「 愛蘭殿、こちらへ!盃が空になってしまいましてなあ 」
「 さあさあ、もっと寄りなされ。ほほう、近くで見ると一層美しい女性ですな 」
「 次はこちらの卓にも来ていただきたい。皆、愛蘭殿を待っていますぞ 」






 何がどうして、こんな事態になったのだろう・・・。






 色んな方向から飛んでくる視線が突き刺さって痛い。それは男性からも女性からも、で。
 ヘルプミー!と尚香さまと練師さまへ何度も視線を投げているけれど、微笑み返されるだけ。


 うううっ!誰が好き好んでお酌の役目なんか引き受けなきゃなんないのよーっ!
 こんなことだって知っていたら、絶対引き受けなかったのに。
 まあ、お2人はそれが解っていたから、私に何も話さず女装させたんだろうな。
 ・・・でもさ、あんなに美しい装飾品と絹を用意されて、目を輝かせない女性はいないと思うんだ。
 ( あれ?これって私が『 女性 』だってバレてる、ってこと・・・!? )






 そ、それに尚香さまだって、孫家の人だって教えてくれたらいいのに!
 位が高いお嬢様なんだろうなってのは見た目で解ってたけど、まさか本物だとは。
 練師さまに泣きつくと、けろっと答えられた。


「 あら、出逢った時『 姫様 』とお呼びしたので気づいていらっしゃるかと・・・ 」


 と言われては、何も言い返せなくなってしまった。
 思い出して溜息を吐いていると、尚香さまが付けてくれた仮名を呼ばれる。


「 愛蘭!もう一杯注いでくれ! 」
「 あ、は、はい、孫策さま 」


 にっと笑って歯を見せるお兄さんが、尚香さまのお兄様で孫策さま。
 その隣の、体育会系の孫策さまとは対照的な周瑜さまと、やっぱり尚香さまの下のお兄様である孫権さま。
 ( 字が違うとはいえ、同じ呼び名を使うのって珍しいと最初は驚いた )
 隣に膝をついて孫策さまにお酒を注ぐと、孫権さまにも差し出されて梅瓶を傾ける。


「 いい名だな、愛蘭って。どこに住んでるんだ?日頃、何しているんだ?? 」
「 そ、そうですねえ・・・割とお城の、ち、近く、ですかねぇ・・・ 」
「 そうなのか!?何だ、こんないい女がすぐ傍にいたなんて、俺、全然気が付かなかったぜ。
  近くってどの辺だ?ひとつ向こうの小路か?それともふたつ向こうか?みっつ?? 」
「 ・・・あ、あの・・・それは秘密、ですー・・・ 」


 お城の近く、というか、お城の中にいるんですけどね・・・。
 さすがに具体的に言うとボロが出てしまいそうで、激しく追及されるとすごく困るっ!
 よっつか、いつつか!?と食い入る孫策さまに、内心『 ヒィィイイイ! 』と絶叫する。
 だが、彼らの後ろからにゅっと現れた2人の女性にその場を救われた。


「 孫策様、愛蘭殿が困った顔をしていますよ。あまり問い詰めては可哀想です 」
「 そうだよ、お姉ちゃんの言う通り!周瑜さまはそんなことないもんね〜、えへへ 」


 幼い顔立ちの姉妹。姉の方が孫策さまを窘め、妹が自分の夫へと抱きつく。
 抱きつかれた夫側も嬉しそうな顔を隠そうともしないんだから・・・犬も食わないとはこのことだ。
 つい微笑ましい光景に頬を緩ませると、上座の孫堅さまと黄蓋さまがおお、と声を上げる。


「 やはり微笑むと花が開くように愛らしいな。その名の通りだ 」
「 うーむ、わしがもう少し若ければのう。嫁に来い!と言うところじゃ!がははは!! 」


 お褒めに預かった笑顔とやらが引き攣ってしまい、袖口で口を隠していると、その袖を引っ張られた。
 ずいっと差し出される盃。またまた孫権さまだ。少し目が据わっているので気になって声をかけた。


「 あの・・・孫権さま、あまり飲み過ぎては身体に障りますよ 」
「 まだ足りん。愛蘭、注いでくれ 」
「 で、でも・・・ 」
「 ここは私にお任せ下さい。孫権さま、彼女の言う通りです。今夜はそのくらいにしておきましょう 」


 ようやくヘルプの手を差し伸べてくれた練師さまに彼を預けると、一度その場から解放される。
 息を吐いて額の汗を拭った。お酒を注いで注いで、また注いで・・・どれだけ呑む気だろう、この人たちは。
 経験はなくても、それが翌日まで尾を引くってことくらいは高校生の私にだって解ってる。
 ・・・明日執務だよね?いつも通り。これだけ飲んで、よくまあ響かないものだ。
 手元の梅瓶にはもう中身がない。会場の端にある酒甕で継ぎ足していると座敷から呼ばれた。
 はあいっ!と振り向いて・・・手を振っている人物を見つけて、凍りついた。


「 愛蘭殿ー、俺たちにも注いでくれっつーの! 」


 凌統さまだ。それだけじゃない、隣には甘寧さまや呂蒙さま・・・そして、奥には。


「 ( り・・・陸遜に、は、さすがにバレない自信がない!絶対絶対バレちゃう!! ) 」


 あの辺りの卓は避けていたのに、最後の最後で呼ばれてしまうとは・・・。
 その声には気づかなかった体を装って甕へと向き直る。梅瓶へと入れているフリ、入れてるフリ・・・。
 おーい、愛蘭殿ぉ?と凌統さまに重ねるように、俺が連れて来てやるよ!という甘寧さまの声がした。
 ぎょっとして、急いでその場を離れようとすると、背後からむんずと腰を引き寄せられる。


