戻ったところでまた追い出されるだけなのだろう。
 月英のいる部屋に戻ることは諦めて、時間稼ぎをするように重い足取りで廊下を彷徨う。


「 ( 花嫁衣裳・・・ってことは、ウェディングドレスってことだよね? ) 」


 のいた『 世界 』でウェディングドレスといえば白いものが多い。
 堕ちる前に、は一度従姉の結婚式に呼ばれたことがある。スカートの裾がふわふわと舞っていた。
 薄いレースに赤い絨毯が透けていて、とても綺麗だったのを覚えている。
 そうだ、冠もつけていた。キラキラ光るアクセサリーもいっぱい身につけて、子供心に感動して憧れた。
 つ、と持ち上げた今身に着けている衣装は、白には程遠い。
 かといって、絵本や遊園地で見たお姫様の色ドレスはもっと鮮やかだったので、それとも違う。
 『 向こう側 』の記憶は日に日に薄くなっているが、こういう記憶だけは残っている。


 ・・・昔、諸葛亮や姜維が興味を持つので、元の世界の話もした。
 その中で、花嫁衣裳が白色であることについて話したことがあるかもしれないが・・・。


「 ( さすがに・・・もう覚えてないだろうなぁ ) 」


 もう6年も前のことだ。当時は言語も下手だった。
 それに、話したのは雑談の延長線で、2人が聞きたい重要な情報の域から外れている。
 は姜維の部屋の前に立って、ぼんやりとドアの向こうにいるであろう彼を思う。
 月英はああやって薦めるけれど・・・どうしても彼にだけは見せる気にはなれなかった。


 ・・・だって、何て言えばいい?
 これ花嫁衣裳なんだけど、どうかな?なんて言ったら、まるで婚姻を心待ちにしているみたいで。
 姜維にだけは誤解して欲しくない。いつもの味方で、いつも支えてくれるのは彼だけだ。
 言語が思うように通じなくて、もそかしさに泣いていたを慰めてくれた。
 当時も軍師として多忙だった諸葛亮に代わって、自分の傍で根気良く理解しようとしてくれた。
 だからも、これ以上ないほどの信頼を姜維に寄せているし、誰も彼の代わりなど出来ない・・・。
 それだけ『 姜維 』という人物は、自分の中で欠かせない存在なのだ。


 月英には見せたと偽ってこのまま戻ろう。そう思った矢先だった。


「 ・・・・・・? 」
「 えッ!? 」


 ふいに扉の中から声をかけられ、は飛び上がる。
 逃げるに逃げれなくなって・・・その場でおろおろとしていると、入っておいで、と言われた。
 観念したは一度だけ大きな深呼吸をし、扉に手をかける。


「 ( ・・・願わくば、嫌われませんように ) 」


 き、と小さな音がして、扉の隙間から恐る恐る顔を出す。
 身体を半分起こした姜維が、こちらを見ていた。
 にこ、と曇りのない微笑みを見る限り、今日は調子が良いみたいだ。もつられて笑った。
 だが、顔を覗かせるだけで一向に部屋に入ろうとしない彼女を、姜維は不思議そうな表情で見ていた。


「 どうした?何故、入ってこないの? 」
「 え・・・えと、あの・・・ 」
「 いつもはそんな遠慮、見せないくせに。何か入りづらい理由でもあるのか? 」


 ならばこちらから、と言わんばかりに姜維が半身を起こして牀榻を降りようとする。
 それを見たは慌てて部屋に入って止めようとした。


「 だ!だめだよ姜維!!病み上がりなんだから、起きちゃ・・・ 」
「 ・・・・・・その、姿 」


 姜維は言葉を失った。が身につけた、日頃見慣れない豪華な衣装は。


「 花嫁衣裳・・・か 」


 姜維は胸の内の感情を必死に抑え、努めて平静を装ったつもりだった。
 それでも・・・彼女は、無意識に漏れてしまった一瞬の感情を感じ取ったのだろう。
 じり、と一歩ずつ無意識に後ずさりするような素振りを見せたので、姜維は慌てる。
 ・・・そうか、が部屋に入るのを渋った理由はこれか。
 隠しても仕方あるまい。観念したように牀榻に腰掛けた。
 無理に笑顔を貼り付けて手招きしたが、青褪めたは首を振った。


