食べ終えた食器は、また陸遜が部屋の外へと運んでくれた。
私が何度手伝いを申し出ても、休める時に休んでおきなさい、と言われるばかりで・・・今夜は 彼の言う通りにしていようと、大人しくしていることにした。
小さな窓からぼんやりと外を覗けば、すっかり夜の帳が降りていた。窓から見える灯の数は少ない。 夕方に見渡した時の印象ではそんなに大きな邑ではなかったみたいだし、 みんな明日に備えてもう休んでしまったのかもしれないな・・・。


片づけを終えて戻ってきた伯言が、窓辺に立っていた私の傍に並んだ。 視線を移しても、彼は何か考えてているのか・・・無言で窓の外を眺めていた。声をかけずに、 私も立ち尽くす。じじ、っ・・・と室内を照らす蝋燭の火の音だけが響いていたが、 やがて、、と静かに名前を呼ばれて彼と向き合った。


「 以前にも言いましたが、兼ねてより念願だった貴女を妻として娶る許可を孫権さまに頂きました。
  練師さまのお口添えもありましたからね。でもあの夜・・・私は貴女を諦めようと決めました 」
「 ・・・うん 」
「 本気で身を引こうと思ったのに、離縁の話が上がったという事実を尚香さまから聞いた時・・・。
  あの夜、無理矢理にでも攫ってしまえばよかったと後悔し、貴女を『 奪う 』決意をしました。
  ああ、人が嫉妬と呼ぶ感情・・・これ程黒い感情を、人間は抱くことができるのだと気づきました。
  蜀との同盟も、これから始まる戦のことも忘れて、ほんの数日間・・・罪を罪と思わなかった。
  そんな暗闇に光明をもたらしたのが、この首飾りです 」


お返ししますね、と伯言は自分の首元に手を伸ばす。琥珀の首飾りだ。
あ、と口を開いた私に微笑むと、そっと首にかけてくれた。胸元に懐かしい重さが戻ってきた。


「 と趙雲殿に・・・2人に謝りたいと思いました。不埒な考えを抱いた自分を叱って欲しかった。
  失念していたのです。私はの幸せを願っていたのに、奪うことが彼女の幸せになるのかと。
  趙雲殿の傍に有るのが貴女の『 幸せ 』なら、現実を受け入れなくてはならない・・・と 」


言葉に詰まるように、ぐっと苦しそうな顔をして胸を押さえた。しばらく閉じていた目を開いた伯言は、私の手をとり自分の指を絡ませる。 熱を孕んだ視線に胸が高鳴った。こみ上げる予感に感情が高揚し、自分の瞳が潤むのがわかった。


「 ・・・伯言・・・ 」
「 何度諦めそうになっても、その度に貴女をどれだけ愛しているか、その度に気づかされました。
  が暮らす成都に戦の気配があると知ってから、居ても立ってもいられなくなりました・・・。
  そわそわと落ち着かない様子だったのが、貴女のことだと周囲に気づかれていたのでしょうね。
  魏との戦の勝利が目前だとわかると、孫権さまが先に離脱しても良いと許可してくださいました。
  にあと一目でいい、これで最後になってもいいから逢いたいと思ったから・・・私は・・・ 」
「 わ・・・私も、ずっと逢いたかった!ずっと迷って、ずっと後悔してた、の・・・。
  自分を見失って、子龍さまにも伯言にもたくさん辛い思いさせちゃったね・・・ごめんなさい・・・ 」
「 いいんです、いいんですよ、。今は貴女がこうして傍にいる。手の届く範囲にいるのです。
  ・・・だから、改めて言わせてください 」


彼は優しくくすりと笑うと、絡ませていた指を解き、私の両手ごと自分の手の平で包む。
真っ直ぐ見つめる伯言の口がゆっくりと開き・・・愛の言葉を紡いだ。








「 愛しています、。この陸伯言の妻になっていただけませんか 」








簡潔で、だけどこれ程全ての想いをまとめた言葉はなかった。








「 ・・・はい。私も、伯言を愛してる。ずっと前から好きだったんだよ 」








正直に伝えて、結ばれるまで色んな障害や複雑な思いのおかげで、随分時間がかかったけれど・・・。
今、この瞬間・・・ようやく積年の恋は実ったのだ。


知ってます。脈があるんじゃないかって思ってましたけれど、自信が持てませんでした。
そう言って、真っ赤に頬を染めた伯言は顔をくしゃくしゃにして嬉しそうに微笑む。
あ・・・伯言でもこんな顔するんだ。子供みたいな笑顔って、初めて見たかも。 いつもの澄ませた顔しか見たことない人が見たら、腰を抜かすだろう。
ふふっとくすぐったそうに私も笑う。と、伯言がちゅるりと音を立てて唇に吸い付いた。


