背後からばしんっ!と背中を叩かれて、息が詰まった。
反射的に睨みつけようとしたが、犯人が解って慌てて拱手する。
「 背が丸くなっているぞ、陸遜!これから勝利の宴だというのに、そんなことでどうする 」
「 魯粛殿・・・重々承知はしているのですが、その 」
「 はっはっは、人気があるうちが花よ。俺の仕入れた情報によると、今夜も陸遜への縁談話は多そうだ 」
「 ・・・・・・はあ 」
魯粛殿の情報網は的中するから尚更困る。宴会場へと向かう足取りが一気に重くなった。
私の苦労を察してくださった魯粛殿は、まあ助け舟が必要な時は合図してくれ、と苦笑して席に着く。
彼の左隣に私も着席した。すると、すぐに自分の左隣も埋まる。
大柄な身体を見上げると、太史慈殿だった。久しぶりだな、陸遜殿、と低くも心地よい声と共に笑んだ。
そういえば彼も野盗退治参加者だ。もっと上座でなくて良いのですか?と尋ねると、首を振った。
「 甘寧殿が率先して先鋒を務めてくれたので、私は大して活躍していない。それに上座は苦手でな 」
苦笑した彼に続いて、ああ、と納得した私も苦笑を浮かべた。
・・・先鋒の甘寧殿が、敵を蹴散らしながら進軍するのが目に浮かぶ。
指示通り動いてくれればよいが、そうはいかないのが彼だ。続く軍が尻拭いする羽目になる。
その甘寧殿はというと、凌統殿、呂蒙殿と並んで私たちの向かいの席に座った。
おうっ、陸遜じゃねえか!と元気な声が会場中に響き渡り、上座にいた周瑜殿からの怒声が飛ぶ。
隣の呂蒙殿には、このやりとりが精神的に響いたのか、胃のあたりを押えて顔を青くしていた。
それを見た凌統殿が呂蒙殿の肩を叩いて、何やら慰めている。
相変わらずの光景。宴は勘弁してほしいが、こういうやり取りを見るとどこかほっとする。
野盗といっても侮れない。時間が経つほど強固な集団になり、略奪も暴力も過度になっていく。
だからこそ・・・彼らとの変わらない時間が、とても貴重なものに思える。
ふっと肩の力が抜けて、魯粛殿と顔を見合わせて笑った時、銅鑼が鳴る。
その場にいた者が口を噤み、一斉に起立して拱手の姿勢をとった。
中央に敷かれた絨毯を渡る人の気配。面を上げよ、という声がかかり、私たちは手を解いた。
上座に揃った孫家一族。中心にいた虎が、にやりと笑って盃を掲げた。
「 無事に帰還した者を労い、戦死者の健闘を称える宴だ。勝利を祝い、皆、派手にやってくれ! 」
孫堅さまがそう宣言すると、全員が再度拱手する。
着席すると料理が運ばれ、酒が振る舞われ、宴会が始まった。静かだった会場が一気に熱を増す。
「 陸遜さま、お酒をお注ぎいたしますわ! 」
「 いえっ、私が!ささ、どうぞ陸遜さまっ! 」
「 ああん、もう邪魔よ!!ひっこんでなさいな! 」
・・・熱を増したもうひとつの争いに、遠慮することなく憮然とした表情を浮かべる。
魯粛殿と太史慈殿に苦笑されているのを横目に、私は梅瓶を1本確保して自分で注ぎ始める。
我先にと身を乗り出して注ごうとする女官たちは、それを見て注ぐのを躊躇う。
盃から溢れて着物を汚すのも失礼にあたるだろうし、飲み干しても当人の手ですぐ足されるのだ。
戸惑う様子の彼女たちに、私はぴしゃりと言い放った。
「 私はお節介な女性が大嫌いです。知って尚、世話を焼くのなら、嫌悪の対象にしかなりませんよ 」
どの娘も『 好かれたい 』『 印象に残りたい 』のが目的。
嫌悪されたくない心理を逆さに取るには、こう言い含めるしかない( あまり気分は良くありませんが )
頑なに拒絶の態度を崩さない私を見て、彼女たちはばつが悪そうな顔をして離れていく。
小さく溜息を吐くと、向かいからくつくつと笑う声が聞こえた。
「 そんなに邪険にしなくてもいいんじゃない?人に好かれることは損より得が多いはずだよ 」
「 凌統殿と違って、来る者拒まずという姿勢ではありませんので 」
「 陸遜ってば最近冷たいんだよなあ。やっぱり俺がを取り上げたの、まだ根に持ってんの? 」
「 そっ・・・そんなことは、 」
ありません!と続けたかったのに、ぐっと喉元で止まってしまう。
ふいに上がったの名に、思いがけず動揺してしまい、顔を火照らせる。
