暖簾を潜ると、いつも嗅いでいる味噌の匂いが鼻を擽った。
 けれど、厨に立っているのは” 彼女 ”ではない。つい最近、この場所の『 主 』は変わったのだ。
 俺の姿を認めて、彼は、ああ、と目を細めた。


「 おはよう、山姥切。天気も良くていい朝だね 」
「 ・・・・・・ああ 」


 どんなに分厚い雲が空を覆っていても、彼が微笑めば陽が射しているのではないかと錯覚するだろう。
 眩いほどの笑顔に淡々と頷き返す。彼は手元の食材に視線を戻すと、華麗な包丁裁きを披露した。
 まな板の上の野菜を等間隔に切り、用意していた小鉢の上に手際よく盛り付ける。
 その小鉢は、かりっと焼き上がった鮭の隣に置かれた。同じように盆の上には湯豆腐、卵焼き、味噌汁に白米。
 漬物と海苔のすぐ傍に、彼女が好きな果物・・・誰の為の膳なのか、すぐに解った。


「 ( ・・・そう、いえば ) 」


 はっと顔を上げた。同時に、燭台切は嬉しそうな声で、できた!と言った。


「 今日の近侍の山姥切が来てくれて、丁度良かったよ。これを主に届けてくれるかな 」


 食用の菊花まで飾られた膳を差し出す。
 虚をつかれて、俺は口を開いていたことも忘れて膳と燭台切を交互に見つめた。


「 今朝は『 御礼 』もこめて、ちょっとばかり豪華にしてみたよ!どうかな? 」
「 燭台切、その、礼というのは・・・ 」
「 勿論、誉のご褒美の御礼だよ。昨夜帰ってきて、すぐに希望を聞いてくれたからね 」
「 なっ・・・!? 」


 はにかんだ燭台切は、躊躇いがちに頬を染めた。
 わなわなと震える俺の脳裏に、いつぞやの・・・月夜に浮かぶの肢体が過る。
 他の男子が疲弊した身体を休めている間に、こいつは一体、に何を・・・!
 絶句する俺の様子など気にせず、彼は興奮冷めやらぬ様子で言葉を続けた。

「 僕の部屋でも良かったんだけど、夜中だし、声が漏れるとまずいからって、彼女の室に招いてもらってね。
  一晩中、相手をしてもらって、気がついたら朝だった。
  僕は興奮で眠れなかったけど、彼女はひと眠りすると言っていたからまだ室で休んでいると思うんだ。
  だから、朝食は直接主の部屋に届けた方が、ゆっくり食べてもらえると思って 」
「 ・・・・・・ 」
「 山姥切、僕らは幸せな主に顕現されたね。こんな素敵な『 ご褒美 』をいただけるなんてね。
  他の本丸はわからないけど、少なくとも僕は、今の主以外考えられないよ 」


 昨夜の『 ご褒美 』を思い出してか、感嘆の溜息を吐く彼を前に。
 俺は・・・握った拳を振り上げないよう自制することに精一杯だった。
 ぎり、と噛みしめた奥歯が鳴った。彼の持っていた膳を乱暴に取り上げると踵を返す。


「 ありがとう!よろしく頼むよ、山姥切 」


 振り返らずとも、背後で大きく手を振っているであろう燭台切を想像して、人目も憚らず舌打ちした。
 ーーー苛々する。胸の中が滾る思いでいっぱいになっている。掻き毟りたいほど苦しい。
 主は・・・は、燭台切にも、その・・・俺の時と同じような『 褒美 』を、与えようとしたのだろうか・・・。
 彼のあの言い方では、俺のように拒んではいないのだろう。ということは、だ。


「 ( その先を想像するのは、写しの俺には無理だっ・・・!! ) 」


 両手に膳を持っていなければ、その場に蹲っていただろう。
 どっどっど、と爆発しそうな心臓が煩い。無理だと言っておきながら、一体、一体、何を考えたんだ、俺は。
 邪な想像を振り払うように首を振って、深呼吸。必死に気持ちを落ち着かせた。
 しばらくして気持ちを切り替えると、真っ直ぐに主の部屋へと向かう。
 食べ物には罪はないからな。室で休んでいるにしても、起きていたとしたら温かいうちに届けてやりたい。
 すれ違う刀剣男子はいなかった。皆、朝食をとるために食堂に居るのだろう。
 静かな廊下を抜け、突当りの階段を昇ると、主専用の階層に到着する。


「 ( ここを訪れるのも、随分久しぶりだな ) 」


 ーーーそうだ、あの日・・・『 待とう 』と決めて以来か。
 我が主殿は大層な寂しがり屋だからな。仕事と就寝以外は、大抵大広間に居る。
 仕事が終われば、いつだっては階下に降りてきて、多少気まずい時でも、まんばくん、と声をかけてくれるから。
 俺はそれを待てばいい。それでいいはずだった。
 ・・・だが、それはとても自惚れた考えだったのかもしれない。