「 はっ、伯言!?何を急にッ! 」
「 あまりに可愛らしい笑顔を浮かべるが悪いのですよ。だから・・・堪えきれなくなる 」
「 んっ!あ、は・・・伯、言・・・っ 」


温かい唇。胸の内を現すように震えた睫を閉じると、伯言が角度を変えてまた唇を押し当てる。
片手を私の頬に添えて、動かないよう固定する。 固定されたことに驚いた隙に舌が侵入して、息が詰まった。しがみつくように彼の胸元を掴む。 薄く開いた瞳に映るのは、眉間に皺を寄せてどこか苦しそうな表情を浮かべた伯言。 力の抜けていく私の身体を支えながら、唇を散々貪り・・・落ち着くのにはそれなりの時間を要した。
額を合わせて、上がった吐息を整える間も、首筋から耳たぶ、頬へと順々に彼は人差し指を滑らせる。
指に導かれるように湯気のように立ち上る淫蕩な気配にぴくりと身体を震わせると、 伯言の笑う気配がした。強張った身体を抱きしめて、吐息混じりの声が耳元で囁く。


「 ・・・触れてもいいですか?今度こそ、貴女の全てを私のものに 」


素直に嬉しいと思った。だって、何故あの時身を委ねなかったのかと自分を責めた時もあった。
・・・でも私の身体は、あの時のままじゃない。子龍が既に触れた私に触れるのは嫌ではないの?


「 どうしてそんな些細なことを気にするのですか?愛した人を抱くことに変わりはないのですから。
  では逆に、私が今まで交わった女の人の数を気にしますか? 」
「 き・・・気に・・・ 」
「 気に? 」
「 なるっ!!」


と言った瞬間、ぶふっと伯言が笑った。淫らな雰囲気とやらも逃げ出す勢いで笑い転げた彼を睨む。
そっ、そんなに笑わなくてもいいのに・・・ッ!!( やっぱり伯言の馬鹿馬鹿っ!! )
好きな人のこと、全部知りたいって思うのは悪いことじゃないでしょ・・・?
怒りに拳を震わせていると、ようやく立ち直った彼が苦笑交じりに私の頭を撫でた。


「 残念ながら『 その行為 』が仕事の一環でだった時もあるので、数えないことにしているんです。
  けれど、望んで触れたいと思ったのはだけですよ・・・という答えで我慢してください 」
「 ・・・誤魔化された気がする 」
「 誤魔化していません。それに趙雲殿に身を委ねたを過ちというなら、私はその過ちごと愛してる。
  嫁がせたのは他の誰でもない・・・私なのです 」
「 ・・・でも、 」
「 愛しています、だから触れたい。貴女を抱きたい。私を受け入れていただけますか? 」


あ、改めてそう言われるととんでもなく恥ずかしいんだけど・・・伯言は真剣だ。
私は恥ずかしさに視線を泳がせていたけれど・・・逃げられないことを悟って彼に合わせると、こくりと小さく頷く。 ようやく答えをもらって安心したのか、ほっとしたように彼は表情を緩めた。
軽々と横抱きに掬うとそのまま簡素な沐浴へと向かう。宿の一室はそんなに広くない。 たった数歩の距離なのに、これからのことを想像すると暴れずにはいられなかった。 気持ちを紛らわせるために、媚薬は使わなくていいのか嫌味っぽく尋ねてみると、意外にも伯言は真面目に頭を捻る。 そして、


「 二度とないと思いますが、あの日の貴女はこの世のものとは思えないほど卑猥で魅惑的でした。
  でも今後は、媚薬以上に・・・『 私 』の虜にして差し上げますよ?覚悟してくださいね 」


と含み笑いを浮かべた。やっぱり彼の奥様になるのは大変そうだ、と思ったら何だかおかしくて。
同時に、ああ、本当に彼のものになるんだって実感した。幸せで・・・涙が出そうだった。






私は・・・この先も、ずっと彼に溺れてもいいんだ・・・。


媚薬を飲まされても、醒めない熱に・・・・・・今度こそ、未来永劫。






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