廊下を歩く人の数は、かつてないほど多い。
彼らにもみくちゃにされつつも、目的地を見失わないように進み続けるのはなかなか難儀だった。
ようやく辿り着いた一角で、柱にしがみついて群れから外れると、はあ、と吐息が漏れた。
・・・この先、一歩でも入れば、そこは通常の『 文官 』の域ではない。
だからこそ、目立たずに入らなきゃ。
高鳴る胸に手を当てて、辺りを見渡す。一度深呼吸して、そのまま足音を潜めて角を曲がる。
誰も追ってこないのを確認しつつ、奥へ奥へと進んでいった。
「 いらっしゃい、。待っていたわ! 」
室に入るなり、尚香さまの甲高い声が私を歓迎してくれた。
拱手した私の隣に、迎えに来てくれた練師さまが立つ。
そして、こちらへ、と室の隅に立てかけてあった、横にも縦にも大きな衝立へと案内された。
「 ・・・しょ、尚香さま、練師さま、これって・・・ 」
言われるがまま進んだ私は、衝立の裏を見てすぐに戸惑う。
見るからに高価な女性ものの着物。すぐ横に置かれた机の上には、これまた見事な装飾品の数々。
高校生には縁もないし、日頃そこまで興味のない私も、思わず身を屈めて見つめてしまう。
簪や櫛、それに・・・イヤリングかな、これ。腕輪やネックレスもある。
どれもこれも綺麗な石が付属したり、埋め込まれたり、精密な装飾が施されていた。
「 ふふ、綺麗でしょう?今回の企画のために厳選したんだもの!貴女を飾りたてるためにね!! 」
「 ・・・・・・は?? 」
「 さ、時間がないわ。練師、早速取り掛かって頂戴っ! 」
「 かしこまりました 」
衝立の向こうで、勇ましく指揮を執る尚香さまの声に練師さまが答える。
2人のやり取りは息がぴったりで、聞いている分には爽やかなのに・・・会話の内容は最悪だ!
あわあわとその場で地団太を踏んでいた私に逃げる隙を与えず、練師さまが近づいてきた。
壁と衝立の間を塞ぐと、その綺麗な顔でにっこりと笑って見せた。
「 さ、殿・・・・・・お覚悟を 」
お・・・男の人ならイチコロなんだと思うけど、全然目が笑ってないですよ、練師さま・・・っ!!
迷える子羊な私の襟首を、むんずと捕まえて奥へと放る。
バランスを崩してよろけた。それでも容赦なく腰へと伸ばされた彼女の手に、とうとう悲鳴を上げる。
「 きゃぅわぁぁあああ!ななな何するんですかーッ!? 」
「 まずは官服をお脱ぎくださいませ。そこからは私がお手伝いさせていただきますので 」
「 わ・・・わか、わかりましたから!自分でやりますからーッ!! 」
かっ、過去にも、凌統さまのお屋敷でこんなことにならなかったっけ!?
同じように抵抗しても、練師さまって何でびくともしないの!?普通の女官さんじゃないとか!?
( 何で、何でダメなのようわぁぁあーんッ!!! )
半泣きなった私がギブアップ宣言をすると、練師さまもふう、と一息吐いて手を緩めた。
「 助かりましたわ・・・私も、さすがに殿方の下着を脱がせるのには、少し、抵抗が・・・ 」
・・・下着、脱がされるところだったんだ・・・私・・・( 危なかったよ、陸遜 )
練師さまが衝立の向こう、尚香さま側に行くのをちゃんと見届けて、こっそり嘆息する。
いっそこのまま蹲って泣いてしまいたい気分だったが、そこは堪えて腰紐に手をかけた。
しゅる、と衣擦れの音がし始めると、それは2人の耳にも届いたのか。
騒がしかった部屋の温度が下がり、静かになっていく。
下着姿まで脱いだところで・・・はたと気付く。衝立の向こうへ、あの、と声を投げた。
「 し、下着手前まで脱いだんですけど、この後どうすれば・・・てか飾り付けるって、一体・・・ 」
空気に流されたけれど、どう考えたって身ぐるみを剥がされる理由がない( 脱いだのは自分だけど )
用意されたモノと飾り付けるという言葉が連想させるのは、間違いなく『 女装 』な予感・・・。
・・・うん、私、今だって間違いなく女子なんだけど!むしろ男装してるよ!ってのは置いといて。
「 ( 一介の文官を捕まえて女装させる理由って何!?尚香さまの言う企画ってどーいうこと!? ) 」
荒ぶる内心を抑えつつ、出来るだけ穏便に尋ねたつもりだったが。
尚香さまは核心の質問には答えず、しらじらしい声音で練師さまを呼んだ。
「 練師ー、が下着手前まで脱いだって言ってるわよー 」
「 あら、下着も脱いでいただきたかったのですけれど。その方が現実味が増しますのに 」
「 ・・・・・・・・・はあ 」
やっぱり・・・理由は教えてもらえないのか。予想はしてたけど、つい溜息が出た。
・・・仕方ない。今更逃げられる雰囲気でもないし、少しの間だけお姫様の我儘にお付き合いするか。
覚悟を決めると、練師さまの指示通り、椅子の上に置かれた薄手の着物を広げた。
申し訳ないけど下着を脱ぐのは勘弁してもらい、上に着物を羽織って腰に紐を巻きつける。
・・・この紐を巻くのも、初めて官服を着る時には苦労させられたっけ。慣れなくて練習したな。
そういや、今、私が着ている下着って女性ものなのか陸遜に聞いておこう。
何かの拍子に見られたら困るじゃない?今度こそ『 女 』だってバレちゃうかもしれないし。
( そんなピンチに遭遇したくないけれど、絶対ないって言い切れないから・・・今回みたいに )
こんなことになるなら別れる前に聞いておけばよかったな・・・と、ふと数刻前の彼の姿を思い出す。
「 今夜は、野盗退治の無事帰還を祝って、宴が開かれるのですよ 」
夕焼けを背に、彼はそう言った。
だから今日は城に人が多い上に、特別に執務時間が短く定められているのだと。
「 ( 宴・・・っていうと、宴会とかパーティみたいなもの? ) 」
私が知っているパーティなんて、文化祭の打ち上げくらいだからあんな感じかな・・・と想像する。
うーん、美味しい料理が食べられて、皆とワイワイ騒ぐのは楽しいよね!