「 主 」


 脇に膳を置き、襖の前で正座する。室からは物音ひとつしない。


「 主、朝飯だ。起きているか 」


 仲間が増えれば頼もしくもあり、賑やかにもなるけれど。
 彼女は『 俺だけの主 』ではなくなり、俺も『 唯一の刀剣男子 』ではなくなった。
 互いが互いを必要とする機会が減り、距離を置くようになってから更に溝ができて。
 終いには、気安く傍に居られる関係ではなくなってしまった。
 ・・・でも、俺は。


「 ・・・んぅ・・・だ、ぁれ・・・ 」


 舌っ足らずの掠れ声に続いて、身じろぎする音が微かに聞こえた。じゃらら、と寝台の玉簾をかきあげる音が続く。
 主、朝飯だ、ともう一度言うと、あっすみません、入ってきてもらえますか、と返答があった。
 そこに躊躇いとか、恥らった様子というものはない。つい、隠すことなく大きな溜息が出た。
 ・・・全く、俺だからいいものの。無防備すぎると、あとで注意しておかなければ。


「 入るぞ 」


 咳払いひとつ。襖を開けて、室へと足を踏み入れる。
 正面は広い和室で執務室となっている。中央に細長い座卓があり、そこが彼女の仕事場だ。
 久々に入ったが、初期の真新しさが薄れており、机の上には書類や書物が山積みになっていた。
 きちんと片づけられているのは、部屋の隅に重ねられている審神者・近侍・報告に来た刀剣男子用の3枚の座布団くらいだ。
 俺の視線はその奥へと向けられる。彼女の私室空間は、執務室の右手。薄黄色の分厚い襖の奥だ。
 今朝はその襖が開いている。主、入るぞ、と断ってから居住区域に入室した。
 執務室とは打って変わって、板張りの洋室だ。
 すぐ左の窓辺に、主のお気に入りの円卓を見つけた。
 確か” もざいく ”とか言ったか。色とりどりの硝子の欠片を繋ぎ合わせた模様は、朝の光を反射して煌めいていた。
 部屋での飲食はここでしているそうだから、膳はここへ置いていこう。と思ったが、生憎別の何かに占領されていた。
 仕方なく隅に膳を置いて、それを手に取る。円卓の煌めきに、違和感のある質感が混ざっている。
 硝子ではない、これは・・・。


「 ーーー” おせろ ”? 」


 呟くと同時に、ふああ・・・と大きな欠伸をしたが御簾を片手で上げて、寝台から出てきた。


「 ごめんねぇ、朝方までオセロしてたから寝坊しちゃ・・・ 」


 と、身体を出伸ばしつつ、大きな口を開いたまま、固まる。
 目の端に浮かべた涙を引っ込めて青褪める。俺が届けに来るとは予想外だったのだろう。
 俺も・・・まっ、まままさか薄い浴衣の、寝間着のまま遭遇するとは思わなかった、ので。
 ーーー思わず、まじまじと彼女のつま先から天辺まで見てしまった、後に、視線を外した。
 ( あ、相変わらず肌、白い、な・・・いや、決してやましい気持ちは・・・!! )  慌てて肌蹴た着物を合わせ直して、俺の視線から隠すように背を丸めた。


「 ごっ、ごめんなさい!はしたない所を・・・!! 」
「 い・・・いや、俺の方こそ・・・すまない 」
「 まんばくんが謝ることないよっ!あ、朝ご飯、ありがとうね!!後で食べるから!じゃ!! 」
「 ・・・っ、待ってくれ、!! 」


 玉簾の中に消えていく影を追う。必死に手を伸ばして、彼女の細い手首を掴んで引き留めた。
 青褪めていたはずなのに、驚いて振り向いた彼女の・・・紅潮した頬と血色の好い唇は、白い肌に映えて美しかった。
 夢から醒めたばかりの瞳は潤んでいて、一回、ぱちくりと瞬いて俺を映した。


 ーーー綺麗だと思った。
 こんなにも魅力的だったか?彼女は。
 それとも俺が、久々に真正面から目を合わせられたことに感動しているから、なのか?


「 ( ・・・それとも、彼女は『 恋 』とやらをして美しくなったのだろうか ) 」


 そういうこともある、と知っている程度の知識だったが、実際目の当たりにすると何とも言えない気持ちだった。
 先程、燭台切を前にした時もそうだ。憧憬と嫉妬が入り混じって、どろどろと胸の中で疼いている。
 このまま手首を捻りあげて問いただしてやりたい。あんたをそこまで美しくさせる相手は誰だ。
 いや、言わずとも写しの俺にも解る。あいつは元の主に似て格好良いからな、でもーーー。


 ーーーでも、それ以上に、彼女を離したくなくて。素直に、彼女の美しさに見とれていたい、と願って。






「 ・・・まんば、くん・・・? 」






 腕の中で、主が・・・が、戸惑ったように呟く。


 彼女が付けてくれた愛しくて、愛しくて堪らない俺の徒名を。






この旅路は

(08)



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Title:"春告げチーリン"