慣れた浮遊感。
徐々に弱まり、左足のつま先に感じた大地に、両足をついて着地する。
かち、り・・・と時計の針が止まる音。自分の身体を包んでいた金色の光が収縮して、消えた。
「 ・・・まんばくん・・・? 」
転送装置の起動に気づいていたのだろう。
本丸の天辺にある自室から覗いて、階下を見下ろした様子の、主の声がした。
・・・そして、息を呑んで両手で口元を覆う気配も。
だだだだ!と階段を転げ落ちそうな勢いで降りてきて、裸足にも構わず庭へと飛び出してくる。
俺を支えようと、必死に両手を伸ばしてぼろぼろになった布ごと抱き締めてくれた。
「 まんばくんっ!しっかりして!! 」
「 騒ぐな、落ち着け 」
「 こ、これが落ち着いていられるわけないでしょう!?しっかりして、今、 」
「 これくらい平気、だ・・・くッ・・・!!! 」
崩れ落ちる身体を支えようと刀身を地に刺そうとしたが、それも叶わず。
からん、と乾いた音を立てて、地面に刀が転がる。続いて、俺自身も倒れた。
脱力した身体は、到底女性の腕に支えられるものではなく。
覆い被さった俺の下で、きゃあ!と悲鳴が上がる( す、まない・・・ )
は俺の身体をずらして這い出ると、土の上に座りこみ、自分の膝に俺の頭を乗せた。
必死の形相で俺を揺さぶる。まんばくん!と叫ぶ度に、頬を打つ彼女の涙。
大丈夫だ、。俺は、大丈夫、だから・・・。
「 そんなに・・・な・・・ 」
情けを、かけないでくれ。
「 まんばくんっ!?だめ、しっかり、しっかりして・・・まんばくんッ!!! 」
大粒の滴を顔に浴びながら、視界が暗くなっていくのを感じた。共に意識も沈んでいく。
ごぽり・・・と水音がして、俺は堕ちていく。
それでも、主の泣き声が耳から離れることはない。まんばくん、まんばくん、と俺を呼ぶ声。
( ・・・俺のことはいい、泣くな。俺を想って泣くな )
そんな風に泣かれたら・・・どうしていいかわからない。
・・・あの時のことだって、そうだ。
( 俺は・・・を、抱いてやればよかったのか・・・? )
他の本丸の『 山姥切国広 』はそうしていたのだろうか。
明確な答えを探して、今も俺の脳内を彷徨い続けている問い。
いっそ理不尽に責めて、あたってくれてもよかったんだ。いや、その方がずっといい。
そうすればあの夜、あんな苦しそうな笑顔を見ずに済んだのに・・・。
待っている。俺はずっと、待っていられると思ったんだ・・・。
俺と元のように話をしたい、というの思いを耳にした時から。
・・・でも、あれから季節は変わっても、俺と彼女の関係に変化はなかった。
何が足りない?何がいけないんだ?まだ心の整理はつかないのか?俺が写しだからか?
時間が経つほど距離が開く気がして、不安に心が絡めとられる。
その結果・・・初期刀として、近侍として、主の傍に居る意味を見失いそうになってしまう。
俺は『 山姥切 』の写しだ。偽物として、日陰の身であることを承知で人の形を成している。
そして・・・あんたの刀剣男子の一人に過ぎないことも。
今は二人きりだ。だけど、いずれは力量に見合った本数の刀剣男子が必要になる。
集まるであろう名刀の中に俺なんかが埋もれてしまうことなど、最初から知っていた。
優しくされたいわけじゃない。目をかけて欲しいわけじゃない。でも。
「 ( ・・・でも・・・ ) 」
あんなことがあっても、いや、あんなことがあったからこそ、俺は彼女を放っとけない。
・・・、あんたが泣くと、悲しい。あんたが笑うと、嬉しい。
戦場から帰る俺を、心待ちにしている主が住まう本丸は、陽だまりのように心地良い。
独占欲なんて醜いだけだと思っていたのに、時々、このままでもいいんじゃないかと思う。
写しだから構わないでくれと思う。なのに、相反する気持ちが俺の中に在る。
「 ( 俺は、のために、どう、す、れば・・・ ) 」
深淵から浮き上がるように、ふ、と目が覚めた。
それでも世界は暗かった・・・いや、仄暗い。僅かに揺らいだ蝋燭の火に視線を奪われていると。
「 気がついた? 」
すぐ傍に、がいた。
「 ・・・あんた、 」
「 動かないで。今、手入れするから 」
起き上がろうとした俺の胸に手を置き、そっと力を籠めた。寝ていろ、という意味らしい。
