その人は、あまりにも身体が大きくて・・・大抵のことでは驚かないはずだったのに、心底驚いた。


 あんぐりと口を開いたまま、天井近い背丈を上を向いている私の脇腹に、陸遜の肘が入った。
 もっとフェミニストかと思ったのに、遠慮ないこの仕打ち。
 痛みにぐっと歯を食いしばって、すまし顔の陸遜を鋭く睨む( こンの・・・! )
 私の視線など気にもしていない様子で、彼は、すみません、と語りかける。


「 野盗退治お疲れ様でした。彼は、留守の間に私付きの文官に加わりましたと申します。
  丁奉殿の元に文官を届ける役目を担いますので、以後、どうぞよろしくお願いいたします 」


 拱手をした陸遜に習って、私も頭を下げる。
 丁奉さまは、見た目通りの太い声でそうでしたか!と言うと、丁寧に拱手を返してくれた。


「 殿、某は丁奉と申す。どうぞお頼み申します 」
「 こ、ここっ、こちらこそ・・・先ほどは不躾に失礼いたしました 」
「 何の。体格が違う故、珍しがるのも当然。殿は小さいだけでなく、女子ごとく可憐な顔立ち。
  並んで歩けば、月と鼈。皆から振り向かれる組み合わせになるかもしれませんな 」
「 ・・・・・・・・・ 」


 愉快そうに笑う丁奉さまを前に、私は内心冷や汗をかいている。きっと隣の陸遜も。
 その証拠に・・・ほら、ひきつった笑顔になってるもん。
 だけど陸遜は折れかけた気持ちを奮い立たせて、丁奉さまに向き合った。


「 そ、そういえば丁奉殿、同じ名前の女子を知りませんか?どなたかのご息女とかで・・・ 」
「 いや、某は存じ上げませんな。珍しい名前ですので記憶にあれば覚えていると思うのだが 」


 うーむ、と思い悩んでしまった彼を、慌てて取り成す。
 しばしの談笑の後、話に一区切りがつくと、退室の意を述べて丁奉さまの執務室を後にする。
 先を歩く陸遜の後に黙ってついていたが、ひとつ角を曲がって人気が減ると、大きな溜息が聞こえた。


「 ・・・ばれたかと思いました・・・ 」
「 ばれたっていいじゃない。女だと解ったところで、何が悪いって言うの??
  大体、そんなにばれたくなければ『  』って名前も、変えればよかったんじゃないの? 」


 初日に『 彼 』と紹介されたのは、聞き間違いなんかじゃなかった。
 どうやら・・・私、執務室でも陸家の屋敷では『 男 』として扱われている、らしい。
 らしい、というのは今のところ、大きな問題もないから特に問題視していないからなんだけど。
 でもどうして?いつの間にか『 男 』ってことになってるの??そう陸遜に問うてみたが、


「 ・・・考えがあってのことです。とにかく、ばれないように気を付けてくださいよ 」


 と、返すだけ。憮然としてるから、これ以上聞いて怒られるのも嫌だったので聞かないことにした。
 そうじゃなくても今は忙しい。留守だった軍が帰ってきたとかで、彼の仕事量が格段に増えていた。
 そこで、はっと次の仕事を思い出す。私は陸遜の袖を掴んで引き留めた。


「 陸遜、私、このまま韓当さまの執務室に寄って来るね。竹簡、取りに来てって言われてたでしょ 」


 彼も私の発言で思い出したらしい。絶句したまま、私を振り返る。
 ・・・やっぱり、余裕がなくなってるなあ。
 陸遜が与えられている仕事を把握できなくなったり、忘れたりするはずないもの。
 白い顔をした陸遜が少し頭を振って、頷く。


「 あ・・・では、頼みます。途中で寄り道はしないように!つまみ食いもだめですよ!それから・・・ 」
「 陸遜は怒りんぼうの上に心配性だねえ。大丈夫だから、先に執務室に戻っててね 」


 何か言おうとした彼の背を軽く叩いて、私は駆け出す( 絶対、また怒りだすに決まってるもん )
 走りながら、私は胸元に仕舞っていたひとつの竹簡を取り出す。
 これは自分の記録用。解らないことを書き留めておく他、城内の地図も書き留めている。
 うん・・・丁奉さまの室から韓当さまのところへ行くなら、この庭を突っ切った方が早い、けれど。
 さすがに見つかったら怒られるだろうか、と思いながら辺りを見渡す。


 人が増えて賑わうのは良いんだけど、キャパを超えて、城に溢れかえっているような気もする。
 しばらく人の波をかき分けていたが・・・辛抱できずに、そのまま廊下に併設している庭へと降りた。
 陽は高い。まだどこの執務室も忙しい時間帯だ。だからこそ人目にも付きにくい。
 廊下を横切るように見せかけて、そのまま庭の奥へ奥へと進んでいく。
 あとで官服についた葉っぱを払わなきゃ・・・と思いながら、立ち塞がる茂みを手でかき分けた。
 ざっ、と一際大きい茂みの向こうに広いスペースを見つけて、私は足を止める。


