「 姜維が目を覚ましたらしいじゃないか! 」
諸葛亮が振り返ると、執務室の入り口に馬岱が立っていた。
いらっしゃい、どうぞこちらへ、と招くと、彼は帽子を持ち上げて礼をする。
机近くまで来ると、諸葛亮が広げていたものに目を留めて立ち止まった。
「 また調べものかい。精が出るねえ 」
「 しっかり調べて過去の事例をつきつければ、本人も納得するでしょう 」
「 あんまりやり過ぎると、本当に嫌われてしまいますよ?孔明殿 」
「 ・・・もうとっくに嫌われていると思いますけどね 」
そうでなくても自分は汚れ役が多い。今までもそう、これからもそう。
けれども・・・それは、すべて愛する者たちのため。だから自分は一切後悔していない。
積もり積もった結果、かけがえのない2人に嫌われることになってしても・・・だ。
皮肉めいた苦笑を浮かべた諸葛亮に、馬岱は肩を竦めた。
「 それでも、あの2人は孔明殿を嫌わない方に俺は賭けるけどね! 」
にかっと自信ありげに笑った顔を見て、諸葛亮は眉を下げる。
そうであればいいんですけど・・・と呟いて、開いていた資料を閉じた。
例え、気休めでそう思われているのだとしても嬉しいことだ。
諸葛亮自身も、万が一の確率だとしても2人がそう思ってくれたら・・・と願って止まないのだから。
向かいの椅子にどかりと腰掛けた馬岱のためにと、傍らにあった茶器で茶を淹れ始める。
いつもお弁当を持ってくるが、来客時にすぐ淹れられるようにと常に机の脇に用意してくれるのだ。
「 そういえば、今日はは? 」
姜維の看病にかかりきりだと聞いてはいるが・・・。
茶器の用意があるということは、今日は一度執務室に顔を出したのだろう。
「 今頃、我が家で月英と花嫁衣裳を選んでいるはずです 」
といった瞬間に、茶を吹き出した馬岱。
目の前の諸葛亮が、わざと嫌そうに顔を顰めるのを見て、前言撤回!と睨んだ。
そのうち本当に坂道を転げ落ちるように嫌われるんだからね!と言うと、諸葛亮はしれっと告げた。
「 月英には伝えました 」
「 ・・・すべて? 」
「 ええ、すべてです。馬岱殿にお伝えしたことと同じことを 」
これで『 秘密 』を共有する者は3人になった。
馬岱は自分が零した茶を拭き終えると、溜め息混じりに座り直した。
「 じゃあ月英殿には、ご協力いただけるんだね? 」
「 納得、には程遠いですが、まあなんとか 」
「 ・・・そうかい 」
馬岱が窓辺から空を見上げるので、諸葛亮も同じように青空へと視線を投げた。
・・・いい天気だ。呼びつけておいた仕立て屋はもう到着しているだろうか。
感性のいい2人なら、いずれやって来る晴れの日にふさわしい衣装を選ぶだろう。
その姿を見たい、何としても。世間の親はこんな感情なのだ、と諸葛亮は改めて実感した。
がいい表情をせずとも、月英ならなんとか上手くやってくれるだろう。
「 ・・・信じてますよ、月英 」
思わず零れた本音に、馬岱が笑った。
諸葛亮ほどの地位になると、商人の方から屋敷へとやってくる。
この日も日頃から衣装を注文している仕立て屋が、担いできた郡から様々な反物を出してきた。
並べられた反物の数に、不機嫌だったでさえ、今は舌を巻いて驚いている。
「 婚礼用ということですから、それにふさわしい反物をお持ちしました 」
「 こんなに・・・ありがとうございます。さあ、自分の身体に当ててみてください 」
「 ・・・・・・はい 」
正直言って気は進まない。
弁当を届けた先で、諸葛亮から花嫁衣裳を選ぶようにと言われた時、愕然とした。
まあ・・・今まで、婚姻に関しての何も話がなかったのがおかしかったのかもしれない。
時間が経ち過ぎていて、はもう一度落ち込んでしまった。
沈んだ表情のままの彼女に、月英がほら、と反物を広げて肩に当てる。
「 こちらを向いて・・・ああ、に似合いますね 」
「 そう、ですか? 」
「 奥様の仰るとおりですわ。よくお似合いですよ 」
真横にある大きな姿見を見れば、何とも浮かない顔をした自分が立っていた。
こんな顔では、月英たちに申し訳ないと思って笑顔を作ろうとするが・・・今は、笑えない。
花嫁衣裳ということもあり、いつもとは違う見立てに心躍ることは、年頃の女子としては当然なのに。
「 、よかったら姜維のところに行ってきてはいかがですか? 」
月英が両手を広げて採寸と色あわせを繰り返すに声をかけた。途端、彼女の顔が更に曇る。
「 え・・・どうして、ですか 」
「 姜維も家族ですから。折角ですもの、姜維の意見も聞いてきて下さい 」
採寸と色合わせを繰り返していたの身体には、試行錯誤の末に選んだ反物が巻かれていた。
本物の花嫁衣裳には程遠いが、雰囲気だけでも伝わるはずだ、と月英は言いたいのだろう。
・・・だけど。
「 だけど・・・姜維は、まだ病み上がりですし。寝ているかもしれません 」
どうしてなのかはわからないけれど、これは得策でない。
自分にとっても、姜維にとっても。そのくらいのことは私にだって、わかるもの。
痛む胸の前で手を組んで、は月英に反論するが。
「 そんなこと言わずに、ね 」
「 月英さま! 」
見て評価するくらいなら、病み上がりなんて関係ないですから。起きているか確認するだけでも。
何かと理由をつけて拒もうとするの背を押して、部屋からさっさと追い出した。
間髪居れずに扉を閉めた・・・ように見せかけて、月英が狭い扉の隙間からこっそり見守っていると。
は彷徨うように、何度も同じ場所を歩き回って、ようやく月英へと背中を向けて部屋へ向かう。
終いに肩を落としてとぼとぼと歩いていくを見て、ほっと胸を撫で下ろした。
反物を整えていた商人が、不思議そうにこちらを見ていた。
月英は、何でもありません、と笑顔を作って、広げていた反物の整理を手伝うことにした。
「 ( 孔明さま・・・やはり私に荷が重過ぎます ) 」
夫は、いつもこんな気持ちで接していたのかと思うと・・・改めてその偉大さに気づかされる月英だった。
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Material:"青柘榴"
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