柱が木炭へと変わる悲鳴に、はっと顔を上げる。屋根から火の粉が降り落ちる。
もうここも長くない。留まれば確実に火に巻かれるだろう。それもだんだん、火の勢いと共に周囲を 巻く速度も上がっているのは何となく察している。とにかく今は逃げなければ。だけど・・・。


「 ( だけど、どうしたらいい・・・!? ) 」


子龍さまは、背中に目も背けたくなるほど大きな火傷を負っている。 恐らくあの傷では、歩くこともままならないだろう。左下肢まで焼け爛れている。 彼を支えて、この火の中を潜れるのだろうか・・・。
ごくりと喉が鳴ったのを察したのか、子龍さまが掠れた声で私の名を呼ぶ。


「 私のことはいい・・・貴女は、逃げるんだ・・・ 」
「 嫌ですっ、嫌です子龍さま!置いてなんかいけません! 」
「 今回ばかりは、我侭を許せない 」


あっと悲鳴も上げられず、大きな力で突き飛ばされた私は床を転げる。 二転三転し、地べたに伏して圧力が落ち着くのを待つ。胸が詰まって呼吸困難を起こす。 何度も咽た後にようやく頭を上げれば、随分と遠くまで突き飛ばされたものだ、と思った。 立とうとすれば、身体の節々がぎしぎしと痛む( さすがは武将・・・これでもきっと 手加減してくれたのだと思うけれど )


「 早くここから逃げろ、!! 」
「 嫌です!絶対、嫌ッ!! 」


それでも・・・その痛みをものともせず私は奮い立つ。 子龍さまが驚いた表情を浮かべ、そのまま眉間に皺を寄せて歯軋りしている。鬼のような形相を気にも留めず、 駆け寄った私は彼の肩へと手を回し、両脚に渾身の力を篭める。


「 ッ、何を・・・!? 」


意表をつかれたのか、上擦った声が耳を掠める。


「 うっ、うう、うっ・・・うあああーッ!!! 」


咆哮と共に、彼の身体が浮き上がる。その好機を逃さず、自分の背中に担ぎ上げると子龍さまが息を呑んだ。 突如の重力に身体が馴染む前に、最初の一歩を踏み出す。続いて二歩目、三歩目・・・。


「 ・・・・・・貴女という人は・・・ 」
「 裏、口・・・裏口なら、きっと・・・ 」
「 ・・・ああ、目指すなら裏口だな 」
「 は、いっ 」


無事だった右足を、私の動きに少しだけでも助けになるようにと動かし始めた。
おかげで足取りが少しだけ軽くなる。これなら・・・なんとか、出口まで辿り・・・。




と、思った矢先だった。




「 ・・・・・・っ!!! 」


どん、と大きな爆発音。途端、背後で大きな風が起き、子龍さま諸共吹き飛ばされた。
子龍さまの突きなんて非じゃない。元々ふらついていた脚は、崩れるようにしてその場に落ち、 肩にかついでいたはずの子龍さまという重りを失って更に床を滑る。
何の抵抗も出来ず、吹き飛ばされるがままになっていたが、子龍さまのひと際大きな悲鳴が聞こえて 目が覚める。飛んで行こうとするが、眩暈に倒れこんだ。


「 ・・・あ・・・ッ 」
「 !? 」


恐る恐る・・・自分の右足を凝視する。そこには燃えた木片が、足の裏を貫いていた。
じわりと広がっていく自分の血を見た瞬間、張り詰めていた何かが切れたような気がした。
意識を失わずに済んだのは、腕一つ動かすことも間々ならない筈の子龍さまが自力で這って私の側へと 来てくれたからだ。


「 っ、しっかりするんだ!大丈夫、まだ距離はあるが貴女一人なら歩けるはずだ 」
「 ・・・でも・・・子龍さま、が 」
「 何度も言わせるなッ!行け!!・・・・・・っ!? 」


はっと目を瞠ると業火の向こうを睨みつける子龍さま。
只ならぬ気配に力を失っていた身体をゆっくりと起こす。焔の向こうに揺らぐ・・・人影。
まさか、だって、そんな・・・と何一つ思考がまとまらず、混乱した中で紡いだ彼の、名。






「 ・・・伯、言・・・ 」






どうして、此処へ・・・!?


