「 玉葉ッ! 」


制止を振り払い突入した屋敷の中は、案外形を保っていた。 外見だけが燃えて、じわじわと侵食されていくような感じ・・・いずれにしても長く持たないのは変わらない。 趙家は広いから、ただ途方もなく探してたら間に合わないだろう。私も玉葉も、恐らく助からない。


「 ( どうしよう・・・どこを探したらいいんだろう ) 」


他の侍女の安否を確認して、と彼女は言っていた。
外には怪我や火傷を負った者がいた。逃げ遅れた者が他にもいたら?きっと玉葉なら見捨てない。
それも、自分の置かれた状況を省みずに、だ。
人のこと言えないなあ、と思いながら、勢いづいてきた炎の中を走った。
・・・玉葉、私だって貴女が大切なんだよ。子龍さまのために、私のために、生きて欲しいんだ。


「 玉葉、玉葉!返事をして! 」


屋敷全部の部屋を探すことは出来なくても、家人の集まりやすい場所なら知っている。
例えば玄関近くにある詰所。玄関はもう通ってきたからそこにはいないのだろう。
それから厨房。火の手が上がったのは昼食の準備をしていた時間だった。
家人の頂点に立つ玉葉だから、見回りに行っていたとしたら、洗濯場だったり、定期的に掃除している客室とか・・・探す範囲はもっと広いのだろう。 でも極めて確率が高いのは、やっぱり厨房かな。そう目標を定めた後で、もう一箇所立ち寄るべき場所を思い出して、踵を返す。
到着したのは家人の控室。屋敷を案内してもらった時、家人はこの部屋で待機していると聞いたことがある。
さまや趙雲さまの部屋から距離はありますが・・・と、蘇る記憶の中で必要な情報だけ拾うように思い出しつつ、部屋を覗く。厨房が近いせいか火の勢いが強い。 あまり長い間留まれない、と思った。声を出そうとすれば、煙を吸ってごほ、と咳き込む。


「 玉葉、玉葉ーッ!!玉よ・・・ 」
「 ・・・さま!? 」


驚いた声は部屋の隅から聞こえた。目をやると、玉葉が誰かを抱いたまま座り込んでいた。
私が駆け寄ると、まるで幽霊でも見ているかのように彼女が目をぱちぱちと瞬かせている。
彼女の両肩を力強く抱き締めると、現実味を帯びてきたのかじわりと瞳が潤んだ。


「 さま・・・ど、どうして、 」
「 避難したみんなの中に、姿が見えなかったからもしかしてと思って。良かった、無事で 」
「 で、でもさまは奥方さまですよっ!?こんな危ない真似、趙雲さまがご存知になったら・・・ 」
「 どんな立場でも人は平等よ。玉葉が大切だから諦めたくなかっただけなの 」
「 さま・・・私なんかに・・・玉葉は嬉しゅうございます、ありがとうございます・・・ 」


普段、絶対に弱いところなんか見せない玉葉が涙を零す。
火の中でもわかるくらい青ざめた彼女を、安心させるように私は微笑む。彼女の腕の中に意識を失ったままの侍女がいた。 目線を送ると、怪我はしていません、気を失っているだけです、と玉葉が答える。


「 足場を見失って困っていました。こうも勢いが強いとまともに目も開けられなくて・・・ 」
「 私が案内するわ。来た道を辿れば外に出れるはず 」


玉葉は意識のない彼女を背負うと、私に頷いて見せる。
屋敷の中からでは、どこへ向かえば火の勢いが弱いかなんてわからないだろう。 屋敷の構図を思い浮かべながら、出口へと向かう。途中、何度も天井やらすぐ脇の柱が倒れてきて、必死に交わす。 勢いが増しているのがわかる。先程まで私たちがいた部屋は、もう炎に包まれてしまった。ぐずぐずしていられない。
通りすがりに、子龍さまの部屋へと通じる廊下へと出た。
・・・ああきっと、あの庭は灰になってしまったのだろうな。ふっと思い出した、花びら舞う情景。


