官服、と呼ばれていた服に着替え、用意された朝食を食べる。
 どちらも馴染のあるものではなかったけれど、文句を言ったり、逆らう理由もなかった。


「 ( 私、意外と肝が据わってる方なんだな。こんな状況でもあまり動揺していないみたい ) 」


 陸遜のおかげでご飯も食べれたし、着替えも用意してくれたし、お風呂にも入れた( ここ重要! )
 ・・・だからかな。気持ちがざわざわとしたのは、目が覚めた時だけで。
 身体がすっきりして、胃に物が入ったら心も穏やかになった。
 静かになった私を見てか、今度は矢継ぎ早に指示が飛び、外へと追い立てられた。


 「 いつもは馬で行くのですが、今日は貴女のために輿を用意しました。さ、急いでください 」


 ・・・何のことだろう、と私は首を傾げる。だって輿の意味もわからない。
 屋敷の入口に準備されたものを見て、初めてそれが『 輿 』だと知った。
 テレビで見たことのある時代劇の籠、とは違っていたけれど、乗り物であることは理解できた。
 小さな箱のような乗り物は天井から御簾がかかっている。
 中へと入り、わー・・・と声を上げて見渡していたが、さっさと乗ってください、と怒られた。


「 陸遜はおこりんぼなんだねえ 」
「 怒らせているのは誰ですか!?まったく・・・ 」


 狭い輿の中では顔を逸らすくらいしかできない。拗ねた様子を見て、思わず笑ってしまった。
 そのうち輿が動き出す。ふわりとした浮遊感に、笑い声も途切れる。
 そんな私を見て、陸遜がぷっと吹き出して逆に笑われてしまった。


「 今一度確認しますが、本当に貴女はどこから来たのか覚えていないのですか? 」
「 うん。でもね、此処が私の居た場所でないことは解るよ 」
「 それはどうしてですか? 」
「 まず、この官服なんて見たことも着たこともないし、ご飯の内容も違ってびっくりしたもん。
  もちろん美味しかったから、全部食べちゃったけど・・・ 」
「 我が家の食事を褒めていただくのは光栄ですが、女性はあんなにガツガツと食さないものですよ 」
「 ・・・・・・あ、あと!馬はいるけど、乗る人は限られている。この輿だって今時乗らないよ?
  言葉が通じるのは有難いけれど、生活習慣や文化が違う、っていうのかな・・・あと、空気 」
「 空気? 」
「 ・・・うん・・・ 」


 上手く説明できないけれど、この『 世界 』に流れる空気が全然違うのを肌で感じている。
 時間の流れが違う、という言い方でもいいかもしれない。
 陽が昇って、普通に朝が来たときはほっとした。私の『 常識 』が通用することもあるって。
 でも、違うことの方が断然多い。
 普通ならパニックになるけど、起こさずに済んでいるのは陸遜のおかげだ。
 だって9割解らない文化や習慣を( とりあえず )説明してくれるから、落ち着いていられるんだもの。
 ・・・軍師、ってどんな職業だろう。先生みたいなもの??そんな職業、私の時代にあったっけ??


 そんな彼へ視線を投げかければ、また不機嫌そうな表情で説教モードに入っていた。


「 ・・・貴女は記憶喪失、もしくは酷く混乱しているだけなんです。時が来れば思い出しますよ 」
「 そんなんじゃないってば!私、ちゃんと自分の記憶、持っているもの 」
「 でも、どうして私の屋敷にいたかは覚えていないのでしょう? 」
「 ううっ、そ、それは・・・ 」
「 城内で貴女のことを聞けば、きっと貴女のことを知る人、もしくは保護者も見つかるはずです 」
「 保護者?お父さん、お母さんを探すってこと?? 」
「 陸家に貴女を送ってくるくらいですから、それ相応の身分の保護者がいるはずです。
  そうなると城勤めの可能性が高いですから、聞いて回りましょう・・・私も付き合いますから 」
「 ・・・・・・・・・ 」


 当然、そこに両親がいるとは思えない。が、何となくそれを口することは憚られた。
 それより・・・御簾の向こうを見つめる陸遜を、素直に、いい人だなって思って見つめていた。
 知り合って数時間しか経っていないのに、見て見ぬふりをしないんだもん、私のこと。
 いつも命令口調で、私のこと怒ってばかりだとしてもね!( それがなきゃもっといい人なのに! )


「 ところで、さっきから気になってたんだけど・・・陸遜、私たちはどこへ行くの? 」
「 城です 」


 城、と言われても、脳内で漢字変換を当てはめるのに時間がかかった。
 陸遜は姿勢を正し、私を正面から見据えて講義を始める。


「 せっかくですので、改めて状況を整理しておきましょうか。私たちは今、城へ向かっています。
  そこは孫家の居城であり、私の勤め先でもあります。孫家は呉という国を治める一族のことです 」
「 『 王様 』ってこと??あ、王様ってのは国で一番偉い人のことだよ 」
「 呉では一番偉いお方たちですので、の言う『 王様 』とやらで正しいかもしれません。
  私は呉の武将の一人で、戦に出ない時は与えられた執務室で仕事をこなしています 」
「 ふーん・・・私は、陸遜のお仕事について行っても良いの?どこかで待っていた方が・・・ 」
「 私もそう思いましたが、貴女への『 容疑 』が解けない限り、傍に置いておくのが私自身安心です 」
「 ・・・『 容疑 』?? 」


