こんにちは、と軒先から顔を覗かせると、馴染みの声に店主のおじさんが相好を崩した。
「 いらっしゃい、お嬢さん。いつものお茶でいいのかい? 」
「 はい。お願いします 」
おじさんは頷くと、茶葉を用意しに奥へと引っ込む。ここは、いつぞや子龍さまと訪れたお店だ。
そう屋敷から遠い距離ではないため、護衛兵をつけるという条件付だが、ここへの外出だけは大目に見てもらっている。
あの日のお茶会を最後に、尚香さまはお忙しいのか顔を出さなくなった。
成都の南で挙兵の動きあり、という報は民の知るところとなり、街に緊張感が漂っている。
その一方で、魏との戦も決着がついて、勝利した蜀と呉の軍勢は既に自分の国に向けて帰途についている、と明暗分かれる噂に不安一色にならずに済んだ。
「 蜀の軍勢が戻れば、南から押し寄せている軍勢とやらも引いていくでしょう。
それまでの辛抱ですよ。きっと趙雲さまがお戻りになれば、また明るい街に戻りましょう 」
玉葉はそう言って、暗い顔をした私へと微笑みかける。
そうね、と呟いて窓の外を見やる。季節が変わり、庭の様子も変わってきた。
あの日2人で眺めた花は種を落とし、別の花が咲き誇っている。どうか今咲いている花が枯れる前に
帰ってきて欲しい・・・と思う一方で、自分自身への『 問い 』に未だ明確な答えが出せずにいる
自分を叱責する。
ぎゅ、と拳を握れば手のひらに汗が浮かんでいたことに気づく。自分への焦りと不安と、戦場にいる
2人の安否を心配して、情緒不安定になっているのかも。そういえばろくに食事もとってない・・・。
玉葉が気を遣ってくれているのはそのせいだろうか。
「 玉葉 」
趙雲さまの言葉通り、ずっと支えてくれる彼女に・・・本当に感謝している。
母娘くらいの年の差はあるけれど、私も彼女の力になりたい。
「 気分転換に、少しだけ外に出たいわ。お茶を買いに出かけてもいい? 」
買い物など家人の役目だし、屋敷の主が所望だとあれば商人が持参するのが常だ。
だけど私は元々ただの町人だし・・・この生活に本当に慣れるとすれば、子龍さまの妻として覚悟が
出来た後だと思ってる。今は早く自分自身の気を晴らして、玉葉の不安を取り除きたいだけだ。
彼女は何か言おうとしたが、私の懇願を滅多にないことだと思ってのか、渋々頷いてくれた。
尚香さまがいつ顔を出してくださるかわからないもの。どんな時でもご馳走できるよう、
今のうちに準備しておかなきゃ。
自然と遠くを見やっていた私の前に、茶葉を淹れた袋が置かれ、顔を上げる。
「 お待たせ。戦が終わったおかげで、物流が動き出したよ。新茶が入ったら分けてあげよう 」
「 本当ですか!?楽しみですっ 」
「 ああ、また顔を出しておくれ 」
手を振り替えして、私は店を後にする。手にした茶葉を少しだけ鼻に近づける。
くん、とひくつかせるとそれはいい匂いがした。子龍さまが戻られる頃には、新茶が買えるかも。
そうしたら尚香さまにも声をかけて・・・ああ、折角だから馬超さまもお誘いしたいわ。
お酒の方が好きかもしれないけど。
クスクスと笑いが込み上げてくる・・・と同時に、言い表せない程の寂寥感が私を襲う。
「 ( 伯言や練師さまとも、もっとお茶したかったな・・・もう叶わないとわかってても ) 」
趙家は居心地がとても良いけれど、ふっと陸家の陽だまりを思い出す時もある。
気持ちの揺れと共に、どちらが『 自分の居場所 』なのかわからなくなって・・・吐息に変わる。
笑ったり、落ち込んだり、を繰り返していたせいか、すぐに気がつかなかった。
周囲の人々が足を止めていたのに私だけが歩いていた。そして・・・突如動き出した騒動に乗り遅れた私の目が、見開く。
「 せ・・・攻めてきた!敵が攻めてきたぞーッ!! 」
