飾りを抱き締める。
・・・これが、いかに彼女にとって大切な品であるかはわかっている。それを譲ってくれたのは・・・。






「 ・・・必ず・・・必ず還って来ます。貴女が、願ってくれる限り 」






私は、こんな人生半ばでは死にません。後悔のない未来を掴み取るために。


小さく、だけど強い想いを秘めた呟きは、濃紺の星空に溶けた。






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