ふらふらになりながらも牀榻に辿り着いて、深く眠ったおかげで・・・目覚めが良かった。


 鳥のさえずりに導かれるようにして目が覚めた私は、ゆっくり身体を起こす。
 身支度をある程度整えたところで、タイミングよく扉の外から名前が呼ばれた。
 咄嗟に昨夜のことを思い出して、びくり、と身体が震えたけれど、声の主に気づいて飛び出す。
 鍵を開けると凌統さまがいて、昨夜の泥酔なんて感じさせないくらい爽やかに微笑んでいた。


「 おはよう、。どうやら昨日は男をあげたらしいねえ、さすがと言うべきか 」
「 ・・・・・・何の、ことでしょうか?? 」






 解ったこと、そのいち。
 昨日の私の行動は好印象だったらしく、凌統さまのお屋敷内での株が上昇したらしい。






「 ( 意識したわけじゃないのに。てか、何て言ったのかももう朧げなんだけど ) 」


 凌統さまの執務室で筆を走らせながら思い出そうとするけれど、数日経てば記憶の彼方だ。
 でも、あんな事件は二度となく、至って『 普通 』の・・・陸家に居た時と変わらない生活を送っている。
 執務室のみんなとも、宴のおかげで仲良くなれたし、屋敷でも問題なくすこぶる快適に過ごしている。
 過剰サービスは相変わらずだけど、気にならなくなってきたったというか・・・。
 ( あれ、これって慣れてきたってこと?それはそれでどうなのよ・・・ )


「 、この竹簡、棚に戻しておいて。それから残りを呂蒙殿んとこに届けてくれ 」
「 わかりました 」


 凌統さまの机に積んである竹簡から、一部を棚に戻すと残りを脇に抱えて執務室を後にする。
 午後の陽射しが差し込む城の廊下は、最近、更に賑やかだ。
 以前、野盗退治から戻られた丁奉さまにご挨拶したけど、あの時はほんの一部の武将が戻ってきただけで。
 それが完全に終わったとかで、今まで留守にしていた武将が全員戻ってきた、らしい。
 更にキャパ超えの印象があるけど、活気があって、私はこっちの方が好きかも。
 そう思えるのは、私、余裕が出てきたってことなんだな。慣れた様子で、人波の隙間を縫って竹簡を運ぶ。
 城の構造も随分覚えた。もう墨壺を持って歩かなくても、よく行く場所は頭に入っている。
 官服も着こなせるようになったのか、呼び止められることも振り返られることもなくなったもの。


 呂蒙さまの執務室は比較的近い。こつこつ、と扉を叩いて返事を待った。


「 どうぞ、入ってくれ・・・ああ、か。凌統から止水の件での竹簡だな 」
「 はい!さすがですね、呂蒙さま 」


 入室した私の姿を認めるなり、要件が解っちゃうなんてさすが呂蒙さま!
 真っ直ぐな賛辞に、蓄えられた髭が照れた微笑に揺れる。
 呂蒙さまの執務室は文官が少ない。その上、みんな出払っているのか、呂蒙さまお一人だった。
 すぐに返事を出すから、そこで待っていてくれ、と言われ、竹簡を渡して壁際の椅子に座った。






 解ったこと、そのに。
 凌統さまは、意外にも仕事ができる武将らしい。






 呂蒙さまが高官なのは、堂々とした雰囲気で解るんだけど・・・凌統さまも相当敏腕な武将みたい。
 ( って、すごく失礼な発言かもしれないけど、内心驚いたんだから! )
 人の好い呂蒙さまが言うには、凌統さまはお父様のことで随分苦労されたそうで。
 それを乗り越えるのは並大抵の努力ではなかっただろう・・・と、小さく呟いたのを聞いたことがある。


「 ( 部下に気を配るのも上手いし、空気も読めるし・・・いい上司よね、うん ) 」


 トラブルは初日だけで、凌統さまのお屋敷に慣れるのも早かった。
 それは彼が見えないところで気遣ってくれたのかもしれないし、仕事だって私がこなせる範囲で投げてくる。
 陸遜とはまた違うタイプの上司。それはそれでお仕えできるのは光栄なことだと思う。


 けれど・・・私、このままずっと凌統さまの傍にいることになるの、かな・・・。






 解ったこと、そのさん。
 陸遜は・・・もう、私のことなんかどうでもよくなった、のかもしれない・・・ということ。






 あれ以来、陸遜には逢っていない。
 呂蒙さまは陸遜の上司も兼ねていらっしゃるので、陸遜も度々この執務室を訪れていたらしいのだけど。
 いつの頃からか忙しさを理由に、本人ではなく、代理の文官を通して相談をしているらしい。
 そういや、凌統さまの執務室にも陸遜自身が顔を出したことはない。


「 ( ここ1か月くらい、って呂蒙さまが言ってた。ちょうど私が凌統さまの執務室に移った時期だ ) 」


 私・・・避けられているのかな。当然のことだと思う反面、どうしようもなく胸が痛む。
 凌統さまは、喧嘩じゃないんだからそんなに焦らなくても平気だって言うけれど。
 それでも、それでも逢いたい。謝る、とかじゃなくて、とにかくすごく・・・気になるんだもん。
 わ、私のこと信じてる信じてないとかは、時が経つほど二の次になってきて。
 今は、陸遜がどうしてるかな、倒れてないかな、という思いの方が強い。
 ( きちんと出仕してる、くらいは凌統さまが教えてくれるから、情報として知っているけど・・・ )


 陸遜の執務室の場所はもちろん覚えている。でも、勤務中の彼の忙しさも心得ているつもり。
 だから私から赴くことはできないけれど、も、もし、陸遜が私のことを心配してくれているなら・・・。
 ・・・って、やっぱりダメだ。こんな消極的な考え方じゃいけない。


「 ( 自分から動かないと何も変わらないのに・・・きっかけが掴めない・・・ ) 」


 彼が私のことを嫌いになっていたら?本当に、私のことなんかどうでもいいと思っていたら?


