伯言の執務室にはお邪魔したことがあるけれど、子龍さまの執務室は初めてだ。


こんな形なのが残念だけど、と思う私を横抱きにした子龍さまの代わりに、玉葉が扉を開ける。
ぎ、と音を立てて開いた扉の向こう側・・・どうして彼が頭を抱えるのがわかった気がする。
子龍さまの肩越しにそっと玉葉を見やれば、彼女が不機嫌なのは一目瞭然。それを目にした 彼の心臓が恐怖に胸打つのが伝わってきて、笑ってしまいそうな口元を咄嗟に押さえた( ぷ! )


「 玉葉、言っておくがいつもは整頓しているぞ。戦の前はとても立て込んでいて・・・ 」
「 言い訳は結構です・・・お2人とも、今しばらく外でお待ち下さいませ 」
「 で、でも玉葉。子龍さまは私を抱えているし、怪我も・・・ 」
「 これも鍛錬だとお思いくださいませ。こんな部屋に、病人を寝かしつけることなど出来ません! 」


さっきとは比べ物にならないほど強く扉を閉められ、追い出された私たちは目を合わせて笑った。


「 本当に、小さい頃から玉葉には敵わないな・・・今でも、だが 」
「 あははは! 」


声を上げてひとしきり笑った後、ふいに子龍さまが目を細める。
その仕草にどきっと胸が高鳴らせた私は伏し目がちに俯き、しばらく黙ったままだった。
何を話して言いかわからない・・・そんな空気の中で、ふいに彼が溜め息を吐いた。


「 子龍さま・・・?どうされました?? 」
「 うん・・・いや、、実はあのと 」
「 さあさ!お待たせしました。お入りくださいませ 」


閉じられた時と同じ大きさの音で扉が開くと、何か言おうとしていた子龍さまが慌てて口を噤む。
首を傾げて見上げる私に首を振り、整えられた執務室に入る。
・・・さすがは玉葉、と言うべきか。準備前の部屋を見ているからか、踏み込んだ部屋は別の室か と思うほど整理されていた。これほど僅かな時間でこうも綺麗に出来るなんて( す、凄い )
私も充分驚いているんだけど、子龍さまに比べたら・・・と、ちらりと視線を持ち上げる。 案の定開いた口が塞がらない、といった子龍さまは、玉葉に言われるまま私を仮眠室へと運んでくださった。


「 仮眠室は専用の部屋にすると良い。執務室を挟んだ向こうにある客間に、私はいるから 」
「 はい、ありがとうございます 」
「 玉葉、落ち着いたら声をかけてくれ 」
「 かしこまりました・・・さ、さま、お疲れでしょう。すぐに湯をお持ちしますね 」


そういえば、どこもかしこも煤だらけ。足元も袖もところどころ焼け焦げている。 せっかく玉葉に綺麗な部屋を用意してもらっても、これでは・・・と一人苦笑して、用意してもらった お湯に身を浸けた。怪我をした足の甲までは無理でも指先だけは、と手伝ってくれた玉葉も丹念に洗ってくれた。
どこからか調達してくれた清潔な衣に袖を通し、子龍さまのいるお部屋との中間地点、 執務室の長椅子に腰を下ろす。気持ちもすっきりしたのか、うーんと大きく伸びると身体も解れて 逆に睡魔に襲われそうだ。お茶を持ってきた玉葉が、さま、と声をかけてきた。


「 隣室の趙雲さまも、こちらのお部屋にもうじきいらっしゃるそうです。しばらくお待ち下さいませ。
  私は家人たちの様子を見てまいりますので、一度下がらせていただいてもよろしいでしょうか 」
「 ええ、よろしくお願いします 」
「 ・・・皆、勇敢な趙家の主に感謝しておりましたよ。後のことは私にお任せ下さい。では 」


頭を下げて玉葉は退室する。そんな彼女に苦笑して、淹れてもらったお茶を飲んだ。
怒られはしても、褒められたことじゃないとは思うんだけどな・・・一歩間違えば命がなかった、という ことには変わりないんだし。これが他の人なら絶対にして欲しくない行動だもの。


身体と一緒に洗った首飾りを見つめる。これが手元に戻ってきたということは、伯言も一人で歩き出した証拠。 私もそれを受け取ったからには・・・彼と決別し、前を見て歩かなきゃ。


「 ( そういえば・・・子龍さま、遅いな ) 」


ちらりと客間の方へと視線を向ける。差し込む日差しも、映る影の形も変化がない。逆に静か過ぎる気もした。 部屋を覗いても怒られないかしら・・・と心配になりながらも、私は長椅子を立った。










薄く、透けるような白布で、執務室と客間は仕切られていた。
その空間を布越しに覗くと、確かに子龍さまが客間の椅子に背を向けて座っている。 けれど、動かない。その肩だけが規則的に上下しているのが見えた。 もしかして眠ってしまわれたのかしら。


