痛みも傷ついた心も、全てを癒し受け入れる彼は水のよう。
どうして彼のような『 存在 』がこの世には在るんだろう・・・そう、思えるくらい。
「 ふう・・・間に合ってよかった 」
森の中で私を助けてくれた彼は、そう言って爽やかに笑った。
伯言が見せる微笑みとも、街の男の子が見せる笑顔とも違う。端正な顔立ちが浮かべる笑みは、
ごく『 自然 』のもので・・・その場で思わず見惚れてしまった。
何故、私を『 陸家の令嬢 』だと知っていたのか、という問いは後になって解決する。
そう・・・だって、彼こそ私の夫になる人だったのだから。
「 そんなに驚いてくれるとは・・・呉まで出向いた甲斐があったな 」
「 私は『 素 』の貴女に逢いたかったのです。なんせ、自分の奥方に迎える人ですから。
陸家の令嬢とは、一体どんな方なのか・・・己の目で、貴女の為人を見極めたかった 」
「 この趙子龍・・・殿を妻に向かえ、この先の道を共に歩むことをお約束致します 」
どうして・・・どうして、そこまで想ってくださるのですか?子龍さま・・・。
私、もっとぞんざいな扱いを受けるのだと思っていました。なのに、こんな待遇は困惑するばかりで。
本当は貴方を裏切っているのです。貴方という夫がいながら、内心別の人を想っているというのに。
私の想いがどこに在るかを知らないとはいえ・・・こんなことされたら、受け入れてしまいそうになる。
優しい、優しい子龍さま。
「 拱手は、必要ない。むしろ、もっと毅然としていて構わないのだよ 」
「 病が治ったら、買い物にでも出かけよう。成都の町を、見せてあげたい 」
「 よかった。貴女にそう思われているのなら今後『 口下手だ 』と言われても気にしない 」
だけど、その優しさを傷つけたのは・・・私自身だ。
「 ・・・今の私を・・・どうか、見ないでくれ、・・・ 」
誰よりも、その優しさに縋っていたのも・・・私自身だというのに・・・。
伯言との別れ、それは大きな傷だったけれど。
子龍さまと過ごす間に癒えたはずの傷口が更に深く抉られる。悲鳴を上げても・・・もう届くまい。
・・・いいえ、これでよかったんだわ。嫌われても、殺されても文句は言えないだけのことをした。
それよりも伯言とのことさえ露見しなければそれでいい。
彼が孫呉を盛りたて、幸せになってくれれば、私はどうなってって構わないのに・・・。
「 は・・・呉に、還りたいか? 」
なのに、
「 今更かもしれないが、貴女とやり直したいと思っている 」
どうして、
「 包子・・・美味しかった。また、作ってくれるのを楽しみにしている 」
この人は、どうしてこんなにも優しいのだろう。
辛い、辛いのです。お願いですから、そんなに優しくしないでください( どうして )
見えない手が涙を拭う、その手に甘えてしまいそうな自分がいるの( 素直に甘えればいい )
伯言・・・ごめんなさい。本当にごめんなさい!裏切りたく、ないのに( ・・・ああ、わかった )
「 私のために喪に服す必要はない。陸遜殿と幸せになるんだ・・・いいね 」
子龍さま・・・私、子龍さまが、好きです・・・っ!
誰よりも、伯言よりも、貴方が、貴方が!子龍さまを、私、愛しています!!
でも、もうこの『 声 』も子龍さまには届かない。私、どれだけの想いを彼に残せたんだろう。
彼が私にかけてくれた慈愛の、ほんの一握り分だけでも残せたかしら。ううん、きっと満たない。
だって、私・・・彼に一度も『 本気の愛 』を、彼だけに捧げる愛の言葉を伝えてない。
・・・『 罰 』が、下ったんだわ・・・。
いつだって優しい子龍さまの真心を無下にしたから。答えが出なくて、なんて言い訳にすぎない。
何を迷ってたんだろう・・・私、本当は・・・ずっと・・・。
「 」
ああ、出来ることならもう一度抱きしめて欲しかった・・・。
「 、! 」
「 ・・・・・・え、っ! 」
頬に小さな痛みが走り、瞑っていた瞼がぱちくりと開いた。
途端、目の前にあった顔に驚いてすぐには声が出なかった。
無事か、と尋ねられて、まずはひとつ頷く。
彼がほっとしたように胸を撫で下ろしているのは、その表情から読み取れた。
「 ・・・子、龍さま?どうして・・・ 」
「 よかった・・・間に合わなかったらどうしようかと・・・う、っく・・・!! 」
「 子龍さまっ!? 」
額に浮かんだ汗がたたっと水滴となって地面を濡らす。ただ火の中にいるからじゃない。
私の上に四つん這いになった身体が、何かに耐えるように震えている。
苦悶する彼の肩越しに覗くと、その背は燃え盛る巨柱を支えていた。
枯れたはずの喉から悲鳴が上がった。
「 うッ、・・・掛け声と同時に身体を引いて、私の下から脱出するんだ、いいな? 」
「 は、はい!! 」
すぐに掛け声が上がり、ぐぐっと彼の身体が持ち上がり私の身体が身軽になる。その隙に後ずさりして
彼から身体を離す。と同時に、子龍さま自身も気合いと共に巨柱を跳ね除けると、数歩這い蹲った先で
よろめいた。うつ伏せに倒れこんだ彼に慌てて駆け寄る。彼の頭を冷たい地面から自分の膝へと
移動させる。その頬にとめどなく涙が零れ落ちた。
「 子龍さま、子龍さま、うう、ひっく・・・ぇッ 」
「 泣かないで、・・・出逢った時から、私は貴女を泣かせてばかりだな・・・すまない 」
「 謝らないで下さい、子龍さま・・・子龍さまが、無事なら、私は・・・ 」
「 ふっ、のその台詞、そっくりそのまま返そう・・・貴女が無事で、良かった・・・ 」
背中に大きな火傷を負って、私ではきっと堪えきれないほどの痛みだと思うのに。
彼はそう言って、少し嬉しそうに唇を持ち上げる。
「 ( この人には・・・本当に、敵わない・・・ ) 」
全身を抱き締めたいのを我慢して、頭だけでも抱き締めると、胸元で子龍さまが微笑む気配がした。
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