庭先の花が、一斉に咲き乱れている。
格子を上げて、部屋の空気を入れ替えてくれた玉葉がそう教えてくれた。
牀榻から身体を起こし、庭を覗く・・・ああ、確かに。2日前に降った雨が一気に芽吹かせたのだろう。


・・・頃合だ、と思った。


この時を待っていたというように。まるで、どこかにおわす目に見えない神とやらに導かれるように。
私は私の『 成すべき 』ことをする好機。その時が近づいてくるのを静かに感じ取った。
皆の朝食の支度をしているに代わって、着替えを手伝ってくれる玉葉に、私は静かに告げた。
















「 子龍さま、今朝は朝食を一緒に取れなくてすみません。お呼びと伺いましたので参りました 」
「 ああ、ようこそ。こちらこそ、屋敷の皆のために礼を言わねばならない。ありがとう 」
「 い、いえ、私が好きでやっていることですし・・・お邪魔します 」


は、入っていいものかどうか迷っているようだ。入り口でそわそわと足踏みしている。
私が立ち上がると何を驚いたのか、の背筋がぴんと伸びる。 朝食に同席しなかったので怒られる、とでも思ったのか、それとも・・・抱かれる、とでも思ったか。 さぞ緊張しているみたいだが、残念ながら大きな勘違いだ。呼び立てた、といっても私は貴女の為にならないことはしない。
立ち尽くした彼女の手をとって奥へ進んでいくと、玉葉と侍女たちが下がっていくのがわかった。
二人きりになり、部屋には静寂が満ちる。


「 あ・・・あの、子龍さま?一体・・・ 」


手は繋いだまま、無言で庭への扉を開く。ぎ、と小さく音がした。
部屋に吹き込んてきた風が髪を煽り、差し込んだ強い光にが顔を顰める。


「 ・・・・・・わ、 」


目の前に広がった景色に、の顔が興奮に染まる。
頬を桃色に染めて、今にも飛び出していきそうな雰囲気だ。 私が手を繋いでいるせいか、逸る心を抑えようとしている姿が必死で・・・堪らず笑いが零れた。
いいよ、行っておいで、と手を離す。 は一度だけ気遣うように私を見るが、お言葉に甘えて、とばかりに庭へと飛び出していった。 きゃあきゃあと歓声を上げながら、庭先を駆け回る。


「 子龍さまっ、すごい!すごいですね!こんなに一気に花開くなんて・・・!! 」


さながら子犬のように、は着物の裾を宙に泳がせて転げている。 年齢の割に大人びているところもあれば、こうして無邪気な彼女の姿を見ると、自分の顔も綻んでしまう。


「 、こちらへ。お茶を用意してもらったから 」
「 ・・・・・・っ!! 」


ぱっと顔を上げた彼女の周囲に、花びらが舞った。
私は庭の奥にある東屋へと入る。天気も良いので、玉葉にお茶は外へと用意してもらった。
きっとこんな美しい風景に、さまは感動して興奮するでしょうから・・・と彼女の薦めで 冷茶にした。成程、玉葉の言う通りかもしれない・・・と思い、茶器を取ろうとすると、 すかさず横から手が伸びた。


「 す、すみません。あの、はしたない真似をして・・・お茶は私が淹れますから 」


髪を撫で付けながら、恥じているような真っ赤な顔でがお茶の用意を進める。


「 どうして謝るの?無邪気にはしゃぐ貴女も、とても愛らしいよ 」
「 か・・・からかわないで下さい。子供みたいで呆れました、よね・・・ 」


そんなことなのに、と言うけれど、は黙ったまま冷茶を注ぐ。
私の前に茶碗を置き、自分の分を用意すると向かいに腰掛けた。


「 ・・・今日は、こちらへ 」
「 え、っ!?・・・・・・わ、わわっ 」


彼女の手を引いて無理矢理引き寄せ、向かい側にいたを隣に座らせる。 反射的に離れようとした身体の動きを封じると、弾みで蹴ってしまったのか、茶を置いていた卓が揺れて が息を呑んだのがわかった。大丈夫、零れていないよと言うと、その身体から少し力が抜けた。


「 ずっとね、貴女にこの景色を見せたいと思っていたんだ 」
「 ・・・ずっと、ですか? 」
「 ああ。と、ちゃんと夫婦として過ごしていきたいと思ったあの日から、ずっと 」


