「 ( 本当に、とんでもない所へ来ちゃったんだなぁ・・・ ) 」
目の前に広がる景色は、いつかどこかで見た水墨画を思わせた。
剥き出しの岩肌といえば荒々しいイメージなのに、美しい筋目の羅列はもはや芸術だと思う。
どのくらいの年月が経てば、どんな事象が起これば、こんなに美しい景色が生まれるんだろう。
想像するだけで、その果てしない時間に頭の中がグルグルしちゃう・・・。
それにさ・・・これって幻じゃないんだよなあ。
「 ( いや、わかってたけど。うん、わかってるけど ) 」
こうやって屋敷の外に出ると、改めて自分の『 境遇 』について考えさせられる。
私はただの・・・本当に、どこにでもいるごく普通の女子高生で。
気が付いたら此処にいた。その事実が在るだけで、きっかけや手段は今でも思い出せない。
何もわからない私が、陸遜に拾われたことはとても幸運だったと思う。
おかげで文官としての仕事に目覚めたし、呂蒙さまや凌統さまや甘寧さまにも知り合うことができた。
高校に通って勉強してたことが無駄だって言うんじゃない。
だけど正直、今の方が何倍も充実している。そう思えるほど、私は目の前の現実を楽しく過ごしている。
「 ( ・・・それでも、いつか元の世界に戻ったら ) 」
今この時の出来事を振り返って、未来の私は『 どう思う 』のだろう。
懐かしい、とか。それとも楽しかったな、かな。
いーや、やっぱりそこは陸遜の怒鳴り声から離れてせいせいする、とか?
凌統さまんとこから陸遜の執務室に戻っても、相変わらずの叱られ具合だからなぁ。
あの眉間の皺はいつになったら解消されるやら・・・。
「 ( 陸遜は心配性のお節介さんなんだよね。そこまで子供じゃないってのにー ) 」
船の小縁に頬杖ついたまま、知らず知らずのうちに苦笑していたようで。
離れたところにいた水夫さんたちが、不思議そうな顔をしてこちらを振り返っていた。
照れ隠しに慌てて咳払いをして、誤魔化して・・・でも、と思い直す。
「 ( その前に還れるか、だよね ) 」
広大な景色を目の当たりにすればするほど、此処が自分の居た世界ではないことを痛感する。
この気持ちが『 帰巣本能 』ってやつなのかな・・・。
そんなものが、実は私の中にあったのかと思うと不思議な気分だけど。
「 ( 何でもいい・・・とにかく、内心不安で仕方ないだけ )」
どうしてだろう・・・ちょっと前までは、当然のようにいつかは帰れるだろうと思っていた。
だから今を楽しみたいって、ちょっとしたレクリエーション気分だったんだよね。
けれど日が経つごとに自信がなくなってきた。焦りに蝕まれて、心に余裕がなくなっていく。
・・・原因はわかってるんだ。
時間の経過と共に朧げになっていく、此処へ来る直前の記憶。
あの記憶が戻れば、少しは希望が持てるかもしれないのに・・・。
昨夜、陸遜に『 帰りたい 』と言ったのは、口に出したら叶いそうな気がしたからだ。
何が何でも叶ってほしいと思ったから。だって、ずっと此処に居るなんてことになったら。
ズット、ココニイルナンテコトニナッタラ、ワタシ、キット、リ
「 おーい、!ちょっとこっち来い!! 」
ぱん、と水風船が弾けたように我に返る。
目の前には先程まで見ていた景色。
いや当たり前なんだけど・・・一瞬、別世界にいた、みたいな。
「 ( ・・・今、 ) 」
『 何か 』に触れた気がしたけれど、捕まえかけたそれは、声に驚いて逃げてしまった。
その声の主を探して辺りを見回すと、甲板の中央にいた甘寧さまが、ちょいちょいっと手招きしている。
彼の周りには小さな人だかりができていた( 何かあったのかな・・・ )
道を譲ってくれる強面の水夫さんたちに頭を下げつつ、舳先から中央へと向かう。
輪の中心に辿り着くと、身長差のある甘寧さまをおずおずと仰いだ。
彼の腕には灰色の鳥が止まっている。手に持っている布はこの鳥が運んできたのだろう。
甘寧さまはその布を黙って睨んでいたが、やがて苦虫を潰したような表情を浮かべて溜息を吐いた。
「 お前が屋敷にいねえっつーことに気づいて、怒った陸遜が俺ンとこに乗り込んできたらしい。
ちょっとした乱闘騒ぎになったって、屋敷のモンが知らせてきたぜ 」
「 は・・・!?だ、大丈夫なんですか?陸遜も、お屋敷の人も 」
「 ああ、心配には及ばねえ。だが面倒くせえことに、陸遜が俺たちを追いかけてきているらしい 」
やれやれと首を左右に振る甘寧さまの向かいで・・・凍った。
さっきまでの物見遊山な興奮が抜けて、同時に血の気も失せていく。
「 ( わっ・・・私、また何かやらかしちゃった!? ) 」
だってだって、ちゃんと外出するって伝言をお願いしたし、メモも残してきたのに!
