背の高い人は足も長い。だから、私が凌統さまの歩行についていくのはちょっと大変だった。
手を引かれているから、半ば引きずられる形で必死についていく。
「 ( 陸遜、大丈夫だったかな・・・ ) 」
背後で竹簡がどっと転がり落ちていた。その中で、常に冷静沈着な彼が動揺したような表情をしていた。
・・・あんな顔、するんだ。そう思うと、何だかちょっとだけ親近感が沸いた。
この半月、一緒に過ごしている陸遜を見る限り、動揺なんてものとは縁遠い人かと思ってたから。
尋ねてみたら同じ年齢だっていうのに、私なんかより全然大人だし、実はとっても偉い人・・・らしい。
最初、陸家で傅かれているのを見た時はすごく驚いたけれど。
お城に来て、年上の文官にもきびきびと指示を出して働く彼を見て納得してしまった。
「 ( 最初は夜這いがどうとかで驚いたけれど、悪い人じゃないんだよね。意外にお人好しさん ) 」
そうでなければ・・・放っておけばいい私を、こうも手厚く保護してくれる訳がない。
記憶喪失だと思っているようで、何もわからない私に一から教えてくれる。
きっと保護者がいるはずだと、忙しい時間を割いて必ず毎日探してくれる( ついでに城案内も! )
だからこそ、私はここで『 今まで同じように 』生活していける。だからこそ・・・腑に落ちない。
「 ( 会話も文字も、衣食住へのカルチャーショックも少ない。けれど・・・どうしてなんだろう・・・ ) 」
純粋に解らないのだ。私が、此処に来た理由、は・・・。
「 はさ、いつ頃から陸遜の文官やってるの? 」
ふいに、前を歩く凌統さまが声をかけてきた。私は慌てて顔を上げる。
「 半月前からです。ご縁があって、陸遜さまの執務室で働かせてもらっています 」
「 ちょうど皆が遠征に出ていた頃か。道理で噂にならないはずだ・・・その顔なら目立ちそうなのに 」
噂・・・ってどういう意味だろう??それも顔って!?そ、そんなに変な顔ってことっ!?
ひらひらと裾の長い官服にも慣れてきたというのに、指摘されたのはまさか顔だなんて・・・!!
私のショックはちゃんと彼に通じたようで、違う違う、と凌統さまが片手を振って否定する。
「 女の子みたいな顔だしさ。そういう噂好きな人もいるからさ・・・と、ほら着いたよ 」
引かれていた手が離れ、彼は目の前にそびえる扉を開ける。瞬間、ふわりと鼻を擽る香の匂い。
すぐに目を瞠るほど美人な女官が現れ、私たちに微笑んだ。
「 おかえりなさいませ、凌統さま 」
「 ただいま。ほら、もどうぞ、入った入った 」
女官のお姉さんに先導され、凌統さまの執務室に足を踏み入れる。
そこは・・・小ざっぱりとした陸遜の執務室とは正反対。
至る所に季節の花を挿した花瓶が置かれ、相性のいい香が焚かれていた。
( タイプの違う匂いなのに、全然喧嘩しないのはセンスのいい証拠だと思う )
綺麗に掃除され、整頓された執務室。調度品一つにしても、嫌みがない。
その壁端には、これまた選び抜かれたであろう美人女官さんが複数人控えていた。
竹簡の山は陸遜の執務室でも散々見ていたのに、こなす文官さんたちも何処かスマートな仕事ぶり。
「 の席はそこ。早速だけど、仕事お願いしてもいいかな 」
「 あ、はい 」
末席には新品の筆と墨。預かった竹簡を広げれば、陸遜の執務室と同じような内容のお仕事だ。
取り掛かろうとする私に、女官さんがお茶を用意してくれた( うーん、こういうところが違う )
普通の高校生だった私はバイト経験しかないけれど、こういう事務職も嫌いじゃないことが解った。
ここが不思議な世界だとしても、得るものはあったということは喜ばしいことだよねー・・・。
有難くお茶をいただいて、さて、と・・・と、筆を走らせる。
その瞬間から一切のことが気にならなくなり、私はしばしの間没頭した。
・・・整えられた環境での仕事はやりやすかったのか、気が付くと陽が傾いていた。
窓から差し込んでくる西日が眩しくて、手元の竹簡から目を離す。
光に射抜かれた瞳を擦りながら、太陽の位置に驚きながらも冷めた茶を口に含んで息を吐いた。
「 ( あ・・・もうこんな時間だ。今夜の陸家の夕飯、何かなあ ) 」
昨日の献立を思い浮かべながら、大きく背伸びしていると、凌統さまが声をかけてきた。
「 お疲れさん。助かったよ 」
「 いいえ、私も集中していたらあっという間でした 」
自分でも驚くくらい集中してらしい。周囲を見れば、執務室には私と凌統さまだけだった。
他の文官や女官さんたちが退室したのも気づかないくらい、熱心に仕事をしていたということだろう。
机の上を片付け始めると、ねえ、、と凌統さまがすぐ隣に立った。
「 今夜はの歓迎会を開催したいと思っているんだけど、都合はどう?
