「 う、っ・・・わあ・・・!!! 」
声を上げたを睨む。すると、はっとした彼女は慌てて自分の口を押えた。
・・・もう何度目でしょうか、このやりとり。
その度に申し訳なさそうな顔をするけれど、一向に反省していないのは行動を見れば明らかだ。
が私の屋敷に現れてから、ひと月が過ぎていた。
探しても探しても、彼女を陸家に寄越したと思われる高官は現れず。
誰に尋ねても『 』という名前など聞いたことがないという。
・・・最初は、たまたまこの城にいる者が知らないだけだと思っていた。
戦に出ている者が戻り、聞いて回れば誰か一人くらいは知っているだろうと。
珍しい名前だ。ある程度目星が付くと思っていたのに、手掛かりの一つも掴めないとは・・・。
「 ねえねえ、陸遜。ここ、景観が全然違うね。こっちの廊下はどこに続いているの? 」
私の苦悩など露とも気づかないが、無邪気に尋ねてくる。
八つ当たりしないよう・・・努めて冷静に回答した。
「 そちらも他の武将の方々の執務室です。周瑜殿や孫策さまの室です 」
「 しょうゆ? 」
「 周瑜、殿です!それから、外で私を呼ぶ時は『 さま 』とつけるようにと教えたはずですよ!? 」
聞いているのか聞いていないのか( 恐らく後者・・・ )こくこくと頷いたが竹簡に書き込む。
覚えたことをすぐ書き留められるようにと、携帯用の墨まで携えるようになった。
まったく、こんなものどこで手に入れたのでしょう・・・。
勉強熱心なのは認めるが、彼女といるとつい口煩くなってしまい、いつも以上に体力を消費する。
青筋の浮かんだであろうこめかみを押えて、私はひとつ大きな溜息を吐いた。
「 ( ・・・今日の高官探しはここまでにしておきますか ) 」
更に捜索を重ねたいところだけど、そればかりに構っていては自分の執務が滞る。
恐らく、もう執務室には政務が溜まっているはずだ。これ以上時間を割くことは難しい。
戻りますよ、とに声をかけるが、これまた空返事をしてきょろきょろと辺りを見渡している。
捜索中の彼女の視線は『 今まで見たことのないお城みたいな造り( 談 ) 』に釘付けだ。
( 城だと言ったはずなのに・・・何を聞いていたのでしょうか、彼女は )
「 ( まあ、彼女のそんな天然なところにもだいぶ慣れましたけど・・・それより、厄介なのは・・・ ) 」
浮ついたままの彼女の首根っこを掴んで来た道を戻り、執務室の扉を開ける。
中にいた文官たちが私たちの姿を見るなりわっと押し寄せてきたので、二人揃って目を瞠った。
「 陸遜さま!お留守の間に呂蒙さまから竹簡が届きました、それも大量に! 」
「 地方領主から納税の件で、陸遜さま宛に苦情がきているようですぞ 」
「 先ほど、周泰さまより今後の警備についてのご相談が、と。いかがいたしますか? 」
「 わかりました。それぞれ指示を与えますので、的確に対応を・・・ 」
ほんのしばらく執務室を留守にしていただけで、これだ。
軍師という職業柄、こなす執務量も多いのは常。これでは到底、の保護者など探すことなど・・・。
内心ほとほと参っていると、!と別の文官が彼女を呼んだ。
「 資料が見つかったのだが、計算式をどうしたらいいか・・・ 」
「 あ!これはですねえ、ここの数字を先日の公式に当てはめるんです 」
最も厄介なのは・・・には文官に必要な能力があり、一員として馴染んでいることだ。
優秀な文官を得ることは喜ばしいが、基本的に男社会だ。
女性は女官として城勤めをする者が多く、男装して仕官する女性など聞いたことがない。
「 ( 確かに、自分に非があったのは認めます ) 」
情報というものは、いつどこから漏れるかわからないと、軍師である自分が一番よく知っています。
素性の知れない女性を屋敷に置いておけば怪しまれることはもちろん、噂が広まれば事が大きくなる。
本人にも言いましたが、万が一のことがあれば・・・陸家の再興どころではない。
そんなことがあれば本末転倒。かといって、放り出すことも躊躇われた。
なら、いっそ屋敷の者にも周囲にも、が女性であることを内緒にしてしまえばいい。
女官の服は持っていませんので( 当然ですが )人混みに彼女を隠すつもりで官服を着せたのです。
この方法ならどこへ連れ歩いても疑問に思われないでしょうし、見習いならいつ辞めてもおかしくない。
そう思って端の席に座らせれば、徐に計算式を解いてみせたのですから・・・驚かされたのは私の方です!
「 なんかねー、不思議と文字も数字も読めるみたい。そういえば陸遜との会話にも困ってないしね。
それにこう見えて、私、学校では成績いい方だったんだよ、えへん! 」
問題は、成績云々ということではないと思うのですが・・・。
胸を張った彼女とは正反対に、肩を落とした私でしたが・・・このくらいでめげはしません!
