ず、ずん・・・と地響きにも似た音に、はっと我に返る。
身体を離すと、伯言はちょっぴり寂しそうな表情を浮かべて小さく溜め息を吐いた。


「 こんな状況じゃなきゃ離さないのですが、そうは言ってられなくなりましたね 」
「 あ、当たり前でしょ!逃げなきゃ!! 」
「 そうですね・・・では『 攫う 』としましょうか 」
「 きゃあ! 」


抱き締めていた私を横抱きにすると、伯言は廊下を突き進む。時々迂回しながら、それでも確実に裏口を目指していることに内心驚いていた。まさか趙家の屋敷を全部把握しているの?でも何故・・・。
走る最中に問えば、ああ、と彼は唇を持ち上げる。


「 以前、忍び込んだことがあったでしょう?その時に屋敷の見取り図を覚えたのです 」


まさかこんな機会に必要になるとは思いませんでしたけど・・・と言うが、それは随分前のことだ。必要のない情報でも頭の中に蓄積されているのだろうか。だとしたら、やっぱり 伯言って頭良い・・・軍師って言われるのもわかるかも。仕事している彼を見たことないから、今まで実感することはなかったけれど。
・・・なんて考えは、とうに見透かされていたのか。 はっと顔を上げると、不機嫌そうな伯言が私を見下ろしていた( ひいっ! )


「 こんな時にでも余計な事を考える余裕があるとは・・・後程ゆっくり聞かせてもらうとしましょう 」
「 きっ、聞かせることなんて、何も、な、ないよ! 」
「 おや、そうですか。白状させるのも軍師の仕事のうちですから、覚悟していてくださいね 」


意地悪そうに微笑んでいるのに、それがまた憎らしいくらい・・・相変わらず、綺麗で。
逆にぽっと顔を赤らめてしまう私を見て、伯言が苦笑しているのがわかった。けれど・・・。


「 ・・・伯言、っ!? 」


突然立ち止まると、前方を凝視したまま彼の身体が強張る。
只ならぬ気配につられて身を固くすると、伯言が私を床に降ろす。 そのまま隠すように背後へと押しやると、腰に差していた双剣を抜いた。抜き身の輝きにぎくり、とする。
だけど・・・本当に背筋が凍る想いをしたのは・・・その後だ。


パキ、と音を立てた木屑を踏みしめて、炎の向こうから現れた銀の鎧姿。
長い後ろ髪が炎を煽る風に揺れ、靡く。伯言が、双剣を構えるように腰を落とした。






「 ・・・し・・・子龍、さま・・・ 」






声が震えた。子龍さまの靴が一歩踏み出すと同時に、威圧感を感じて一歩下がりたくなる。 距離が縮まる毎にびりびりと周囲の空気が震えた。
・・・ああ、子龍さまの、瞳。きっとこれが戦場での彼なんだ。
足が震えて立っていられず、目の前の伯言に堪らず縋った。 触れた肩ごしに、縋りついた彼だっていかに緊張しているかを悟って・・・はっとする。
伯言だって武将だ。これほど恐れているのは、自分では敵わないと戦わずともわかるからなのかもしれない。 勇気を出して、つ、と伯言の肩の退けて前に出た。


「 !?何を・・・ 」
「 ありがとう伯言。でも、もういいの 」


よろめくように数歩前に進むと、崩れ落ちるように膝をついた。
拱手して、真っ直ぐ子龍さまを見つめる。


「 子龍さま・・・私は、子龍さまのものにはなれません。ずっと考えていて、やっと答えが出ました。
  何度か背けてきた想いですが、どんなに努力しても目を逸らすことが出来ないほど・・・。
  私は伯言を・・・陸遜さまを愛してるのだと気づきました。
  けれど、子龍さまに今までかけて頂いた温情を裏切る私を許して欲しいとは思いません。
  二夫に仕えるは罪。どうか憐れと思うなら最後のお願いです・・・この首、落としてくださいませ 」


2人とも・・・特に伯言が、目を見開くのが気配だけでわかった。 私は走るうちに乱れた髪を手繰り寄せ、項を露にするとそのまま額を地面につけた。 しばしの沈黙の後、呆気に取られていた伯言が怒気を隠さずに駆け寄る。 荒々しく私の肩を掴むと無理矢理上体を起こしにかかった。


「 自分が何を言ってるのかわかっているのですか!?何故自ら死のうとするのですか!? 」
「 ・・・伯言を選んだ時点で、答えは決まっていたの。子龍さまの妻になった時から覚悟してた 」


子龍さまの妻ではなく、伯言を『 選ぶ 』ことは・・・蜀と呉の友好関係に亀裂を入れることだから。
このまま呉に帰ったところで咎めがないとは思えない。それでも・・・。


「 それでも、命を捨てることになっても・・・伯言と一緒に居たいと思ったの・・・ 」


笑ったつもりなのに、涙が零れた。愕然とした彼の瞳も、あっという間に潤む。 ずるい、ずるいです、と私にしか聞こえない声で伯言が零す。 俯いたまま震える彼の手に自分の手を添えた。国境で別れたあの日も、こうして手を握ったっけ。 今度は・・・私が伯言に生き抜いて欲しいと思うから。


「 ・・・それが、貴女の答えか 」


久々に聞いた子龍さまの声は恐ろしく低かった。向き直った私は、気丈にこくんと頷く。
迷いはないと再び頭を低くした私の前に伯言が立ち、剣を構えた。


「 伯言!? 」
「 趙雲殿、貴方との力量の差などとうに理解しております。けれど、私は軍師ですが武将の端くれ。
  愛する彼女を・・・ひとり護れず、呉の武将を名乗れましょうか。
  彼女を斬るのなら私の後に。今はどうぞ・・・この陸伯言とお手合わせ願います! 」
「 やめて、伯言やめてっ!! 」


伯言が死んだら何の意味もなくなっちゃう!
私は・・・私はただ伯言に生きて欲しくて!伯言の命を守りたくて!
止めようとしがみついた腕を伯言に払われる。あっ、と尻餅をついている間に彼は地を蹴った。 視線の追えぬ速さで、子龍さまの武器・竜胆とぶつかる。周囲を取り巻く業火とは別の火花が飛び散り、 弾き返された衝撃を宙で受け止める。空中で体勢を立て直そうとした伯言。 そこへ子龍さまの右脚が彼の脇腹に差し込まれた。悲鳴もなく、壁へと激突した伯言の身体が床に落ちる。


「 伯言!伯言ッ!! 」
「 次は貴女だ、 」
「 ・・・・・・・・・っ! 」


いつの間にか、座り込んだ私の目の前にそびえ立つ、子龍さまの長身。
炎を受けて光り輝く刃は、今回の戦でどれだけ活躍してきたのだろう・・・そして、私の首がこの戦の、最後の得物となりますように。喉がこくりと鳴り、私は再び首を低くする。


「 ・・・伯言に罪はありません。罰は、私一人の命で償います 」


返答はなかった。償えるほど重い命ではないけれど、あとは子龍さまが私に見せてくれた優しさを・・・今は、信じるしかない。額を地面につけると、竜胆の刃先が狙いを定めるように 軽く私の項に当てられる。自然と、瞳を閉じた。




「 嫌です、・・・ーッ!! 」




苦しそうに起き上がった伯言の、まるで喉の奥から搾り出すような悲鳴が響いた。












ありがとう、ずっとずっと、長い間想ってくれて。


私も、伯言が大好きだよ・・・・・・だから、あなたは、いきて。












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