天井を見上げると、確かにここは手入れ場のようだ。仄暗いのは、穢れを払う気を高めるためだ。
部屋の各箇所に布陣された札と蝋燭、清められた水を張った桶。
俺の傍らに腰を下ろしたは、そっと手拭いを浸した。
「 独りで、出来るというのに 」
「 強がり言ってるけどね、結構重症だよ 」
「 しかし・・・ 」
「 こう言えばいい?まんばくん、私に手伝わせて。お願い 」
やや棘のある言い方に、俺は黙った。珍しく怒っているらしい。
久々に見せた彼女の『 素 』の顔に、こんな時だというのに・・・心が弾む。
無遠慮に浮かぶ笑みを隠そうと、顔を背けたのを諾と受け止めたのか。は手を動かし始める。
固く絞った手拭いを手に、ひとつ、ふたつ、と深呼吸して、よし、と気合いを入れた。
「 いくよ、まんばくん! 」
は、俺の身体を蝕む穢れのひとつに向かって、手拭いを押し当てる。
この本丸の手入れは、清められた手拭いに穢れを移して取り除く、という方法をとっている。
じゅううっ!と穢れが焼ける音がし、同時に、傷口を通して身体中に痺れが走る。
「 ぐ・・・、ぅッ!! 」
いつまで経っても、この痛みには慣れない。
歯を食いしばって耐えていると、がぱっと傷口から手を離して、手拭いを桶の中に放った。
桶に浸かった手拭いから白煙が上がっている。
清水に触れ、穢れが霧散しているのだ。空気に霧散してしまえば害はない。
次いくよ、とが言った。二枚目の手拭いを取り、別の傷に押し当てる。
・・・人間の痛覚とは不思議なもので、次第に、痛みに慣れてしまう。
声を上げてしまったのは、最初の一回だけで済んだ。だが、最後の穢れを布に移している最中、
「 ・・・っ!! 」
「 主! 」
僅かに、手拭いを引き上げるのが遅かった。
その数秒を見誤ったせいで、にまで穢れが移ってしまったようだ。
抑えた右手の人差し指が、俺の身体にあった穢れと同じ色に染まっていた。
苦痛に顔を歪めた彼女だったが、冷静に、反対の手でさっと手拭いを押し当てて拭った。
「 主、大丈夫か、主! 」
「 ふう・・・大丈夫、続けるね・・・ 」
「 少し休め、俺のことはいいから! 」
「 よくない。これくらい平気だから、ね 」
額に玉の汗を浮かべているくせに、弱々しくも微笑む。
安心させようとしているかもしれないが、そんな笑顔、求めていない。
写しの俺にそこまで気を遣わずとも、俺は・・・あんたを・・・。
「 穢れはこれで全部ね。それじゃ、お手入れしていくよ 」
数枚の手拭いを浮かべた桶を端に移動させると、今度は乾いた布で俺の身体を撫でた。
・・・心地よい。戦闘で、ささくれだったままの心までなだらかになっていく。
布越しに伝わる彼女の体温のせいだろうか。自然と瞼が重くなってくる。
手入れは自分でもできるが、他人に任せるとこうまで癒されるのか。
それとも審神者の力か、はたまた・・・自身の、何か、が・・・だめだ、思考が・・・。
「 そのまま休むといいよ。私、ちゃんと傍に居るから安心して 」
まどろむ俺が何か言う前に、彼女は俺の瞼にそっとてのひらを当てた。
「 おやすみ、まんばくん・・・あのね、私、話があるんだ 」
起きたら聞いてね、という声を最後に、再び意識が沈んでいく。
穢れを纏っていた時の暗い深淵ではなく、もっと別の・・・そう、例えるなら、
「 ( ・・・極楽浄土 ) 」
優しいの声音は、まるで子守歌。
疎遠に耐えた俺の心を、一瞬にして慰めて、安堵で満たしていった。
・・・あんたの話とやらは、この眠りから目覚めたら必ず聞いてやるからな。
それから・・・これからの話をしないか。俺も聞いて欲しいことがある。
・・・ああ、そうだ。素直にそう言えばよかったんだ、と気づくと身体も心も軽くなった。
写しの身にあるまじきことだが、今はしばし甘んじて、この光に揺蕩うとしよう。
この旅路は桜色
(05)
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Title:"春告げチーリン"
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