この屋敷で、一番庭が美しいのは私の室だから。
庭が見せる風景が季節と共に移り往くように、私たち夫婦も穏やかな時間の中で生きていきたい。
そう思い誓った・・・あの日から。


彼女は私の言葉に瞳を潤ませる。静かに俯いて、私の胸の中で震えていた。
、と呼びかけて、その顎を指先で持ち上げる。つ、と片方の瞳から涙が伝った。


「 ・・・ごめん、なさい・・・ 」
「 それは・・・私と陸遜殿、どちらかを選べなくて、という意味の謝罪か? 」
「 ・・・・・・・・・ 」


肯定も否定もしなかったが、ばつが悪そうに瞬きした両目から涙が零れた。
ならば、私も同罪だ、と呟くと、が眉を顰めて顔上げる。
私たちは互いの視線を正面から受け止めて、静かに見つめあった。


「 あの日から、ずっと・・・謝りたかったんだ。私は、貴女を見初めて貰い受けた。
  だが見初めなければ、貴女は陸遜殿と幸せな未来を歩いていたかもしれない。だから、すまない 」
「 それは違います・・・違います、子龍さま。そうではないんです、全て私が悪いんです!
  あのまま呉にいても、いつかは伯言の・・・陸遜殿の元を離れなくては行けなかったんです。
  私では彼の望みを叶えられません。なのに、いつまでも引き摺ってばかりいるから・・・。
  子龍さまを、いっぱいっぱい傷つけてしまいました・・・本当に、ごめんなさい・・・! 」


拭っても拭っても、零れ落ちる涙。
終いにはその涙に唇を寄せると、びくりと彼女の身体が反応した。 涙が止まった一瞬を見計らって、そっと彼女の唇に近づける。柔らかい感触に胸が震えた。 は固まったが、拒まない。


「 ( ・・・本当は拒まれるくらい吸ってやりたい。そうすれば彼女は私だけを見てくれるだろうか ) 」


だけど・・・これから放つ『 言葉 』を思うと、少しでも優しくしてやりたかった。
欲情を封印して触れるだけの口づけから開放すると、は茹蛸のように肩で息をしている。
今にも倒れそうなその身体を、もう一度抱き締め・・・私は彼女の耳に囁いた。


「 近々、出征することが決まったよ 」


肩に頭を預けていたが、強張った身体を上げようとしたが、力で抑えそれを許さなかった。
苦しませないよう、最低限の力加減を保ちながら彼女を抱き締める・・・でないと、言えないだろうから。


「 これからは顔を合わせる時間も極端に減るだろう。だから、今のうちに言っておくことがある 」


顔を、見て欲しくない。嫉妬の火を宿す、今の自分の・・・何とも醜い顔を。


「 陸遜殿と話してみてわかった。彼は優れた武将であり、呉での未来は約束されたものだ。
  だから・・・私が戦死した時は、彼を頼るように。呉へ還るんだ 」
「 ・・・し・・・子、龍さま、何を・・・ 」
「 私との婚姻に操を立てる必要は無い。陸遜殿と幸せになるんだ・・・いいね 」


それが貴女の幸せであり、在るべき姿なのかもしれないのだから。
幸せを取り上げてしまった私に、そんなこと言える義理はないのだけど・・・でも。


「 ( を愛してしまった。共に歩んで欲しいと思ってしまった ) 」






一緒に過ごした期間が一夜の夢でも構わない、そう思えるほど・・・、貴女を。






「 嫌ですッ!どうして、どうしてそんな悲しいことを・・・ッ!! 」
「 ・・・・・・私は、貴女を・・・貴女を、愛しているんだ 」
「 私だって・・・こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないけど、私、子龍さまを想っています。
  そうでなければ、こんなに反対しません。そうでなければ、こんなに苦しんでいないんですッ! 」


胸の中で全力で首を振るを、とうとう加減が出来ず全力で抱き締める。
苦しいだろうに・・・は抗議の声一つ上げず、私の背中へと手を伸ばして抱き締め返してくれた。


・・・もう、いいんだ。いいんだよ、。どうか泣かないで。
恋や愛でなくても、貴女が想ってくれていると言ってくれただけで、私は満足だ。
例えこの戦で死んだとしても、未来の貴方たちを応援できる。






さめざめと泣くを受け止めながら、自分の目頭も熱くなる。
熱を冷ますように、風が東屋を駆け抜ける。花びらが舞う庭は、浮かんだ涙のせいで滲んで見えた。


その美しさは、まるで・・・御伽噺に出てくる桃源郷そのものだ、と思った。






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