それなのに・・・どうして陸遜ってば怒ってるのーっ!?
乱闘騒ぎ起こすほど怒らせるようなことはしていないつもり、なんだけどなぁ・・・。
脳内フル回転で『 原因 』を探すけれど、さっぱり思い当らない。
半分涙目で頭を抱えている私に、とりあえず、と甘寧さまが言った。
「 追ってきている陸遜を待つことにしようぜ。今ここですれ違っても困るだろ。
俺からちゃんと理由を説明してやっからよ。、お前はそう怯えなくてもいいぞ 」
「 は・・・はい 」
「 野郎ども、近くの岸に船をつけろ!陸遜は都から追ってくるだろうから街道沿いだ、いいな 」
甘寧さまの声に応えた水夫さんたちが、わらわらと自分の持ち場へと帰っていく。
帆の向きが変わり、風を受ける角度が変わる。ゆっくりと進路が変わっていくのがわかった。
ぽつんと取り残された私の肩に、大きな手が乗せられた。
「 心配そうな顔するんじゃねえよ。凌統みてえに誘拐した訳でもねえんだ。
しっかし、お前は本当に陸遜に気に入られてんなぁ。何かコツでもあるのか? 」
「 甘寧さま・・・気に入られてるって表現は少し違います。
どちらかというと面倒な存在なんだと思います。だって、いっつも怒っているんです 」
呆れられて、挙句の果てにいつか放り出されるんじゃないかって、私の方が脅えてる。
陸遜の穏やかな表情なんか、私にとってはすごく貴重で・・・だから、昨夜・・・。
「 あん?そうか??俺は真逆だと思ってたが、違うのか 」
甘寧さまの台詞に顔を上げる。
が、理由を聞く間もなく、彼は視線を前に投げて言葉を続けた。
「 この先に街道と交わる岸辺がある。陸遜も知ってる場所だ。
奴のことだ。きっと計算してそこに向かって・・・ってほら、早速来やがった 」
「 ・・・ええっ!? 」
もう!?っていうか心の準備ゼロなんだけど!!
武将である甘寧さまの方が、はるかに研ぎ澄まされた聴覚を持っているのだろう。
え、えっ!?と蒼褪めたままきょろきょろする私に、一定の方向を指差してみせる。
間もなく、街道と思われる幅の広い道が、対面の切り立った崖沿いに現れた。
速度を落として進む船。止んでいく風の音に重なっていく・・・馬蹄の音。
私は、甘寧さまの指す方角へと身を翻して、船の小縁にしがみつく。
砂埃を上げて、必死に馬を追い立てる姿が視界に入ると、たまらず叫んだ。
「 陸遜っ! 」
私の声が聞こえたのか。馬上の彼が顔を上げて、船体を望むと私の姿を探し始めた。
「 、どこですか、!?」
「 ここだよーっ!ここ、ここだってばーっっ!! 」
声を張り上げるが、お互い動いているせいか、なかなか見つけられないらしい。
「 ( うーん、まだ着かないのかな ) 」
心の準備なんてものはすっかり忘れて、私は縁から身を乗り出して街道の道筋を目で追った。
徐々に下った先に、ぽっかりと開けた平地がある。あれが甘寧さまの言っていた岸辺だろう。
水底を覗きこむと、船を取り巻く水しぶきも少なくなっている。
既に、水夫さんたちによって接岸の準備も進められている。停泊まであと数分だろう。
船が止まるれば、きっと陸遜も私を見つけてく・・・。
がこ、ん。
一際大きな音がした。何かにぶつかったのだろうか。今までにない大きな振動が船を襲う。
悲鳴を飲み込み、揺れる船体に捕まったつもり、だったのだけど・・・。
「 、危ねえッ!!」
甘寧さまの声が背後でしたけれど、その時にはもう甲板にはいなかった。
「 !! 」
さっきまで見つけられなかったのに、今、彼の視線はしっかりと私を捉えていた。
怒気と驚愕とで、ただでさえ二重パッチリの瞳をさらに大きく見開いている。
あーあ、そんな顔しないで。怒らせてばかりだけど、私にはそんな気、更々ないんだよ。
本当は・・・陸遜には笑顔でいてほしいんだって、昨日気づいた。
宴で『 愛蘭 』に向けたように、たまにでいいから『 』にも笑ってくれたら・・・。
「 ( しばらく還れなくても、陸遜の傍なら不安に駆られても大丈夫って、そう思えるのに ) 」
ぽーんと放り投げられた身体が宙に舞う。
一瞬の出来事だったはずなのに、自分のことより、そんなことをのんびりと考えてしまった。
そして、目を閉じる暇すらなく・・・私はそのまま水に叩きつけられた。
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