それが逆に珍しかったのか、呂蒙殿や甘寧殿、魯粛殿や太史慈殿の視線をも集めてしまう結果となった。
「 何だ、は陸遜の文官だったのか?あいつはいい、若いのによく働く子だ 」
「 そうなんですよ、呂蒙殿、魯粛殿。あまりに可愛くて、俺が引っ張ってたらこの結果ですよ 」
「 ああ、周瑜殿から聞いたぞ。呂蒙の執務室を壊した時に、甘寧が巻き込んだという文官だな 」
「 ちょっと待て!悪いのは凌統の方だっ!それに、巻き込もうと思って巻き込んだ訳じゃ・・・ 」
「 甘寧殿、野盗退治の時も同じような言い訳を言ってなかったか? 」
「 ああン!?んな訳ないだろ、太史慈!! 」
「 言ってったっつーの、男なら潔く認めろよ 」
酒の勢いも随分ついてきたようだ。火がついたように一斉に喋り出す。
私たちの卓を発信源に、他の卓でも大きな声が上がるようになった。
上座を見やると、孫策さまが上着を脱ぎ始めたが、酒の席だからと周瑜殿も止める気はないらしい。
黄蓋殿の笑い声が会場を震わせ、孫堅さまも膝を叩いて盃を煽る。
赤い顔をした孫権さまは、控えていた練師殿に酒を注がれて更に顔を赤くしている。
ふいに・・・彼女の主人である尚香さまと目が合った。普段は快活な彼女も、宴では孫家の姫君。
美しい衣装に身を包んだ尚香さまは私を見て、に、と歯を見せて微笑んだ( ・・・え? )
首を傾げたところで・・・ざわ、と一際大きなどよめき。私も慌てて、皆の視線の先を追う。
どうやら会場の入り口に誰かが現れたらしい。喧騒に満ちた会場に、父様、と尚香さまの声が響いた。
「 今日のために美姫をお招きいたしましたのよ。愛蘭、入ってらっしゃいな 」
『 愛蘭 』と呼ばれた女性が、はい、とか細い声で返事をした。
すすっと衣擦れの音。放たれた扉の向こうに表れたその姿に・・・皆が息を飲むのも、解る気がした。
白い肌を引き立てる淡い色の着物を重ね、一番上には呉軍の象徴である真紅を纏っていた。
帯も、首や腕に嵌めた装飾品も簪も、精巧な職人の手で作られた装飾品。
それに引けを取らない・・・美しい顔立ちの娘だった。
少しあどけないが、そこがまた目を惹く。大輪の花を咲かせる前の、膨らんだ蕾を見ているよう。
艶やかな黒髪を彩る花飾りと、引かれた紅の朱さが、いっそう彼女の魅力を増幅させていた。
歩くたびに、しゃら、と耳飾りが音を立てる。その音が近づき、目の前の絨毯を通り過ぎて行った。
彼女が上座に辿り着いて膝をつくまで、会場中が静かに見守っていた。
拱手した彼女に、孫堅さまが盃を差し出す。
「 孫家の宴によく来てくれた、愛蘭とやら。さっそくだが酒を注いでくれないか 」
「 は・・・はい、喜んで 」
孫堅さまの隣に移動すると、練師殿に渡された梅瓶をぎこちなく傾ける。
満たされた盃を煽って呵々大笑しすると、会場に向かって語り掛けた。
「 美しい女性に注いでもらう酒は、やはり美味いな。皆も愛蘭に注いでもらうといい。さあ騒ごうぞ! 」
わあぁ・・・と怒号にも似た歓声に、会場が揺れる。
視線を奪われていた自分も、はっと我に返る。次は俺だ!と逸る甘寧殿を呂蒙殿が必死に抑えていた。
笑う魯粛殿と共に、その様子を見ている『 振り 』をしながら、私は上座を盗み見る。
孫策さま、孫権さまへと酒を注いでいる愛蘭は、何か話しかけられているのか、にこやかに応対している。
・・・確かに、美しい人だと思います。遠目でも可憐で、それでいてとても魅力的だ。
群がってきた女性たちとは違って、全然嫌な気がしない。
許されるなら、私も一杯注いでほしいと思っている( そう望んでいることに自分でも驚いています )
けれど、違う。目が離せないのは、もっと別の『 理由 』があるような気がして・・・。
尚香さまの微笑みを見た時から心の隅に刺さっている、引っかかり。
内面的なものだから取れる筈もないのだけど、どうにも胸がざわつく。
もしかしたら、次第に近づいてくる彼女の気配に落ち着かないだけなのかもしれないけれど・・・。
・・・折角だから、盃を空にして待っているとしましょう。
こんなにも待ち遠しい気分になるのは・・・私も、酒に酔ってしまったからなのでしょうか。
15
back index next
|