 陸遜を困らせたくない。お仕事の邪魔をしたくない。足手まといになりたくない。
 このまま顔を合わせない方が彼のためになる・・・?ううん、そんな状況に耐えられないのは私の方。
 じゃあ私は、自分の気持ちをすっきりさせたいという理由だけで、彼に不快な思いをさせるの?


 うあー・・・マイナス思考の無限ループに、だんだん落ち込んできた。
 頭の中がいっぱいいっぱいで、半べそをかいた私に、呂蒙さまが近づいてきたことにも気づかなかった。


「 、竹簡が出来たから凌統のところへ持って帰って・・・どうした、泣いているのか?? 」
「 ・・・呂蒙さま、すみ、ません・・・これは、あ、あの・・・ 」
「 ん?何だ、らしくないぞ。何か悩んでいるのなら話してみろ 」


 微笑みを絶やさない彼は、涙目の新米文官にも優しい。その優しさに・・・甘えてもいいだろうか。
 呂蒙さまなら何か知っているかもしれない。そうじゃなくても陸遜の最近の状況とか教えてくれるかも。
 今がとっても忙しい時期とかなら、もう少しだけ、が、我慢するし!( 努力します! )


 席を立ち、官服の裾を握りしめながら、私は呂蒙さまを見上げた。
 温和な相好に涙が溢れそうになり、溜まらず口を開きかけた・・・・・・その瞬間だった!!






「 うわああああ!おっさん、匿ってくれ!! 」






 ばーんっ!と大きく扉が開かれ、誰かが飛び込んできた!
 その大きな人影は、執務室に入ってくるなり呂蒙さまに突進してくる。
 床が抜けそうな足音とは別に、ちりんちりんと軽快な音がした。これって、鈴??


「 甘寧、帰っていたのか 」
「 おう!野盗退治は無事に終わったぜ。海賊の俺にやられるなんざあ、奴らも無念だろうぜ 」


 呂蒙さまも凌統さまも、大きいと思ったけれど・・・この人も、随分と大きい。
 腰に付けた鈴だって私の頭と同じくらい。上半身は裸で、な、なんか刺青入ってるし!
 呂蒙さまの脇で怯んだ私を見つけた彼は、にやりとその口元を歪めた( ひっ! )


「 何だこいつ。おっさんの文官か?? 」
「 いや、は凌統の文官だ。、こいつは甘寧といって凌統と同じ武将・・・ 」
「 そうだよ!凌統だよ!!あいつ、遠征前に俺が仕掛けた悪戯を覚えていて・・・ 」


 と言いかけた言葉を遮るように、執務室の扉を乱暴に叩く音。
 部屋の主の返事も待たずに、鋭い音で開いた扉の向こうに、相当ご機嫌ナナメな凌統さまが立っていた。
 こ、こんなに不機嫌な彼は見たことがない。またもや顔が引き攣らせたが、今度は立ち竦む暇がなかった。


「 ( へっ!? ) 」


 視界が回ったのは、具合が悪いからとかいう理由じゃない。
 素早く私の背後に甘寧さまが回り込み、攻め込んできた凌統さまの前に盾にされたのだ。
 甘寧さまがさっきまでいた場所にトンファーが沈み、すぐ傍にあった花瓶が風圧で割れた。
 避けることなど当然、動くことすらできず、直立不動のまま固まって・・・一気に蒼褪める。


「 甘寧・・・今回ばかりは許さないぜ。悪戯とはいえ、やっていいことと悪いことがあるだろう 」
「 ま、待て凌統!そんなに怒らなくても・・・ 」
「 言い訳はそれだけかい?なら、いくぜッ!! 」


 凌統さまの目の奥が光り、目にも止まらぬ速さで攻撃が繰り出された。
 ( ぶぶぶぶ武将って!マジ武将だったんだぁあああ!!(意味不明) )
 待て、二人とも!!俺の執務室で喧嘩をするな!!と、珍しく怒声を発する呂蒙様の声を聴きながら。
 私は相変わらず甘寧さまの盾に徹している。いや、徹さざるをえないというか・・・。
 両脇に腕を通されて身動きできず、攻撃を避ける甘寧さまに振り回されている。
 黒いオーラを纏った凌統さまには、きっと私の姿は映ってない。
 攻撃は真っ直ぐ甘寧さまに繰り出されていて、私に当たらないのが不思議なくらい。
 ( 防ぐための盾というより、避けるための盾というか・・・子供じゃないんだから盾要らなくない!? )
 いつ当たるかわからない恐怖に冷や汗が額を、頬を伝い、甘寧さまにぐるぐると振り回されるたびに床に落ちていく。
 本当に怖い時って、目を瞑ることはもちろん、泣くことも悲鳴を上げることもできないんだなあ、なんて考えていると。


「 うらァ!!! 」


 凌統さまの渾身の一撃に、甘寧さまがバランスを崩した。脇に差し込まれていた手が緩み、身体が宙に浮く。
 放り出された私が、壁や床に激突しないようにと身を案じて・・・の、ことだと思う。
 甘寧さまの太い腕が再度私を捕える。ぐっと引き寄せられたまでは良かったのだけど。


 驚かせるつもりも、故意でもない。それは解ってる
 けれど" そこ "に触れられて、反射的に・・・『 女性 』としての私が悲鳴を上げた。






「 きゃぁぁあああああああああッッ・・・!!!! 」






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