その一瞬の迷いが、明暗をわけることになった。


足を止めてしまった私を、後ろをついてきた玉葉が追い越し、ぎょっとした様子で振り返る。 彼女の驚いた顔と、我に返った私の間を、炎に包まれた巨柱が遮った。ずん、と大きな音と爆風が私たちを襲った。 玉葉の悲鳴が響く。


「 さまッ!!い、今すぐにお助け・・・ 」
「 大丈夫よ!貴女は背に抱えた娘と共に避難して!この廊下は使えないから、別の道を探すわ 」
「 そんな・・・危のうございますッ!助けを呼んでまいります!動かずにお待ち下さいませ!! 」
「 待っていたら助からない。とにかく玉葉は逃げて!私も、脱出してみせるから!! 」


出口は近い。人を抱えていても、逃げ切れる距離だ。2人のことは心配ないだろう。
うん、と一人頷いてその場を後にする。玄関は塞がれてしまったのなら、屋敷の外へと出られるとしたら 裏口を目指すしかない。趙家の屋敷は、陸家と同じように登れないほど高い塀が囲んでいるのだから。






・・・こんな時なのに、くすりと笑ってしまう。そうだ、今度伯言に逢ったら教えてあげよう。
あの日、襲ってきたのは子龍さまだって言ったら、きっとびっくりするに違いない。
でも・・・彼の襲撃がなければ、私たち、気持ちが通うきっかけを掴めなかったはずだ。


それに、子龍さまが私に興味を持つこともなかったはずなんだ。どうして壁をよじ登ってまで 外に出ようとしているのかと気になったから、峠で『 偶然 』を装って近づいてきたと言っていた。
呉に、蜀の将軍がいることがわかれば騒ぎになるのに。彼は厭わずに足を運んでくれた。






「 ( ・・・逢いたい・・・! ) 」






二人の顔を思い出したら、切ない気持ちがこみ上げてきた。
喉はカラカラ。突入する時に浴びた水などとうに乾いて身体中が水分を欲しているのに、涙は別のようだ。後から後から零れては、乾いた頬にこびりついていく。
ひっく、と嗚咽を抑えて、塩分になった涙の後を拭うとまた走る。何度も燃えがった炎に立ち竦み、 崩落していく屋敷の様子に震えた。その度に勇気を振り絞れたのは、もう一度・・・『 彼 』に逢いたいが為。


「 はぁ、ッ・・・はあ、はっ・・・ 」


・・・苦しい、肺は黒煙でいっぱいだろう。乾燥にひゅうひゅうと喉がなる。唾液すら枯れてきた。
そろそろ、限界かも・・・ううん、ダメ。そんなこと考えたら足が止まってしまう。
走ら、なきゃ。逢いたい。走ら・・・な、きゃ・・・逢いたい、よ・・・。


「 ・・・あッ!! 」


転がっていた木片に躓く。弱りきっていた身体があっさり転がった。
壁に打ち付けられて廊下に跳ね返り、そのまま倒れこむ。起きなきゃ、と思うのに・・・動かない。 仰向けになった視界を横にずらすと、ぴくりとも動かない指先が映った。まるで自分の物じゃないようだ。
屋敷の倒壊は間近だ。その証拠に柱が崩れる音が増え、大きくなっていく。 倒れこんだ身体が地響きと直に感じて、近づく『 足音 』は恐怖となって私の胸を襲う。 押し潰れてしまいそうで、でも身体は動かなくて・・・意識は更に混乱していった。


「 ・・・・・・た、 」


たすけて


「 ・・・た、すけて・・・ 」


たすけて・・・たすけて、怖い、助けて!助けて!






「 助けて・・・ッ!! 」






先程転んだ衝撃が、ただでさえ脆くなっていた天井に衝撃を与えたのか。
みし、と歪む甲高い音に顔が引き攣った。あっという間に崩れた天井が、火の粉を撒き散らしながら 仰いだ私へと降り注ぐ。避けられる訳がない。不思議と平静になった私は、その『 運命 』を受け入れるかのように・・・瞳を、閉じた。







































































瞼の裏に浮かんだ『 彼 』の面影。


捕まえるように手を伸ばして・・・最後の力を振り絞って、其の名を呼んだ。
















「 伯言! 」           「 子龍さま! 」
















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