・・・と思ったのに、隣を見上げるとうんざり顔の陸遜。
「 どうしたの?楽しみじゃないの??宴 」
「 ・・・正直、執務をしていた方がマシです。の世界には宴がありますか? 」
「 あるけれど、そういうのに出た経験がない。あ、凌統さまのお屋敷の宴くらいかな 」
「 歓迎の宴くらいなら規模が小さい分、人数が少なくて、貴女への被害も少なかったでしょうけれど・・・。
今回のような祝宴には、孫家の方はもちろん、呉の武将・高官が揃います。
酒杯も重ねますからね。酔って絡む人もいれば、酒の力を借りて近寄ってくる人も多いんです 」
「 ふーん、それのどこが嫌なの?? 」
確かに、酔って絡んでくるのは困るけれど、近寄ってくるくらいはいいんじゃない??
( そういや、この世界は未成年の飲酒とか規制がないんだろうか・・・凌統さまんちでも思ったけど )
陸遜の悩みはそこではないらしく、弱々しく首を振ると、溜息と共に呟いた。
「 これを機に、と、宴席で縁談話を持ち掛けてくる人が多いんですよ・・・ 」
その場できっぱり断ってもお酒のせいで忘れたり、屋敷まで押しかけて迫る人もいるらしい。
宴でお酒や料理を振る舞う女官に紛れて、近づこうとする積極的なお嬢さんも多いようで・・・。
・・・という彼の話に、思わず合点がいく( あれか、初日の夜這い云々ってこういうことか )
「 へえ、モテるんだ、陸遜って。怒りんぼうで心配性さんなのにねえ 」
「 私を怒りんぼうで心配性にさせているのは誰のせいですかっ! 」
「 あはははは 」
「 あはは、じゃありません!!とにかく!今日の執務はこれで終わりです。
貴女は先に陸家に帰っていてください。今夜は、私も遅くなりますので 」
「 はあい、頑張ってね!陸遜っ 」
ぷい、とそっぽを向いた割には、応援の言葉をかけるとがっくり肩を落とした。
そんな彼の背中を見送って、私は回廊を進む。見渡すと確かに今日は着飾った女性が多い。
「 ( 嫌がってはいたけれど・・・陸遜も、いずれはこの人たちの中から見つけるんだろうな ) 」
特別な、誰かを。生涯を共にする大切な女性を、いつか・・・・・・。
「 殿、結び終えましたらお声掛けください 」
練師さまの声に我に返った。
一瞬、何故か途切れてしまった意識に喝を入れるように、ぺち、と頬を叩いて。
終わりました、と声をかけると、衝立の中に彼女が入ってきて、後は練師さまが着付けてくれた。
1枚、2枚と淡水色をグラデーションのようにを重ねて、最後に刺繍の施された真紅の着物に袖を通す。
絹・・・だろうか。どれもこれも羽のように軽いので、何枚着ても動きやすい。
そして、腰に巻かれた帯は、金糸と銀糸を丁寧に織ったものだった。
細工に見惚れていると、椅子へ座るよう促される。目を瞑っているように言われ、私はその通りにした。
まずは髪に触れられ、手早く櫛で梳かれてと上に持ち上げられる。
多分、アップスタイルにされてるんだろうな、というのは感覚で解った。
「 さあて、どれにしようかしら・・・簪と耳飾りは派手にして、腕輪はこれ、でどう?? 」
「 ええ、きっとお似合いでしょう。こちらの首飾りを増やしてはいかがでしょうか 」
着替えが終わったためか、尚香さまも衝立の中に入ってきたようで賑やかになった。
私は目を閉じたままだったけれど・・・鼻孔を擽る、化粧特有の匂い。着物に焚かれた香の薫り。
練師さまの手が顔に触れ、何かを塗っている。唇を、瞼を、頬を細い指が滑らかに撫でる。
・・・人の手って、触れられるだけでヒーリング効果があるって雑誌で読んだことがあったな。
為すがままに、と委ねていたが、ふとその手が離れて、私の肩を叩いた。
「 終わりました。目を開けていただいて結構ですよ 」
数度瞬きを繰り返して、視点を合わせる。
ようやく視界がはっきりしてくると、喜色満面な尚香さまと練師さまの姿が目に入った。
・・・どうしてそんなに見られているのか解らなくて、首を傾げていたが。
やがて、2人は顔を見合わせて得意げに笑った。
「 うふふっ、完璧ね、練師。これなら絶対!誰にも解らないはずよっ!! 」
も見てみるといいわ、と手渡された鏡。そこに映った姿に・・・開いた口が塞がらなかった。
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