「 うわ、あ・・・! 」


 感嘆の溜息を吐いて仰いだ天には、風に揺れる緑の葉。
 照り付ける太陽の光を浴びて、木々は生い茂り、空へと手を伸ばしていた。


「 ( 素敵・・・ちょっとここで休憩していこうかな、時間がないのはわかっているんだけど ) 」


 近くの木の根元に寄りかかって、深呼吸。緑のにおいがする。
 そういやこういう時間って、あんまりなかった。陸遜と同じで、実は私も余裕なくなってたのかな・・・。


 『 男 』のフリは疲れないけれど、この文官という職業はなかなか奥が深い。
 毎日、持ち込まれる執務は頭を使うものばかりで。それでも全然苦痛じゃない。
 社会に出るっていうのはこんなカンジなのかな。高校生なのに、一足先に就職しちゃったみたい。


 その中でも、群を抜いて一番の仕事量は、当然陸遜だ。
 一昼夜、仕事に時間を費やしている。酷い日は屋敷に戻らず、徹夜している時もある。
 それでも、抱えている仕事は終わらないのだろう。こなしてもこなしても、日々仕事は増えていく。
 きっとパンク寸前。でなきゃ、あの優秀な彼がこんな私の手も借りたい、と言わないだろう。


「 ( もっと・・・周囲に甘えてもいいと思うんだけどなあ ) 」


 でも、それは彼のプライドが許さないということは、過ごす時間と共に解ってきた。
 ( いや周囲の、陸遜付きの文官さんたちも不眠不休で陸遜を支えています!もちろん!! )


 責任感も人一倍だから、仕事の合間に私の保護者を探してくれるけれど、本当は申し訳ないと思ってる。
 だって『 いない 』って判ってるのに・・・これはもう少し余裕が出来たら、また話してみようかな。
 とりあえず、近いうちに陸遜を連れ出して、気分転換でもしてもらおう。何なら此処に連れてきてもいい。
 外の空気を吸えば、少しは肩の力が抜けるかもしれない。


「 ( 倒れなきゃいいけど。何だかんだで、いつも一生懸命、全力投球、だもんね ) 」


 絶対クラスで委員長とか引き受けそうなタイプ。今時、珍しいんじゃないかな。
 そう思ったら可笑しくて、くすくすと声に出して笑ってしまった。


 だから・・・声が降ってきた時には、心臓が飛び出すかと思った・・・!






「 楽しそうだねえ。お嬢さん 」






 息を飲んで、そのまま固まる。視界がふっと暗くなった。
 一人分の影が二人分になり、芝生へと着地する。すぐ隣へと立つと、私を覗き込む顔があった。
 陸遜よりも『 オトナ 』な顔立ちをしたその人はにやりと笑う。
 さらりと柔らかそうな髪が頬を撫でた。


「 っと、失礼。その服装は文官だね、てっきり女の子だと思ったのに 」
「 ・・・は・・・はい、ち・・・違います・・・ 」


 とうとう自分でも否定するようになった、と思うとちょっと悲しいけれど、これはもう、本能だった。
 怯える私を見て、彼は肩を揺らして笑う。そして手を伸ばすとわしわしと髪を撫で回した。


「 わ、わわっ、何する・・・ 」
「 いや、拗ねた顔してるからさ。ほら、よしよしよし。これで勘弁してくれ 」
「 んもう!拗ねてなんか、ないし!こっ、子供扱いもお断りです!! 」
「 あははは、まあ、そう粋がりなさんな。子供が背伸びしても、何も良いことないっつーの 」


 頬を膨らませた私を、彼はどこか憎めない笑顔を浮かべる。
 ・・・突然のスキンシップでも、全然嫌な気がしない。
 初対面なのに親しみをこめて贈られる視線に、私はどこか諦めたような照れ笑いを返した。


「 初めて見る顔だけど、新入りかい?俺は最近まで城を離れていたんだけど 」
「 はい、ここ半月くらい、働かせてもらっています 」
「 ふーん、どう?ここは、文官として働きやすい職場かい?? 」
「 働くのって初めてで、比べることができないんですけれど・・・概ね順調かな、って思います。
  怒られてばかりですけれど、周りにいる人はいい人ばかりだし、こんな私にも親切です 」


 この『 世界 』のことで解らないことが多くてもやっていけるのは、みんなのお陰。
 自分にも『 できる 』ことがあるって、活力になるんだって知った。
 今は忙しいけれど・・・いつか陸遜にもちゃんと伝えたいな、って思う。


「 ( そうだ!今は忙しい、んだった!! ) 」


 ・・・いけない、お遣いの途中だったっ!!( 韓当さま、忘れてごめんなさいーっ )
 さっと蒼褪めた私を見てか、彼は大丈夫?と聞いてきた。私は頷いて、そのまま頭を下げる。


「 あのっ、竹簡を届けるのをすっかり忘れていて・・・これで失礼します! 」
「 はいはい、頑張ってちょうだい。走って転ばないようにな 」


 笑顔のまま、彼はひらひらと手を振った。くす、と笑って、私も振り返す。
 再び茂みをかきわけ、進んでいく。するとすぐに目的の廊下へと出た。韓当さまの執務室はすぐだ。
 ・・・そういえば名前も聞かなかったと気付いたのは、彼の姿が見えなくなってから。


「 ( 最近まで城を離れてた、って言ってた。野盗退治に出ていた人かな ) 」


 茶色い髪が揺れていた。風のような人だと思った。
 背が高くて、兄貴肌だけど物腰が柔らかくて。陸遜や丁奉さまとも違う。あんな武将もいるんだな。
 同じように野盗退治に出ていた丁奉さまなら知っているのかな、と思いながら廊下を歩く。






 足早に庭を去り、目的地に到着して使命を果たす頃にはすっかり忘れていたけれど・・・。


 その不思議な出逢いの答えが出るのは、数日後のことだった。






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