「 んぎゃあぁっ!! 」
「 おらよっと!こりゃでかい魚だ、大漁だぜ!! 」


 落としそうになる梅瓶を胸に抱えて、反射的に暴れるが甘寧さまはビクともしない。
 まさに一本釣りされた魚の如く、脇に抱えられて有無を言わさず連行される。
 呂蒙さまと凌統さまの間に卸され・・・じゃない、下ろされると、凌統さまがにっこりと微笑んだ。


「 愛蘭殿、ぜひ貴女の注いだ酒が飲みたくてね。いいかい? 」
「 ・・・・・・は、はあ 」


 ・・・完全に余所行きの微笑。女性を口説く時に見せる顔だって、一緒にいたからこそ解る。
 恥ずかしくなって下を向くと、逸らすのを赦さないというように、細い指が私の顎をつ、と持ち上げた。
 一瞬のこととはいえ、惑わすような表情で凌統さまに見つめられて・・・不覚にも頬が赤くなった。
 ( こ、これが百戦錬磨のプレイボーイの微笑なのね・・・!? )
 その整った顔を、横から甘寧さまが平手で押しのけたものだから、色々と台無しになった。


「 次は俺だ!へへ、頼むぜ、愛蘭 」
「 は・・・はい 」
「 そんで次はおっさんと、向かいの席にいる魯粛と陸遜と太史慈にもな。皆、待ってたんだぜ! 」
「 おっさんは余計だ! 」


 ドキドキとした胸の鼓動を鎮める間もなく、甘寧さまの盃を満たすと、呂蒙さまへも注ぐ。
 ちょっと照れた様子で恐縮する彼の姿は、執務の時には見られない顔で微笑ましかった。
 気を良くした私はそのまま魯粛さまにお酒を注いで・・・続いて、太史慈さまの前に膝をついた。


「 これは有難い・・・が、すまぬが愛蘭殿、隣の陸遜にもぜひ一献お願いしたい 」


 太史慈さまがそう言って頭を下げた。
 ・・・律儀な人だな。そうやって改めて頭を下げられると、何とも躱し辛いんだけど( ううっ )
 反射的に、はい、と頷いてしまい、ちらりと横目で見やった。
 陸遜は盃を飲み干して私を見る。視線がかち合って、思わず肩を竦めた。
 バレる・・・!即座にそう思ったのに、彼は申し訳なさそうな笑顔を浮かべていた。


「 愛蘭殿、ご迷惑でなければぜひ私にも、酒を注いでいただけないでしょうか 」


 控えめな、それでいて綺麗に浮かべられた笑顔・・・こんな陸遜、初めてだ。
 私の前じゃいつも怒り顔しか見せてくれないくせに。他の女の人にはそんな顔、見せ、てるの・・・?


 ぎゅっと胸が捕まれたよう。凌統さまの時なんか比じゃない。気が付いたら首を縦に振っていた。
 随分酒に酔っているのか、よかった、と嬉しそうに呟いた陸遜の顔は赤い。
 その熱が映ったように、私の頬も少しずつ赤くなってくるのが解った。しずしずと隣に座る。
 彼が手にしていた盃へ、とくとくとく・・・と音を立てて注がれる白濁酒。
 ほんの数秒。だけど、見られてると思うだけで、注ぎ終わる頃には耳まで真っ赤になっていた。
 一気に飲み干すと、はあ、と美味しそうな嘆息が漏れ、ありがとうございます、とはにかんだ。


「 さすが尚香さまのお声のかかった美姫ですね。孫堅さまの仰る通り、貴女の酒は美味しいです 」
「 ・・・ありがとう、ございます 」


 ・・・今まで散々、皆にお酌していて、こんな気持ちになったことはなかったのに。
 陸遜の素直な礼が嬉しくて、つい返事をしてしまった。その瞬間、ぶわりと汗が噴き出る。
 胸が、苦しい。早く、早くどこかへ・・・とにかくこの場を一刻も早く離れたかった。




 慌てて立ち去ろうとする姿を見てか、凌統さまの囃し立てる声がして・・・事態は急速に悪化する。




「 陸遜!お前って奴は、の次には愛蘭殿を独り占めする気かっつーの!! 」
「「 えっ!? 」」


 陸遜と同時に声を上げてしまい、振り向いた私は自分の梅瓶から零れた酒で足を滑らせる。
 ふわりと身体が浮き、悲鳴も上げないまま真下にいた陸遜へと倒れ込んだ。
 装飾品が派手な音で鳴った。彼は咄嗟に受け止めてくれたらしく、私は胸の中へと顔を埋めた。


「 すっ!すみませんすみませんっ!! 」
「 いえ、大丈夫ですか?愛蘭殿こそ、どこか痛いところは・・・ 」


 優しい声音が頭上からして、私はそのまま・・・何気なく、顔を上げてしまった。
 抱き締められた私と陸遜は、吐息もかかる至近距離だということを失念して。
 途端に、身体に添えられていた彼の腕が強張り、笑顔に細められた双眸が大きく見開かれる。






「 ・・・・・・・・・? 」






 瞳に映った私の頭の中に『 ゲームオーバー 』という単語が浮かんだ。






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