「 以上だ 」
と言うと、俺の報告を背中で聞いていた主が動かしていた筆を止め、こちらへと向き直る。
ようやく正面から顔を拝める・・・そう思ったのに、彼女はそのまま流れるような動作で平伏した。
「 お疲れ様でした。今日はこのまま、ゆっくり身体を休めてください 」
「 主、 」
「 持ち帰った資材、後で確認させてもらうね。それから・・・あの、私、急ぎの仕事があるから・・・ 」
「 ・・・・・・わかった 」
早々に立ち去れ、ということだよな。
最近はいつもこの調子だ。目も合わさず、報告と連絡事項以外の会話もない。
避けられているかも、なんて程度じゃない。露骨なまでだったが、責めることは出来なかった。
「 ( そうだな、嫌われて当然だ。俺は写しだからな ) 」
それでも、口の端から零れてしまった小さな溜息は、彼女に聞こえてしまっただろうか・・・。
再び背を向けて、黙々と手を動かす主。その背中からは何も読み取れない。
俺は、しばらくその場に座ったままでいた。
気まずさを感じてでもいいから、といつも期待するが、やはり今日も振り向いてはくれないらしい。
諦めて静かに立ち上がり、室の襖に手をかけた。と、そこで、主様、と外から声がした。
「 どうぞ 」
「 失礼いたします。お茶をお持ちいたしました 」
襖を開ける。俺の足元にちょこんと立っているのは、管狐のこんのすけだった。
この本丸で俺と主以外の唯一の存在。政府との連絡係を担う彼は、時々ふいに本丸に現れる。
「 これは山姥切国広。遠征だったと主様からお聞きしました。お疲れ様です 」
「 いや 」
無邪気な笑顔を浮かべて、襖の隙間からするりと入りこむ。
器用に背中に盆を乗せ、その上に熱々の茶を淹れた湯のみが鎮座していた。
白くて丸い身体の、どこをどう動かしたらそんな器用なことができるのだろうか・・・。
考えるのはよそうと頭を振って、最後にもう一度・・・を振り返る。
丸まった背中を見つめるだけだが、それでも、名残惜しくて振り返らずにはいられなかった。
切なさが胸にこみ上げたが、未練を断ち切って踵を返した。
「 ・・・? 」
く、と左足にひっかりを感じて、足元を見やる。こんのすけだった。
口を開こうとした俺に、し、と指・・・いや、肉球を口元に当てて見せた。
彼の手先が、廊下側の下桟を示す。ここで待機していろ、ということだろうか。
どんな意図があるかはわからなかったが、とりあえず頷いて、指定場所に立つ。
こんのすけは笑みを浮かべて主の傍らへ近づくと、背中の湯飲みを降ろして机に置いた。
「 ・・・・・・ぷ・・・・・・っ、はぁぁああ!!! 」
筆を握っていた手がぷるぷるぷるっと震えて、硯に置くと、彼女は後ろに盛大にひっくり返った。
どてーん!と派手な音がして、襖の隙間から見ていた俺は思わず手を出そうとして、引っ込める。
肩で息をしていたが、は、と最後の吐息が空気に溶けたのを見計らって、こんのすけが声をかけた。
「 大丈夫ですか?主様 」
「 ・・・大丈夫じゃないよ、こんのすけ・・・私、もう、色々と挫けそう 」
鼻を鳴らした彼女は、べそをかいているのかもしれない。
「 私の役目は、主様が円滑に業務を遂行できるようお手伝いすることです。
何か悩み事があるのでしたら、このこんのすけめにお聞かせいただけませんか? 」
心配そうな声音、もしくは彼女の視界で揺れているであろう尻尾に目を奪われてか。
のろのろと身体を起こすと、目元を拭った。
左右に揺れる尻尾に、そろりと手を伸ばして触っていた。そして。
「 ・・・独り言だよ?誰にも言わないでね 」
と断ってから重い口を開く。
「 まんばくんに、取り返しのつかないこと、しちゃった 」
チチ・・・と羽ばたいた外へと視線を向けて、ぽつりと零す。
彼女とは、いつの間にか食事も一緒に取らなくなった。逢って話すのは遠征の報告や出陣命令の時だけ。
だから気づかなかった。久々に見た彼女の横顔は、酷く疲れた顔をしていた。
・・・痩せた。ちゃんと精のつくものを食べているのか、急に心配になってきた。
「 取り返しのつかないこと、とは? 」
「 んー・・・まんばくんを愚弄するようなこと、かな。すごく後悔してる。
・・・どうしてあんなことしちゃったんだろう。潔癖な彼なら絶対嫌がるってわかってたことなのに。