それが幻なのか現なのか、判断がつかない。だけど、武人である子龍さまがここまで反応するのだ。
彼の気配は嘘じゃない。そう思ったら身体が勝手に動いた。
!?と子龍さまの声が背後で聞こえた。庇うように背を向け、私は伯言へと向き合う。
炎の中で彼はゆっくり微笑む。ああ・・・やっぱり彼だ、こんな綺麗に微笑むのは伯言しかいない。
それほど私は彼と向き合ってきた。彼を見つめてきた。だから・・・だからこそ、なんだよ、伯言。


「 伯言・・・私のこと、迎えに来てくれたの? 」


ええ、と彼が頷く。それを見た子龍さまの身体が震えたのか、床がぎしりと音を立てた。
その場に相応しくないくらい、嬉しそうな微笑を浮かべているであろう私に伯言が手を伸ばす。


「 帰れない・・・ううん、帰らないわ。伯言、貴方の元には。そして故郷である呉にも。
  私、ようやく気づいた。すごく時間がかかっちゃったけれど、これが正直な気持ちなの 」


左右に首を振って、胸に手を置く。
・・・今こそ『 開放 』するわ。今までごめんね・・・そして、ずっと私を支えてくれてありがとう。
この気持ちがあったから、見知らぬ土地に嫁いでも一人じゃないって思えてたんだと思うから。


「 ・・・子龍さまが、好き。伯言のことも愛してた、けれど今は子龍さまが私の『 唯一 』なの。
  貴方を想っていた以上の気持ちで、子龍さまを愛してるから、呉へは帰らない。
  彼のずっと傍にいたい、この蜀で彼の妻として・・・生涯を過ごしたいの 」


私は貴方でない人を選ぶから。胸を占める真新しい愛は、子龍さまを想い慕うものだから。
いっぱい流した涙も、胸を締め付けた苦悩も、ずっと伯言を想って抱いていた『 恋心 』を 解き放つことで全部終わりにするんだ。どうか認めて、伯言。 これが貴方と私を結ぶ絆を全て絶つことになっても。


私・・・これからは子龍さまのことだけ考えて生きていきたい。彼の隣に立っていたい。


ふわりと伯言の背中から風が起こる。熱風に身体が竦むが、それでも必死に開いていた視界の端で、 伯言を『 象っていた 』炎が風に流されていく。伯言ッ!と大きく叫ぶが、それでも彼からの反応 は・・・ない。ただ、彼が悲しそうに微笑んで風に溶けていく。伸ばしていた手から光が零れる。
それが最後。輪郭を失う彼へ手を伸ばしたまま、足の痛みなど忘れて腰を浮かした私の足元に・・・ 何かがぶつかった。


風が止むのを待って・・・私は、それを拾いあげる。






「 ・・・伯言・・・ 」






あれが本物だったかどうかなんて、どうでも良くなってしまった。


強い思念が生んだ幻か、それとも本当に戦を終えて姿を現したのであろうとも。
きっと彼は・・・『 これ 』を返しに来てくれただけなのだから。






「 ・・・ 」


子龍さま、と振り返る。戸惑ったような瞳、これでいいのかと彼は訴えているのか・・・だとしたら、 余計な心配だ。でも、その優しさが子龍さまらしいのだけれど。ふふっと私は笑った。
だが、突如崩れ落ちる。脈を打つごとに足元を囲む血の池が深くなっていった。 彼が悲鳴にも似た声で、私の名を叫んでいるのがわかった・・・駄目だなあ、私。結局、直接本人に伝えてない・・・。


「 ( 子、龍さ、ま・・・好、き・・・ ) 」


乾いた唇は開いたが、声は音にならない。徐々に心音だけが脳裏に直接響き、びくりと身体が震えたのを最後に 意識も闇へと沈んでいこうとしていた。床につけていた耳の奥に、激しく踏み込む足音が聞こえたが ・・・その音の正体を確かめる意識は既にない。
数度の爆風は、玉葉がいた厨房を焼いたのだろう。業火の渦が迫り来るのは、背後からの熱量でわかった。 このままでは子龍さまより私が先に巻かれる。でもこの身が、少しでも彼の盾になれば・・・。






「 !駄目だ、死んではならないッ、っ・・・ーッ!! 」






子龍さま、子龍さま・・・私の気持ち、ちゃんと伝えられなくてごめんなさい。
この世でなくても、いずれ『 黄泉 』で逢えた時にはもう一度私の口から言ってもいいですか?


気づくのが遅くなりましたけれど、貴方の優しさに触れてから本当はずっと好きでした・・・って。
















閉じた世界は真っ赤で、これで私も死ぬのだと思った・・・でも何故か、微塵の恐怖もなかった。
















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