ここが、お城。
大地に下り立った私は、建物を見上げた。
目の前にそびえ立つ城の大きさに呆然とする。そして、ふと傍の石柱に触れてみる。
「 ( ゆ、めじゃない ) 」
頭上に広がる青い空には鳥が飛び交い、風が吹き、雲が流れる。
周囲を見渡せば、ここは降車場なのか、私たちのように輿に乗っている人もいれば、馬に乗る人もいた。
若い人もお年寄りもいる。鎧みたいな、重そうなものを身に着けている人も混ざっている。
自分と同じ『 人間 』も動植物も多く存在している。当たり前だけど。
・・・ううん、当たり前だって、ようやく実感している途中・・・。
未だ夢現を彷徨っているような感覚があったけれど、ここは『 現実 』なんだ。
そう悟った瞬間、目の前の景色がぐにゃり、と奇妙な形に歪む。
煩かったはずの喧騒が、引き返す波のように徐々に遠ざかっていった。
何だか、急に心臓がばくばくしてきた。真っ白になる頭の中で、凛と響く声。
「 ?どうしました 」
人の流れから置いて行かれたように、その場で立ち竦んでいる私に陸遜が並ぶ。
見知った姿( といっても一晩だけど )を認めて、つい涙ぐんでしまった。
輿に乗せていた荷物を取りに行くと離れた、ほんの数分間で、こんなに不安な気持ちになるなんて。
ぐらぐらと揺れた私の心情なんかお構いなしに、額にぺしっ!と手を当てた。
「 熱でも出ましたか?あれだけ朝食も食べましたから、体調不良ということはないですよね? 」
「 ・・・・・・・・・ 」
デリカシーのない男だなあ、陸遜は。顔が良くても性格が悪いとモテないんだぞ。
現実に触れてショックを受けているんだから、もう少し優しくったっていいでしょうが。
・・・という心情は恐ろしくて口には出せなかったけれど。
自然と涙も引っ込み、むうと頬を膨らませた私は、額にあった彼の手を払った。
「 心配ご無用よ!さて、今度はどこへ行くの!? 」
陸遜はちょっと驚いたような表情をしていたが、すぐに目を細めて、唇の端を持ち上げた。
「 こちらです。しっかりついてきてくださいね 」
「 わかってる! 」
どことなく挑発的な彼に、鼻息荒く答えた私は懸命にその後を追う。
そんなに身長差がないから歩幅はほぼ同じだと思うのに。気を緩めると見失いそうになる。
彼に着せられたこの・・・え、っと、そうだ官服!裾が長いせいか、足に纏わりついて歩きにくいったら!
しばらくは裾と格闘していたのけれど、そのうちひょいと持ち上げる( あ、これで楽になった )
距離の開いてしまった陸遜を追って、私は小走りになりながらも縮めようと努力する。
すると、すれ違った男の人がぎょっとしたのが解った。目が合った彼は避けるように走り去る。
何故だろう・・・と不思議に思っていると、前を歩いたはずの陸遜が、つかつかつか!と駆け戻ってきた。
「 貴女という人は・・・!こんな場所でむやみやたらに、あ、脚を見せるものではありませんっ!! 」
「 えっ、ええぇ・・・?? 」
前を向いていたはずなのに、背中に目でもついているのだろうか・・・。
( そ、その前に、脚を見せることの、何が気に入らないっていうの?? )
有無を言わさず、怪訝そうな私の首根っこを掴んで、そのままずるずると引きずられていく。
・・・今度は、別の視線で見られるようになったけれど、陸遜は気にならないらしい。
抵抗は諦めてされるがままになっていると、とある一室の前で立ち止まり、放るように解放された。
げんなりした表情のままおずおずと見上げる。両手を腰に手を当てた彼が、すうと息を吸った。
「 こんな公の場所で裾をまくるなど言語道断ですッ!!そんなことも解らないんですか? 」
「 だ、だって歩きにくいんだもん・・・ 」
「 そのうち慣れます!あんな丈の短い、貴女が来ていたあの服の方が珍しいんですよ!!
子供ではないのですから、我儘は言わない!文官、女官といった官吏は長い着物が常識です 」
捲し立てる陸遜につい肩を竦める。睨むだけで押し黙った私に、鼻を鳴らした。
「 『 常識 』まで記憶喪失になっているうちは私に従ってください。いいですね!? 」
そう言い放って、部屋の扉に手をかけた。
彼の背中に向かって、こっそり舌を出していると・・・広がった景色に息を飲む。
まず目に入ったのは、中央の大きな机。と、それを囲むように筒が積み重なっている。
筒を積み重ねているのは、中央の机の脇に並んだ机で作業している人たち。
陸遜が中央の机に向かう。圧倒されていた私も、恐る恐るその後についていった。
「 り、くそん、ここは・・・ 」
作業を邪魔しないように、小さな声で問いかける。
が、彼の姿を認めるなり、室内の全員が立ち上がって頭を下げた。陸遜は彼らに頷いてみせる。
「 おはようございます。皆さん、今日から見習い文官が一人入りました。、挨拶を 」
「 ・・・は!? 」
私を振り返った陸遜に促されるけれど・・・こ、こんなことになるなら一言教えて欲しい!