でも、他の本丸で受け入れられてることなら、私もしなきゃって焦ってたんだ 」
「 ここは、主様の本丸でございます。主様が良いと思うことをすれば良いのでは・・・ 」
「 そうだね。だから・・・こんなに複雑になっちゃったんだと思う 」
は自嘲的な笑いを浮かべて、こんのすけの淹れた茶を啜った。
「 良くないと解っていても、焦って目が曇った。まんばくんは、それを諫めてくれたの。
正しいのはまんばくんの方。初期刀が道を正してくれたのに、咄嗟に私が反発してしまった。
だから、私、後になってものすごく恥ずかしくなって・・・彼に合わせる顔がなくて、困ってる。
すぐ謝ればよかったのに、できなくて、そうこうしているうちに色んなこと考えちゃって・・・ 」
俺の位置からでも解る。彼女が赤い瞳を瞬かせると、一粒、涙が零れた。
最初の涙が膝に落ちると、堰を切ったように後からとめどなく流れて、容赦なく頬を濡らした。
歯を食いしばった。こみ上げるやるせなさを何とか堪えて、被っていた布の端を握るに止まった。
こんのすけも駆け寄り、顔を覗き込む。
「 主様・・・ 」
「 こんな情けない主だとは、って、まんばくんに軽蔑されてるかもしれない。
顕現するんじゃなかったって後悔されてたらどうしよう。そう思ったら怖くて、彼の目が見れないの。
謝りたいのに、素直になれなくて、胸が苦しくて、引き千切られそうっ・・・!
いっそ消えてしまいたい・・・でも、そうしたらまんばくんは・・・ 」
「 主様、一度、山姥切国広と話をしましょう。私が呼んで参りますので・・・ 」
ちら、と投げかけられた視線に頷いて、飛び出そうとした。
しかし、だめ!!という主の強い声に、俺もこんのすけも動きを止めた。
「 やめて、こんのすけ!私・・・自分から、きちんと謝りたいの。
気持ちを整理をしたら、必ず話すわ・・・今はそっとしておいて 」
お願い、と喉から絞り出た震える声に、さすがのこんのすけも堪えたらしい。
浮いていた尻尾を降ろして、わかりました、と残念そうに返答した。
審神者が任務を遂行することに集中できるよう、刀剣男子との関わりも気にかける。
管狐の役目のひとつだが、無理強いして更にこじれても、と思い直したのだろう。
「 くれぐれもご無理だけははさらぬよう。その為に、私がおります故 」
「 うん・・・ありがとう 」
彼女は弱々しく微笑んで、こんのすけの頭を撫でた。
そして、ふっと視線を天井に向けて、
「 ・・・早く、まんばくんと元のようにお話ししたいなぁ・・・ 」
と、ぼんやりとした口調で呟く。
それを聞いた俺は、誰も見ていないのに、隠すように口元を手で押さえた。
ぎゅっと瞳を瞑る。睫毛の震えが収まってから、手を離して唇を結ぶ。
・・・これ以上の逗留は必要ない。今度こそ階段の手すりに手をかけて、その場を後にした。
階下に降りて、廊下を歩く。自然と歩みが早くなった。
「 ( 問題無い・・・これで、俺は待てる。あいつはあいつなりに考えている最中だから ) 」
俺と話がしたいと言ってくれた。
元のように、とはあの事件が起こる前のように、ということだ。
・・・その言葉だけで十分だった。一番欲しい言葉をもらって、足取りが軽くなる。
彼女が俺と同じ気持ちだった。それだけでこんなにも満ち足りた気分になるとは・・・。
と話せないのは、目も合わせてもらえないのは、辛い。
それは、俺と彼女しかこの本丸にいないからということではない。相手がだからだ。
こんなにもどかしい想い・・・初めてだ。人間の心とは、何と・・・・・・。
遠征中は内番が手隙になる。
彼女だけでは、畑も馬も、両方に手をかけて面倒見ることは出来なかったはずだ。
よし、と自然と気合いが入って、まずは着替えに、と自室へと向かう。
振り向いて、が笑む。
いつかもう一度笑いかけてもらえる日が来ると考えるだけで、なぜか心が逸った。
この気持ちの正体を・・・俺は、まだ知らない。
この旅路は桜色
(04)
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Title:"春告げチーリン"
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