誰かが叫ぶなり、騒然となった。
敵の姿は見えなかったが、城門の方角にある民家から火の手が上がっている。木造の建物は燃えやすいので、
恐らく火矢でも放たれたのかもしれない。
逃げ惑う人々に気圧され、おろおろと立ち尽くしていると、遠くで見守っていたはずの護衛兵が私の手を掴んだ。さま、危のうございます!と引っ張られて逃げるうちに、ようやく我に返る。
戻ってきた思考を働かせ、私は南東の方角へと振り返った。
「 火は南から上がっているけれど、軍勢が攻めてきたとは思わない!一度屋敷へ戻るわ! 」
「 いけません!趙家は街の南東に位置しております。戻っても無事とは限りませぬぞ。
さまは趙家の長、趙将軍の奥方様です。まずは自分の命の大事を優先させるべきです! 」
「 それでも、それでも・・・私は、趙家を守らなきゃ!! 」
屋敷のことはお任せください、と約束したのは私だもの。
あそこは子龍さまが戻られる場所。規模は小さくても、尚香さまが劉備さまのために国を守っているのと同じ。戦から帰って来た子龍さまが『 失った 』と知ったら・・・それはがっかりするに違いない。
ふいをついて、護衛兵の手から逃れる。押し寄せる人の波をかきわけ、逆走した。
護衛兵の叫ぶ声が悲鳴の中へと消えていく。申し訳ないと思いながらも、趙家へと足を運んだ。
あちこちで燃える火の熱を肌で感じるくらいの距離になると、自然と人の影も少なくなってきた。
どこからともなく聞こえる甲高い音、怒声・・・やはり、城門近くでは戦が始まっているのだろうか。
形を失っていく街並を必死に思い出しながら曲がった、その道の先で。
火の手が上がった趙家の屋敷。その前に座り込んだ一団へを見つけ、ざわりと肌が粟立つ!
「 ああ、さま!さまだ!!ご無事でしたか!! 」
「 みんな・・・!よく無事で!! 」
趙家の家人たちだった。身体に煤をつけていたり、軽い火傷を負った者もいたが、ほとんどの者が無傷だった。
ちょうど台車に、怪我人と持ち出せた分だけの家財を乗せているところらしい。
顔馴染みの侍女の姿を見つけ、声をかけると・・・炎の中でもわかるくらい青褪めていた。
「 どうしたの!?どこか怪我でも・・・ 」
「 さま・・・玉葉さまが、玉葉、さまが・・・ッ!! 」
「 ・・・玉葉が? 」
そういえばまだ玉葉を見ていない。嫌な予感に眉根を潜めていると、彼女が平伏する。
「 他の侍女の安否を確認して、まだ屋敷の中に・・・! 」
屋敷の中、というのは・・・この業火に包まれようとしている炎の中、ということか。
城門での喧騒がだんだんと近づいてくる。火は収まる気配を見せないから、きっと屋敷も時間と共に崩れ落ちるだろう。
「 ( 子龍さま・・・私に、力を! ) 」
ぎゅっと拳を握って、奥歯に力を篭める。
泣いている彼女の背中をぱん、と小気味良く叩いて、私はみんなの前で叫んだ。
「 まずは総員退避!みんな、自分の命を優先しながら城に向かいなさい!!
他の城門には近づかないこと、怪我人を支えながら炎を避けて北へと逃れるのよ! 」
「 さま・・・は、はいッ 」
気合いが入ったのか、趙家のみんなの顔が明るくなる。
こんな私の言葉でも、みんなを元気づけることが出来るのか・・・と思うと、純粋に感動してしまう。
・・・うん、だけど玉葉みたいにはできない。玉葉は趙家を『 稼動 』させるのに最も必要な人物。
子龍さまのことを何でも知っていて一番頼りになる。私なんかよりも・・・子龍さまを支えてくれる人。
さまッ!?と誰かが私を呼びとめようとしたが。
手近に在った水桶の中身を被ると、燃え盛る屋敷の火渦へと・・・身を投じた。
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