ああ、そういやはどこに住んでいるんだい?どこかに下宿しているとか・・・ 」
「 ・・・えーっと・・・ 」
お城にお勤めしている人は、もちろん屋敷を構えている人もいれば、城の寮に下宿している人もいる。
ここで素直に『 陸家です 』と答えて・・・問題はないのだろうか・・・。
文官って男の人の職業なんだって気づいたのは、つい最近のこと。
陸遜が私を男装させて連れ回しているのは、他人に内緒にしたい『 何か 』があるらしいけれど・・・。
それがイマイチよく解らないから、答えに迷っていたのだけれど、凌統さまは何かピンときたらしい。
突然『 いいよ、無理に言わなくて 』的な雰囲気を醸し出し、理解したとばかりに頷いた( え )
「 察するに、あれでしょ。田舎から出てきて、まだ定まってないんだろ?いいぜ、俺んとこ来な。
俺、男色の趣味はないしさ。一人くらい屋敷で養えるくらいの器量は持ってるつもり 」
「 ・・・は?あ、あの・・・ 」
「 田舎はやっぱ大変だよな。いやー俺に逢えてよかったな。衣食住には苦労させないっつーの 」
「 い、田舎!?凌統さま、待っ・・・ 」
「 この城にも多いんだよ。故郷で根も葉もない噂流されて、一念発起して城勤め始める奴とかね。
の優秀さを見抜いて取り立てた陸遜同様、俺もお前を信じるよ・・・どんな噂であってもね 」
・・・ど・・・どうしよう・・・。
凌統さまの中で『 田舎で苦労した上に飛び出し、陸遜に拾われて今に至る 』になっているらしい。
色々と間違ってるし!とは思うものの、突っ込んで訂正する隙がなく( 根も葉もない噂って何!? )
納得顔でひとり頷く凌統さまに、慌てて駆け寄った。
が、こんな時に限って察しが悪い様子で、いくら言葉を重ねても全然聞いてくれない。
こんなこと陸遜に知れたら、何て言われるやら・・・と思っていたら、風雲急を告げる扉の音が響いた。
ぎゃ!と肩を竦めた私の視界にちらつく、朱い服の裾。
「 陸遜! 」
ほんの数時間とはいえ、あんな別れ方をした彼の姿を認めると、どこか肩の力が抜けた気がする。
無意識に嬉しそうな声を上げてしまった私とは正反対に、明らかに怒った表情の陸遜。
つかつかと歩み寄ると、失礼、と凌統さまに告げてから私の手を問答無用で引っ張った。
「 りく・・・痛っ、痛いよ、陸遜ッ!! 」
「 さっさと戻りますよ!まったく・・・貴方は何のために城に来ているのか、忘れたのですか!? 」
「 それは・・・ 」
私の保護者を探すため。そう彼は言うけれど、ここには私のお父さんもお母さんもここにはいない。
「 ( いない人を探すだけ無駄だって、記憶喪失なんかじゃないって、何度も言ったのに ) 」
ここは『 私の居た世界 』とは違う。けれど、陸遜は絶対に納得してくれなかった。
( 軍師の常識のはんちゅーがなんとか、って言ってたような気がする )
ともかく彼の言い分を論破する術がなくて、何も言わずに彼に付き従ってきたけれど・・・。
俯いて涙目になった私の手は急に痛みから解放される。間に入った凌統さまが解いてくれたのだ。
背中に庇うように立ちはだかった彼は、こっそり私へと視線を投げて、ウィンクひとつ。
「 珍しく強引だね、陸遜。そんなにが欲しいなら、優しくしなきゃ人はついてこないよ 」
「 ・・・凌統殿、どういうおつもりですか?それに、強引に奪っていったのは貴方の方ではないですか 」
「 奪った責任も含め、彼は俺が預かるよ。だから、この子は俺に頂戴。身柄ごとね。
ああ、そうだ。今夜は俺の執務室付きになったお祝いをやることにしたんだ。陸遜も来るかい? 」
「 なっ・・・!! 」
目を見開いた陸遜が絶句する。私も同じような表情をしていたと思うけど、凌統さまはすまし顔。
ふいに振り向いて、驚いている私を荷物のように担ぎ上げた。
黙ったまま動かない陸遜を置いて、彼はそのまま退室しようとする。
「 !! 」
急な展開におろおろとするばかりの私の名を、陸遜が呼ぶ。
「 ・・・り、っ・・・ 」
陸遜、と・・・そう呼びたかったのに、声が出なかった。
助けて、凌統さまを止めて、と。さっきのように呼んで、彼の声に応えたいと思うのに。
けれど・・・陸遜は、陸遜は・・・。
「 ( 私のこと、どうして信じてくれないの・・・? ) 」
心のどこかで、いつの間にか生まれていた絶望感。
躊躇いに声を失う。そんな私を見た陸遜が、更に驚愕した様子が滲んだ視界に映った。
ばたん、と無情にも扉が閉まる。いつもより大きく聞こえたのは何故だろう・・・。
室の外に出ると、陽は山の向こうへと落ち、闇が空を覆おうとしていた。
仄暗く、人気のない廊下を歩む凌統さまの靴音だけが、静寂の中に響いた。
執務室が遠ざかり、とうとう見えなくなると・・・無意識に消沈したのが伝わってしまったみたい。
小さく溜息を吐いた凌統さまが、励ますようにわざと気楽な調子で言った。
「 だーいじょうぶだって。喧嘩してる訳じゃないんだしさ、時には距離を置くことだって大切だよ 」
担がれていることも忘れて、私は素直に頷いた。
すれ違う人が驚いたように凌統さまと私を見ていたけれど、全然気にもならなかった。
勝手に信頼して、勝手に絶望して、お人好しの陸遜の手を振り払ったのは私の方なのに。
執務室の扉の向こうで、まだ彼が項垂れているような気がして・・・胸を襲う痛みに泣きそうだった。
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