抱きとめたの重さを実感しながら、驚きと安堵と共に、心弾んだことに自分でも困惑していた。
「 ・・・っ!! 」
感極まったような自分の声。ああ、思った以上に興奮しているようだ。
ほんの、と表現するには短すぎて、長い間、というほど離れていた訳ではない。
胸の中に収まったは、ゆっくりと顔を上げて微笑んだ。
「 ・・・ただいま、陸遜 」
「 ええ・・・おかえりなさい、 」
その『 やり取り 』だけで、空白だった時間は埋まった。
はもう一度笑って腕を解く。ふいに、名残惜しく感じていることに気が付いて赤くなった。
( そ・・・そこまで依存していないはずです!こ、子供じゃあるまいし )
顔を逸らしていると、どうしたの?と彼女が顔を覗きこんでくるので、一歩下がって距離を取る。
何でもありませんよ、といつもの『 私 』に戻って、改めて向かい合った。
「 呂蒙殿の執務室から飛び出したそうですね。貴女こそどうしました?何かあったのですか?? 」
「 ・・・・・・・・・・・・・・・ね、・・・たの 」
「 は?? 」
「 ・・・・・・むっ、胸・・・触られ、たのっ! 」
吐き出すように声を張り上げると、は真っ赤に染まっていく頬を両手で覆った。
そんな彼女とは正反対に蒼褪めていく。大地に立っている感覚が無くなっていった・・・。
「 ( ・・・わ、私のいないところで、そんな目にあっていたとは!!! ) 」
頭の中いっぱいに、絵が広がっていく。
暗い室の一角で、引き千切られた服を必死で手繰り寄せる白い手が、心無い者に押さえつけられる。
涙ながらに震える声を絞り出して、私の名を必死に叫ぶの図・・・途端、眩暈がした。
誰に、と問いたいですが、思い出させて彼女を傷つけてしまうかと思うと・・・これ以上聞けません!
確かに甘寧殿や凌統殿ならやりかねない。呂蒙殿はそんなことする御方ではないと思う、が。
いやいやいや・・・と頭を振る私の袖を引っ張る彼女。
「 で、でもね!事故だったから大丈夫!女だってバレてないと思うから、安心して!! 」
頭を抱え込むほど落胆しているのは『 性別 』のことだと思ったのだろう。
励まそうと気を遣ってくれているのか、は精一杯の笑顔を見せる。
「 ( ・・・そうではありません。私が今心配しているのは、貴女自身のこと ) 」
でも『 そう思わせて 』しまうのは、私の自業自得なんですよね。
ふう、と一息吐いて気持ちを入れ替えると、私も笑顔を返す。彼女もほっとした顔をした。
「 ・・・この後はどうするつもりですか?凌統殿の元に戻って、仕事を続けますか?
私は・・・貴女と一度ゆっくり話がしたいと思っています。今日のことだけでなく、その・・・ 」
「 うん、私も。私もね、陸遜と話したいな、って・・・逢いたいなって思っていたんだよ。
仕事も大切だし、凌統さまには悪いけど、今だけ・・・我儘言っていいなら陸遜と一緒にいたい 」
「 ・・・ 」
彼女は、今まで見たことがないような、とても落ち着いた表情を浮かべていた。
陽射しに溶けてしまいそうな、柔らかな微笑み。出逢った頃の忙しない気配は微塵もない。
・・・離れていた間、彼女は何を思って生活していたのでしょうか。
やはり離れるんじゃなかった。の様子に、私の方が動揺し、同時に嫉妬してしまう。
それを隠すように、くるりと背を向けて歩き始めた。焦るが追ってくるのは解った。
「 私は、一度執務室に戻って指示を出してきます。それから、凌統殿にも遣いを出してきます。
貴女はこのまま城の玄関口に向かってください。すぐに支度をして、追いつきますから 」
「 えっ、で、でも・・・凌統さまには、私から言わなくていいの? 」
「 勿論です!後のことは私に任せておいてください。貴女の不利になるような処理はしませんから。
大体・・・勝手にを攫ったのは彼なのに、気を遣って庇う必要、ないじゃないですかッ! 」
小さく吐いた悪態は芝生を踏む音に掻き消える。が後ろから、何か言った?と聞いてきた。
・・・急に立ち止まると、どん、と衝撃がした。