しかし、その見たことのない計算式が大変正確なものだと解ると、他の文官も一員だと認めたようだ。
「 これは竹簡っていうんだ?拱手ってこう?私は文官なんだよね、着物はこのまま着てていいの? 」
「 ・・・はあ・・・ 」
本人の努力の成果か、もしくはこの性格故か。
懸命働こうとする姿勢を見て、邪険にする気も失せてきた。
もあっという間に場に馴染み、竹簡で手を切るのも厭わず墨を取った。
人の、物の名を覚え、生活様式を学び、自分の立場を悟り、どんどん吸収していく・・・。
「 ( 『 記憶障害 』など嘘のよう。いつか自分で保護者を思い出せるのではないでしょうか ) 」
文官たちと額を突き合わせて、意欲的に仕事に取り掛かるを横目に、私は溜息を吐いた。
咄嗟の対処とはいえ・・・ここまで溶け込んだ以上、もう誰にも言えない。
今更『 は女性ですから文官の仕事などさせないでください 』なんて・・・。
( また、一向にばれる気配がないというのも、これまた女性としてどうかと・・・ )
本人も、文句は言いつつも嫌がる素振りも見せず『 男子 』であろうとするから・・・不思議だ。
不思議というより、私はまったく彼女の気持ちが・・・理解できないのです・・・。
落胆する気持ちを振り切って、机の上に積み上がった竹簡を手に取る。
ばさ、と開いて目を通しては筆を走らせ、急ぎの仕事に指示を出している時だった。
「 邪魔するよ。散歩から戻ってきたみたいだね、陸遜 」
明るい声が部屋の中に木霊すると同時に、見知った顔がひょっこり現れ、私の顔にも笑みが浮かんだ。
「 凌統殿!お帰りなさい。野盗退治、お疲れ様でした 」
「 ただいま。思ったより早く片付いたんでね、その分早く帰れてさ 」
執務室に入ってきた凌統殿は、無言で筆を動かす文官たちを繁々と眺めながらやってきた。
中央奥に坐した私の机に積み上げられた竹簡の量に、おお!と驚きの声を上げてにやりと笑う。
「 さすが、将来有望な軍師さまはお忙しそうだね。追加して悪いけど、これ、先日の戦果報告ね 」
「 ありがとうございます。凌統殿も暇ではないでしょう 」
「 まあね、こんな俺でもそれなりにやることはあるんでね。だからさ・・・ 」
その場にいた文官たちをゆっくりと見渡すと、びしっ!と一人を指差す。
凌統殿の奇行に、さすがの文官たちも手を止めて、驚いた様子で顔を上げる、が。
指差された・・・は計算に集中していたらしく、皆の注目が集まってもなかなか気づかない。
隣から突かれたのか、え、え??と不思議そうにしながら彼女がようやく視線を竹簡から離した。
そうそう君ね、という凌統殿の声に、素直に首を傾げた。
「 見ない顔だね、新入り?? 」
「 はい・・・って、え・・・ああーっ!この前の人だ!! 」
「 覚えてもらっていたとは光栄だね。俺は凌統、よろしくな 」
「 よろしくお願いしますっ!といいます!! 」
ぱあっと顔を輝かせたに、何となくむっとしてしまう。
( 何故、二人は顔見知りなのでしょう。この前の人、って・・・どういう意味でしょうか )
・・・が、それ以上に驚く光景が待っていた。
近寄った凌統殿が長い指を伸ばし、の顎を持ち上げる。
ぽかんと口を開けたの視線を独り占めすると、彼は面白いものを見るように口元を歪めた。
「 うん、やっぱりあんた、女の子みたいな綺麗な顔立ちだな。気に入った 」
「 ・・・は?? 」
笑顔のまま固まったを筆頭に、その場の一同も呆然と凍り付いたまま二人を見ていた。
凌統殿は微笑んだまま、顎にかけていた手を彼女の手に持ち替えて、そのまま引っ張った。
「 陸遜!こいつ、俺んところに頂戴!!いやー、仕事が忙しくて手が回らないんだ 」
「 りょ・・・凌統殿!待ってください、その子は、は・・・!! 」
「 え、えっ!?なになに、どゆこと!? 」
突然の展開についていけず、おろおろとするを遠慮なく連れ去っていこうとする凌統殿。
私は席を立ち、二人を追おうとするが、背後の轟音に振り返る。
山積みになっていた竹簡が、立ち上がった時の衝撃に耐えられず、崩れ落ちたようだ。
文官たちと慌てて拾う間に、閉まろうとする扉の隙間から、が少し心細い面持ちで私を見ていた。
「 っ!! 」
「 り、陸遜・・・あ、の・・・!! 」
彼女が何か言いかけたが、ぱたん、と小さな音を立ててあっさり扉が閉まる。
その衝撃で第二波が机を襲い、たった今積み上げた竹簡が再度決壊した。
そのまま捨て置いてでも追いかけようと一歩踏み出したところで、陸遜さま!と文官たちが悲鳴を上げた。
・・・見捨てていくことは躊躇われた。先に仕事を減らさなくては・・・。
凌統殿は、が女性だと気付いていない。
好色家の彼も、さすがに男に手を出すこともないだろうから、ひとまず彼女の身は安心だ。
あの飄々とした彼女なら、早く仕事を終わらせて迎えに行ってやるくらいまでは大丈夫でしょう。
「 ( ・・・と高を括っていたのに、まさかあんな展開になるなんて! ) 」
その時の私は、考えもしなかったのです。
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