主、と誰かが彼女を呼んだ。
その声に応える声と、草履の音がして、廊下を渡っていた俺は庭先を見やる。
複数の短刀たちが、萌黄色の小袖を着たの手を引いている。
今日は外出の予定だったから、ちょうど帰ってきたところなのだろう。
視線に気がついてか、彼女は俺を手招きする。
「 まんばくん、そろそろ時間だから一緒に鍛冶場に来てもらえる? 」
「 わかった 」
「 えー!あるじさま、もういってしまわれるのですか? 」
今剣が眉を八の字にする。そこを、くいくいと指で押し上げた主が膝を折って、目線を合わせた。
「 ごめんね。あとでいっぱい遊びましょ。今日は、美味しそうなお菓子も買ってきたのよ 」
ほら、と持っていた包みを開くと、今剣の目が輝く。傍に居た五虎退や秋田の目も丸くなった。
それを彼らに預けて、縁側の石段に草履を脱いだ主は、俺を伴って廊下を進んだ。
その顔には焦りが浮かんでいた。会話をする余裕もなく、少しずつ早足になる。
「 ( それもそのはず。今日の鍛刀には札を使ったからな ) 」
霊力のある貴重な御札とやらを用いると、稀な刀剣男子が顕現するらしい。
どんな刀剣男子が顕現するのか、自身もわからない。主の緊張は俺にも伝わってきた。
・・・あれから。
彼女が『 決めたこと 』をただただ実行してきた。
怪我が治り、平穏な日常が今日から戻る、という日の朝、彼女は俺を呼んだ。
自分の力量不足なんて逃げ口上はもう言ってられない、と芯のある声で言った。
柔らかい光が射しこむ畳の上で、正座したが真っ直ぐにこちらを見つめていた。
その眼差しに揺るがない決意を見て、反対することもなく、理由を問うこともなく、わかった、とだけ答える。
よかった、と、強張っていた面持ちが崩れるのを見て、それ以上言葉を重ねることはしなかった。
あの日、距離が縮まった気がしたのは・・・手入れしてもらった俺の方だけだったのだろうか・・・。
鍛冶場の襖を開くと、ちょうど顕現するところだったようだ。
蛍のように淡い光が刀の周囲を舞っていたが、ゆっくりと収縮して人の形を成す。
が慌てて駆け寄り『 彼 』の前に座した。俺もそれに習う。
すると見計らったかのように、揺らいでいた輪郭が次第にはっきりとしてきた。
現れた長身の刀剣男子は、濃藍色の髪をした伊達男。
左目の眼帯は前の主の影響か。金色の片目が俺たちを認めて、彼はにっこり笑う。
「 僕は、燭台切光忠。青銅の燭台だって切れるんだよ。・・・うーん、やっぱり格好つかないな 」
苦笑に変わると、はすかさず首を振った。
「 そんなことありません。すごいですね、燭台切光忠 」
「 ありがとう。そういうことを言ってくれる主で、僕は嬉しいよ 」
背後から見てても解る。はそれを聞いて非常に照れた様子だった。
しかし、本来の目的をすぐに思い出し、三つ指をついて深く頭を下げた。
「 審神者のと申します。どうか私にお力をお貸しください 」
「 勿論。こちらこそよろしくね、 」
「 はい! 」
、と。すぐに主の名を呼ぶ親しさに、身体が固まる。
力強く頷く燭台切に、もう一度礼をし、後ろに控えていた俺を振り返る。
頬を薄ら上気させた彼女を見て・・・更に、胸の中で何かが燻っていくのを感じた。
「 あの、初期刀のま・・・山姥切国広です。何かあれば彼に相談してください 」
「 よろしく、山姥切 」
「 ・・・よろしく 」
山姥切ではない、と訂正して回るのは少し前に諦めた。
短刀や脇差にまで『 まんば 』と呼ばれるのはどうかと・・・。
『 国広 』の名も堀川と被るので、今は『 山姥切 』で通っていた。
「 それじゃ、私、ちょっと着替えてくるから・・・まんばくん、あとお願いね 」
俺と燭台切に頭を下げ、鍛冶場を退室する。
とたとた・・・と軽やかな足取りが去っていくと、いやあ、と燭台切が唸った。
「 随分と可愛らしい主にあたったものだ。ねえ、山姥切 」
「 ・・・・・・さあな 」
「 あれ、つれないな 」
主の去って行った襖を見つめたまま、燭台切はくすくすと笑う。
に好感を寄せる、そのあからさまな態度から目を背けるように、燭台切から視線を逸らす。
俺の態度に、おや、と首を傾げた様子で彼が言った。
「 山姥切、僕、何か君に気に障ることを言ったのなら謝るよ、ごめんね 」
「 ・・・別に 」
「 そう?ならいいんだけど・・・あ、まんばくんって呼んだ方がいい、とか? 」
「 呼ばなくていいっ!! 」
すぱーん!と襖を開けて、渡り廊下へと出た。
この本丸では、新たに顕現した刀剣男子を案内するのは、近侍の役目と決まっている。
俺が鍛冶場から出てきたのを見て、から渡された菓子に夢中だった短刀たちが顔を上げた。
新しい仲間を歓迎する声。気さくに応える燭台切を見て、俺はそっと溜息を吐いた。
俺を・・・まんば、と呼ぶのは、だけでいい・・・。
何気なくつけたあだ名だろうに。でも、それは何物にも代えがたいものになってしまった。
「 ( 彼女は、そんな風に思っているだなんて知らないのだろうな・・・ ) 」
は、他の刀剣男子には同じようにあだ名をつけなかった。
初期刀だからではないでしょうか?思い入れが違うのかも、と言ってくれたのは、前田だったか。
表情は変えないように努めたつもりだが・・・正直、嬉しかった。
まさかと否定したい気持ちに、主からの特別視を素直に喜ぶ気持ちが勝っていた。
失くした楽園の陽だまりを思い出して、心の内が温かくなった。
それからは、どんな刀剣男子が顕現しても、俺は平常心でいられたというのに。
何故だろう・・・今回ばかりは、今まで顕現してきた他の刀剣男子とは違う気がする。
それもこれも、本丸の案内途中に、燭台切があんなことを言うからだ。
「 ねえ、山姥切!僕のこと、みっちゃんって呼んでもらうにはどうしたらいいかな? 」
止まないさざ波。それは、嵐の前触れに過ぎなかった。
この旅路は桜色
(06)
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Title:"春告げチーリン"
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