「 お、怒っ、てる? 」
「 怒ってないよ 」
「 ・・・嫌いに、なったりしない? 」
「 嫌いにもならない。だからおいで、 」


 しばらく考えるように俯いて、小さい歩幅で姜維を伺うようにゆっくりと近寄る。
 拳ひとつ分の距離を置いて、彼の隣に座った。俯いたを、姜維はじっと観察するように見つめた。
 花嫁衣裳はまだ仮縫いの段階のようだが・・・月英の見立てだろうか、よく似合っている。
 けれどは居心地が悪そうに、落ち着かない様子で衣装の裾を掴んだり、そわそわと腰を浮かしている。
 自分のせいとはいえ、花嫁衣裳に惹きたてられた彼女の憂い顔は更に美しい。目が、眩んだ。




 だから・・・姜維は思わず、口に出してしまったのだ。




「 はよく、自分を嫌いにならないかと確認するね。私に嫌われるのが、怖い? 」
「 ・・・うん、怖い。絶対、やだ 」
「 私が『 味方 』だと孤独ではないからか?は、交わした約束を破るとでも思ってるのか? 」
「 ううん・・・ううん、そんなことは思ってない。姜維は約束を破らないってわかってるもん 」
「 では、何故?それは・・・私に好意を寄せてくれているから・・・? 」
「 ・・・す、き・・・? 」


 馴染ませるように、が口ずさむ。
 姜維は枕元に備えていた、乾いた布をきょとんとした彼女の頭にふわりと被せた。


「 元の世界では、こんな風に白くて薄い布を被るといってたね・・・見てみたかったな 」
「 ・・・覚えてたんだ。随分前に話したことだったのに 」


 ぱあっと彼女の顔が輝いた。感動に上気した頬が、薄く染まる。


「 もちろん。そして・・・この花嫁衣裳は私のために纏ってくれればいいのに、と思ってる 」
「 え? 」
「 私は、貴女が好きだ。家族ではなく異性として。は・・・どう、思ってる? 」


 私のこと、少しは異性として見てくれているの・・・?


 真摯な眼差しに、はまずうろたえた。
 告白を頭の中で整理するのに少し時間がかかって・・・真っ赤になる。
 は反射的に顔を背けて逃げようとする。けれど、武将である姜維が早かった。
 牀榻に座っていたを引き寄せ、抱き締める。暴れる彼女を無理矢理自分の胸元へ閉じ込めた。
 ・・・本当は、姜維だって動揺していた。こんなかたちで告白つもりなんてなかった。
 どちらかというと、言ってしまった、という思いが強い。きっと花嫁姿なんか見てしまったからだ。
 彼女の気持ちの在り処を見定めてからと思ってたのに。余裕など何処かへ吹き飛んでしまった。
 

「 ( 私の方こそ、に嫌われるのは怖いんだ ) 」


 せめて・・・今、揺れている瞳だけでも見られまいと、姜維は腕に力を込めた。
 の身体が更に強張る。こんなことをして・・・彼女を怖がらせたくないのに。
 自分とは違う、柔らかいの身体。鼻をくすぐるのは彼女愛用の香の匂い。
 一度ぶつけた思いの丈は、自分の理性だけではもう止まらなくなってしまった。


「 丞相に渡したくない・・・!貴女を貰い受けるのは、この姜伯約でありたい!! 」
「 きょ・・・姜維、くるし・・・っ 」
「 好きだ・・・好きなんだ、貴女が! 」


 苦しさに喘ぐ彼女が、胸元から顔を上げる。
 姜維はすかさずの唇へ自分のを重ねた。問答無用な行動だが、抵抗はなかった。
 彼女の柔らかい髪を被っていた白い布が、音もなく床に落ちた。
 ・・・どれくらい、そうしていただろう。
 一度、大きく身体を震わせて以来、しがみついていただったが・・・。
 さすがに動かなくなったことを心配して、吸い付いていた唇をようやく開放する。


「 ・・・? 」


 がくん、と首が落ちていて、持ち上げて顔を覗きこまなければ見えなかった。
 耳の中まで真っ赤に染めたは、脱力したように姜維に寄りかかってきた。
 全く力が入らないのか、全身を彼に預けて・・・それはそれは小さな声で、囁く。


「 ・・・・・・わた、し・・・も、だよ 」


 姜維には、その答えだけで十分だった。
 もう一度、今度は包み込むように抱き締めると、今度はそっと彼女の腕が背中に回される。






「 姜維・・・ 」






 嬉しそうなその声に、かの人が諸葛亮の娘であること、近いうちに妻になることの一切を忘れられた。


 そしてそれが、永遠のものとなればいいと・・・心の底から願うのであった。










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Material:"青柘榴"