彼が、不安に顔を歪める私の背中を押す。
一歩前に出た私は、彼らと同じように・・・見様見真似で手を組んで、頭を下げた。
「 、です。ど、どどうぞ、よろしくお願いしますっ 」
「 彼は見習いですから、しばらく見学させます。城を案内するため2人で席を外すこともあります。
それから・・・時々、不思議な言動をするかもしれませんが、無視して結構です。以上 」
・・・『 彼 』!?ついでに『 無視 』って何!?( 扱いが酷過ぎるでしょ! )
色々と問い質したいことが多すぎて、唖然としたまま固まってしまった。
なのに、陸遜は大して気にした様子もなく、室の端にあった椅子を指差した・・・座れってこと?
くっ・・・やしいけど、ここは我慢っ。陸遜には一飯の恩があるもの・・・!
( そういうのは大切にしなさいって親に言われてるもん!! )
とっくに怒りは頂点まで到達していたけれど、唇を噛んで指定された場所に腰かける。
彼はそのまま中央の机につくと、脇の筒をひとつずつ取っては何かを書き込んでいるようだ。
「 ( 何だろ ) 」
『 執務室 』で『 仕事をこなす 』という単語を、会話の記憶からピックアップする。
ということは、ここは陸遜の職場ということ・・・?
私はこっそり椅子を離れて、近くの机で作業をする人の手元を覗き込んだ。
紙・・・じゃない、厚さからしてこれは竹かな。平たい竹に、みんな何かを書き込んでいるんだ。
使っているのは、鉛筆でもペンでもなく筆。へえ、硯もあるし、時々何かに浸している。中は墨汁??
書いている文字も読めた。会話もそうだけど、言葉に不自由がないってのは便利だな、やっぱり。
あ、この人が解いているのは計算式だろうか・・・・・・・答えは。
「 90 」
ぼそりと呟いた声に、その人が顔を上げた。目を真ん丸にして、まじまじと私を見つめている。
動かない視線に耐えられず、逆にあたふたと視線を泳がせる私。
・・・・・・何か、ま、まずい・・・こ、と・・・・・・言っ、た?( また怒られる! )
今の発言を取り消そうと、何でもないと言うように首を振って見せた。
すると案の定、中央の机から陸遜の、何をしているんです!?というお怒りの声( ぎゃ! )
けれど次の瞬間、私をまじまじと見つめていた彼が、すくっと立ち上がって彼に向かってこう発言した。
「 陸遜さま!彼は何と優秀な文官でしょう。見習いなのに、計算式を解いて見せました!! 」
「「 ・・・え・・・ 」」
陸遜と私の声が重なる。
周囲も騒ぎ始め、ざわざわと空気が震えた。発言した彼が陸遜に何かを見せている。
すると、陸遜の目の色が変わったのが、私にも解った・・・。
「 ・・・貴女はどうしてこの案件の答えが解ったのですか?? 」
どうして、と言われても・・・それは高校生の私には簡単な数学の公式だったから、なんだけど。
彼が聞きたいのは経緯だろうから、学校で習うことを説明したところで聞いてくれるだろうか。
何となく話辛くて、考えた末、私はその場を沈黙することでやり過ごすことにした。
無言でへらりと笑った私に、陸遜は小さく息を吐いた。
「 ・・・まあ、いいでしょう。そこでまた大人しく見学し・・・ 」
「 そう言わずに!陸遜さま!!こちらは一人でも人手が欲しいところなのですから!! 」
「 そうですぞっ、といいましたな。どうです?この案件の回答も導き出せますかな?? 」
「 あ、はい。これはこっちの計算を、ですね・・・ 」
「 !余計なことはしないで・・・ 」
「 成程、これと組み合せばいいのですな!いやぁ、助かりましたぞ!! 」
「 次はこちらのも問いて下され! 」
部屋の端にいた私の前に、次々と差し出される竹筒。
みんな目の下に隈を作って、必死に答えを求めている。そ、そんなに大変な職場なのかな・・・。
押し寄せた向こうで、私を睨んでいた陸遜の肩が・・・・・・落ちた( 諦めたな )
こめかみを押えて、眉を八の字に寄せた彼を見て、私はくすくすと忍び笑いする。
なんか・・・これはこれで、楽しいかも!!
萎えた気持ちを奮い立たせて、私は与えられた筆をとる。
ちゃぽん、と浸けた壺の音がスタート合図だった。
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