「 ( だとしたら、風邪を引かないように、何か身体の上にかけるもの探さないと・・・ )』


どんなに立派な武人だとしても、子龍さまがお疲れなのは至極当然のこと。
戦を終えてようやく帰ってきたと思ったら、奇襲された成都で邸は燃えているし、 妻である私は火の中に飛び込んでいるし・・・改めて申し訳なかったなと思う。
仮眠室から羽織ものを持ってきた私は、室内にそっと足を踏み入れる。
すると、目を擦った子龍さまが気だるそうに身体を起こして、大きく伸びた。
彼も身体の汚れを落としたのだろう。鎧を脱ぎ、寛ぐような格好に着替えていた。


「 ・・・ん、か?ああ、そうか・・・すまない、声をかけてくれと言ったのは私なのに 」
「 お疲れのご様子ですから、このまま休まれてはいかがですか? 」
「 いや、大丈夫だ。玉葉は? 」
「 みんなの様子を見てくるそうです。お茶の用意、こちらに運びましょうか? 」
「 茶も飲みたいが・・・先に、確認したいことがあるんだ。おいで 」


背中の傷をかばうように、椅子にもたれかかった姿勢の彼に手招きされ、私は傍へと歩み寄る。
子龍さまが手を伸ばせば届く距離・・・よりも一歩手前でちょこんと立つと、ふるふると首を振って 更に手招きされた。も、もっと近づいて来いということかな。
距離を測りながら一歩、もう一歩と進んだところで、とうとう子龍さまの手が伸びて引っ張られる。
怪我をしていることもあって簡単に彼の胸へと飛び込んだ。悲鳴を上げる暇もなかった。


「 し、りゅ、さ・・・・・・っ、 」


体勢を整わせる暇もなく唇を掬うように子龍さまの唇が押し当てられた。長い前髪が後を追うように頬を撫でる。 しかし唇の感触を感じる暇なくすぐに離れた。恐る恐る小刻みに震える睫を持ち上げると、 バツの悪そうな顔で機嫌を伺うように、子龍さまが私を覗きこんでいた。


「 陸遜殿に向けた言葉は・・・真実、か?こういうことをしても怒らない? 」
「 ・・・あ・・・ 」
「 も、私に恋をしていると自惚れてもよいのだろうか・・・それともあれは幻だったのだろうか 」
「 まっ、幻じゃありません! 」


咄嗟に否定したものの、自分の発言が『 熱 』を加速させる。手を当てた頬がとんでもなく熱い。
・・・本当は顔から火が出てもおかしくないくらい、はっ、恥ずかしい、な・・・。
だけど・・・何度も何度も、あの炎の中で後悔した。このまま伝えられずに死んでいくのは無念だと。
あの時の悔しい想いをもう二度と味わいたくないと、心から思うから。






「 ・・・私・・・子龍さまを、お慕いしております・・・ 」






今更何を、と笑われてもいい。これが私の・・・今の、正直な想い、だもの。






「 私の初恋は伯言でした。蜀へ来た時、伯言以外の人を愛するなんて考えられなかったのです。
  でも・・・その人柄に触れて、私は彼以外の人に恋をしました。お優しい子龍さま、貴方に・・・ 」
「 ・・・ 」
「 ご存じの通り、ずっと迷っていました。支えてくれていた彼を『 裏切る 』ような気がして。
  答えを待ってくださった子龍さまには本当に感謝しています。辛い思いをさせてごめんなさい。
  おかげで私・・・ようやく、声に出して告白できます。子龍さまが好きです、大好きです。
  改めて子龍さまの妻になりたい。だから、私にもう一度『 誓って 』はくださいませんか・・・? 」


そう言うと、間近にあった彼の顔がゆっくりと染まり、笑顔になっていく。
よし、と頷くと、身体を起こして椅子から降りる。立ち上がった私の足元に膝を折り、頭を垂れた。


「 この趙子龍・・・殿を妻に向かえ、この先の道を共に歩むことをお約束致します 」
「 ありがとうございます。私も、夫である子龍さまを支え、共に歩むことを誓います 」


軽い既視感に眩暈を起こしそうになる。3度目にしてようやく・・・私も、共に誓える。
子龍さまを夫とし、生涯傍に居ることを。それが真の望みであると、ここに声高らかに宣言できる。


「 ・・・そうか。そう、言ってくれるか。礼を言うのは私の方だよ、ありがとう 」
「 子龍さま・・・ 」
「 これからも傍に居て欲しい。私も貴女が好きだよ、 」


嬉しい、と微笑むと両手を広げた子龍さまの胸にそっと飛び込んだ。
優しく抱き締められて、何度も小さな声で、愛している、愛している、と耳元で囁かれる。 その度にどこかくすぐったい気持ちになるのだけど・・・愛の呪文は小さな光になり、胸の中を 温かい気持ちにさせるのだ。幸せで、幸せ過ぎて今度は胸が潰れそう。






すっと顔を持ち上げると、子龍さまが顔を近づけてくる。
受け止めるように瞳を閉じると・・・嬉しそうに、その唇が持ち上げられたのを見逃さなかった。


甘い口づけ。じわりと沁み込む温もりに、心も身体も蕩けそうだった・・・。






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