向き直ると、ぶつけた痛みに鼻を押さえているの両肩を掴んで、強めに言い聞かせる。
「 とにかくっ!!今日はこのまま帰りますよッ!いいですね!? 」
こ、こく、と躊躇いがちに頷いたのを確認して、私は彼女を解放する。
挙動不審だが、玄関口へと走っていくの後姿を確認して、踵を返す。
まず、向かうのは・・・・・・。
「 おや、久しぶりだね。まさか本人が乗り込んでくるとは思わなかったよ 」
にやり、と口の端を持ち上げた彼を睨んでみるが、効果が薄いことは知っている。
それでも多少の威圧にはなると思い、執務室の扉をくぐると、そのままつかつかと歩み寄った。
「 は、私が保護しました。今後は以前のように私の元で働かせますので 」
「 へえ、わざわざ報告に来たって訳かい。陸遜、お前ってそんなに暇だったっけ? 」
「 このくらいの時間、どんなに忙しかろうと、その気になれば作れます。
まあそれでも、呂蒙殿の部屋を破壊しに行く時間がある凌統殿よりは、忙しいですけれどね 」
形勢逆転。ふふん、と鼻を鳴らした私に軽く舌打ちして・・・やれやれと肩を竦めてみせる。
「 確かには賢い上に、可愛い奴だよ。けれど・・・堅物のお前がそこまで入れ込む理由は?? 」
「 いっ、入れ込んでなんかいませんっ!!そんな関係では・・・ 」
「 はいはい、じゃあ放っておけない理由は?にしようか 」
「 ・・・・・・、は 」
は、違う『 世界 』の人間なんです。
本当は気づいていたのに、事実を認める勇気がないのは、私の方だったんです。
誰も知らない間に、忽然と私の庭に現れた少女。
不安と恐怖で顔を強張らせて、精一杯の虚勢を張りながらそこに立っていた。
最初は・・・どうでもよかった、彼女の存在など。早くその場から去らないかと願ったくらいだ。
それでも、見捨てられなかった。
迷子の子供のように、気まぐれに伸ばした手に必死に縋りついてくる彼女を見て、胸が痛んだ。
此処が『 異なる世界 』だと認識しながら、それでも明るさと前向きな姿勢を失わない。
彼女を見ていると、自分もまだまだ頑張らなくては、と思う。
軍師として、陸家の当主として、学んでいく志を彼女から貰うとは。
・・・凌統殿に掻っ攫われるのは想定外でしたが、彼女を取り戻せた今は、もう手放す気などない。
出逢った時から、絶対の信頼を寄せてくれる彼女に応えたい。
今度こそ、私もと正面から向き合います。
彼女の言うことを全部受け止めて、熟考して・・・これから、どうしたいのか確認しなければ。
望んだ未来へ辿り着けるよう、彼女の行く先を見守っていきたいと思う。
未だ道に迷うなら、その足元を私が照らしましょう。もう、独りではないのですから。
だから、だから・・・・・・。
「 はとても純粋で、私にはかけがえのない大切な存在です。だから、手放したくありません 」
強くはないが、信念の篭った言葉に、凌統殿が驚いたように目を丸くして・・・笑った。
わざとらしく大袈裟な溜息を吐くと、近くにいた女官に何か申し付けた。
彼女は一礼すると、奥にあった小さな机の荷物を手際よくまとめる。そして凌統殿に渡した。
ほら、とそれを渡された私は、事態が読めずに首を傾げる。
「 の荷物。あいつ、着の身着のままで来たからさ。屋敷に置いてあるものは後で届けさせるよ 」
「 ・・・ありがとうございます 」
深く一礼して執務室を去る。次は自分の執務室に戻って、今日の分の仕事の指示を出さなければ。
はもう待っている頃だろうし、急がなければ・・・それに、
「 ( それに、凌統殿も話せば解る人だと改めて認識できましたし ) 」
やはり、頼りになる呉武将の一人だ。
荷物も預かったし、に良い報告が出来そうだと足取りが軽くなったが・・・。
「 陸遜に男色の趣味があったとはねえ・・・こりゃ甘寧に報告だ 」
という背後の声に、一番大きな『 荷物 』を思い出して、頭が痛くなったのはまた別の話。
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