角度は、このくらいで・・・いち、に。




心の中で数えて頭を上げると、前に立っていた練師さまがふわりと微笑む。
上出来ですわ、と小さく拍手を送られると、何だか気恥ずかしくて、誤魔化すように頬を掻いた。
練師さまにこうして教えていただいてから、それなりの時間も過ぎたから・・・。
先生、というよりも、年齢の近い『 姉 』のように思えてきて ( 恐れ多いけれどさ・・・ )褒められちゃうと、どんどんやる気が出てくる!!


「 ありがとうございます!次は、何を教えてくださるんですか!? 」
「 さま・・・残念ながら、私がお教えできることは、もうございません 」
「 ・・・練師、さま・・・? 」


寂しそうに笑むと、休憩しましょうか、と椅子を勧めてくださったので、そこに座る。
冷茶を運んできた侍女が、焼き菓子の入った籠も一緒に持ってきた。


「 陸遜さまから、お二人へだそうです 」
「 まあ・・・陸遜さまも、まめな方ね 」


いつからか、礼儀作法の時間を見計らって、陸遜さまから贈り物が届けられるようになった。
それは日によって、お茶だったりお菓子だったり、珍しい果物だったり、と・・・。
自分と練師さまの目を、楽しませるものだったりする。
今日は、焼き菓子。それも私が大好きな、呉の銘菓だったりするんだけど・・・。


「 ( どこで、聞きつけてきたんだろう・・・ ) 」


ぱく、と一口かじる。
私が、美味しい!と唸ったお菓子は、次から『 陸遜さまからのお届けもの 』として、 何度も机の上に並んだ。ついつい手が伸びるので、太ってしまいそう・・・。
・・・もしかして、練師さまから伺ってるのかしら・・・。
でも、最近はそんなに口に出さないようにしているのに、やっぱり当てられてしまうのだ。
伺うように練師さまを見ると、涼しい顔をして優雅にお茶を飲んでいる。
まさか、ねえ・・・と頬張っていると、ああ、そういえば・・・と思い出したように、彼女が呟いた。


「 孫権さまが、一度さまに登城するよう仰せなのですが 」


何の構えもなく、頷きそうになったが・・・喉にお菓子が詰まって、胸を、叩いた!
苦しそうに背中を丸めた私に、練師さまが慌てて駆け寄る。
受け取ったお茶を飲み干しても、まだ苦しそうな私を、練師さまが心配そうに見つめていた。
あ、あの・・・今、何て・・・と言葉を詰まらせると、ようやく何に驚いたのか気づいたようだ。


「 孫権さまが、一度・・・顔を合わせて、さまに謝りたいと仰せです 」
「 謝り・・・? 」
「 国や政治のために、貴女の人生を狂わせてしまうことを、と 」
「 ・・・・・・・・・・・・ 」


孫権さまは、私の『 事情 』をご存知なのだろう。握りしめていた茶碗を、机の上に置いた。


「 ・・・よく、わかりません 」


練師さまの瞳を真っ直ぐ見つめて、私ははっきりと告げた。


「 両親を亡くしても、幸せでした。『 私 』として生きた人生に未練がないと言えば、嘘です。
  けれど・・・練師さまに、こうして礼儀作法を教えていただいて。
  これもまた、私には幸せなことだと思えるんです 」


政治の道具として、他国に嫁がせられるだけの、憐れな女なんかになりたくない。
勉強は嫌いじゃない。新しい知識を得るのは楽しい。この先の未来が『 未知数 』なのは・・・ 両親が死んだ時に学んだから。それは、どんな『 私 』でも同じこと。
あるがままの運命を受け入れるって勇気がいるけれど、目を逸らしたら負けだ。


すると、突然、肩を揺らして笑った。練師さまがこんなに笑うなんて・・・とちょっと驚いた私に、 ごめんなさいね・・・と言うが、彼女の笑いは止まらない。


「 ふふっ・・・さまは、陸遜さまとよく似ていらっしゃるのね 」
「 え 」
「 陸家を継いだ時、同じように仰ったそうです。受け入れた『 運命 』を自分のものにするのだと 」
「 ・・・伯言、が・・・ 」
「 さま・・・まだ、陸遜さまのこと、お許しいただけませんか 」
「 ・・・・・・・・・ 」


震えることはなくなったけれど・・・思い出すだけで、身体に力が入る。
彼は軍師であると同時に、武人なのだ。躊躇いなく人を殺せる。
戦場では当然のことかもしれないけれど・・・でも、一般市民の私には、それが怖い。






『 本当に・・・本当に、申し訳ありませでした・・・ 』






でも、私なんかに・・・ああやって頭を下げてくださったことを、忘れてはいけない。
もしかしたら、彼も謝るきっかけを、待っていたかもしれないのに・・・。
(  そうじゃなきゃ、あんなに澄んだ笑顔には・・・ならなかったかも、しれないじゃない )


「 私は・・・陸遜さまを許すとか許さないとか、そんな大層なこと言える身分じゃありませんから 」
「 ・・・でも、さまは・・・ 」
「 怖いだけなんです・・・でもそれも、きっかけがあれば、克服できるような気がします。
  ただ、きっかけ、だなんて・・・嫁ぐ私には、関係ないのかもしれませんけれど・・・ 」
「 ・・・・・・・・・ 」
「 孫権さまに、お逢いします。よろしくお伝えくださいませ 」


卑屈になってるつもりはないけれど、彼のことに関しては自分の中では『 特別 』なのだ。
練師さまだって、十分身分の高い方だけれど・・・遠いからこそ、権威は逆に霞んでしまう。
それに、初めてで逢った時の伯言のように、権力を振りかざしはしなかった、から・・・。
ふと気づくと、練師さまが私の手に自分のを重ねていた。
そして、承知いたしました、とにっこり微笑んだ。


「 当日はめいっぱい着飾って、殿方たちを圧倒してやりましょう!! 」


・・・なんて、練師さまらしからぬ発言に、私は思わず吹き出した。
彼女は真っ赤になったけれど・・・・・・嬉しかった。
きっと・・・練師さまは、私を元気付けようとして、そう言ってくださっているんだ。


こんなに大笑いしたのは、久しぶりで・・・自然と口にした。


「 ありがとうございます 」


その言葉が・・・伯言と、重なる。あの時は、私が少しだけ、歩み寄ろうとした時だった。
深い意味なんかなくて、相手の思いやりに、気遣いに・・・お礼を述べたまで、で。
何だか、あそこで口にした伯言の気持ちが、少しずつわかってきて。
( でも、それを素直に認めたくない部分もあって・・・うん、複雑だ、ちょっと )




もやもやとしてきたものを誤魔化すために、もうひとつ、焼き菓子を口に放り込んだ。







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