 また急に物騒な用語が出てきた、と眉をしかめる。何故だろう、私のどこが怪しいというのだろう。
 私が彼の思惑に気づいていないことが、また癇に障ったのだろう。
 あからさまに大きな溜息を吐いて、いいですかっ!?と声を荒げて身を乗り出した( ひい! )


「 この陸家に姫を送りつけてくるくらいですから、貴女の身分は相応のものでしょう!
  しかし、乱世の時代には何が起きても不思議ではありません!もし貴女が刺客だとしたら・・・ 」
「 顔は丸顔だよ?? 」
「 四角ではなく刺客です!呉と対立する勢力、蜀や魏の手の者だとしたら、恐ろしくて目が離せません!
  ならいっそ、目の届く範囲にいてくれた方が何かあった時に対処できるというものです 」


 一気に捲し立てた陸遜は、ふん!と鼻を鳴らして胸を張った。
 ぽかんとしていた私は少しずつ彼の言葉をなぞっていく。呉、乱世、蜀、魏・・・どこかで聞いた単語だ。


「 魏、呉、蜀 」


 呟いた私に、彼が大きく頷いた。


「 そう、曹操の魏、劉備の蜀、我らが孫呉。この三勢力が互いを牽制しながら国を治めています。
  これは、蜀の諸葛亮孔明殿が定めた天下三分の計・・・ 」
「 しょかつりょーこーめー!! 」
「 ええ・・・って何ですか、その頭の悪そうな発音は・・・ 」


 馬鹿っぽいと思ったんだろうな。じと目で見つめてくる彼の顔にはそう書いてある。
 けれど私の頭の中は、ようやく得たひらめきでいっぱいだ。
 魏、呉、蜀。諸葛亮孔明。ここは・・・かの有名な書物、三国志に出てくる時代なんだ。


「 ( って、世界史の授業でかじっただけだから、よくわからないんだけど ) 」


 陸遜も武将だと言っていた・・・有名なのかなあ。こんなことならもう少し勉強しておけばよかった。


「 ( それよりも・・・三国時代に日本人の私が、過去の中国に来ている理由が解らない ) 」


 ・・・どうしよう、今すぐ伝えた方がいいのかな。
 そうすれば保護者探しもなくなり、刺客云々といった疑いも晴れるだろう・・・が。
 私の言うことを一向に聞こうともしない彼に、今、何か伝えたところで耳を貸してくれるだろうか。


「 ( しばらく黙っておいた方が無難なのかな・・・ ) 」


 短い時間だが、彼と接していて解ったことがひとつ。陸遜は、説明できないことがあるとすぐ怒る。
 今の私には、此処へ来た理由も帰り方もわからない。流されるままこうして輿に乗ってるけど・・・。
 もう少し時間が経てば状況も変わるかもしれない。
 それに、打ち解けてくれば、陸遜も私の話を聞いてくれるようになるかも。
 しばらく無駄足を踏ませると解っていても、単純にこれ以上怒られるのが嫌だった。


 幸い、自分が『 どこ 』にいるか解ったらちょっとほっとした。周囲の足場だけは固まった感じ。
 短期留学と似たようなものだよね!異文化コミュニケーションくらいに思えば何とかやってける!
 頭が固い陸遜は、きっと摩訶不思議なことなんて一番信じないタイプだろうし。
 『 別の時代から来ました 』と伝えたが最後、刺客確定かもしれない。
 ( 輿に乗る時に外していたあれって、刀、だよね。剣っていうのかな、あれで切られるかも・・・ )


 背筋を走った悪寒に、ぶんぶんと首を振った私を見て、陸遜は言った。




「 ・・・大丈夫ですよ、今は思い出せなくとも、必ず私が貴女の保護者を探してみせますから。
  しばらくは見習いとして、私の執務室にいて下さい。仕事の合間を縫って探しましょう 」




 陸遜には私が不安そうに見えたらしい。素直に頷くと、機嫌を良くしたのか彼もにっこりと微笑んだ。
 そこへ、外から彼を呼ぶ声がした。陸遜は御簾を少し上げて、私に覗くよう言った。


「 ほら、。あれが私たちの向かう先ですよ 」


 彼が指差した先に見えたのは、如何にも堅牢な造りをした建物だった。
 重々しい門を潜り抜けた、その『 先 』を見据え・・・私は瞳を細めた。






「 ( もし本当に、過去に来てしまったとして・・・帰れるの、かな ) 」






 『 未来 』へ。それは当たり前の世界だったのに、途方もない場所に思えた。






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