好き、という言葉を口に出した時、すごくどきどきした。
舌で転がして初めてしっくりくるというか・・・喉元を通るように、すとんと落ちた。
ずっと歯痒かった。奥に何かつかえているような気がして、はもがいていたのだから。
だけど・・・『 名前 』を与えられてとてもすっきりした。そして、判明した。
「 ( 私、姜維のこと・・・好きなんだ ) 」
手を当てた胸を打つ鼓動は、姜維を想って鳴るものだ。
同時にぎゅうっと締め付けもするので苦しい。頬を押さえれば驚くほど火照っていて、とても熱い。
でも、でも・・・どうしてこんなに、幸せな心地がするのだろう・・・。
は注いだ椀を盆に載せた。彼のために用意した粥が、ほんのり湯気を上げている。
随分と身体も回復してきたので、粥にするのはこれが最後だろう。
持とうと盆の縁に手をかけて・・・慌てて手を離す。
桶に溜まった水を覗き込んだは、手櫛で髪を整えた。
・・・こんなこと、今まで気にならなったのに。
どうしても自分の行動のひとつひとつの先に『 姜維 』の存在があるような気がしてしまう。
整えたって、無駄なのかもしれない。だって今まで、自分も彼も気にしたことなんてなかったのに。
恥ずかしさにうう、と唸りそうになる自分を必死に押さえて、頬をぺちぺちと2度叩いた。
今度こそ盆を持って台所を出発する。姜維の部屋は、屋敷の中でも奥に位置している。
料理が冷めてしまわないよう、早歩きで到着すると扉を軽く叩いた。
「 姜維、食事を持ってきたよ 」
「 ああ、ありがとう。どうぞ入って 」
部屋に入ると、姜維はうつ伏せに寝ていた身体を起こす。
は机に盆を置いてそれを助けると、彼にありがとうと微笑まれた。
「 そうだ、あとでにお願いしたいことがあるんだけど 」
「 なあに? 」
「 新しい包帯を巻くのを手伝ってほしいんだ 」
と、差し出された包帯は2つ。背中の傷なので、一人では巻きづらいのは確かだ。
じゃあ食事より先に巻いちゃおうか、とが提案すれば姜維が頷く。
包帯をに預けると、姜維が徐に着物を脱いだ。途端、小さな悲鳴が部屋に響いた。
「 えっ!? 」
「 ご・・・ごめ、なっ、何でもないかっ、らっ!! 」
姜維が振り向くと真っ赤な顔をしたが、床に蹲っていた。
具合でも悪いのか、と手を伸ばそうとすると、があわあわと床を張って逃げようとした。
怪しい・・・何でもないはずがない。むしろ何かあるに決まってる。
逃がさないぞ、と眉を顰めた姜維が、背後から彼女を抱き上げた。
「 きゃあっ、きゃああああっ!! 」
腕の中で問答無用にじたばたと暴れるので、姜維は作戦を変えてみることにした。
つ・・・と痛そうに顔を顰めて、の身体ごと牀榻に倒れこんだ。
彼女はさっと顔を青くさせると、抱き締める腕の間から慌てて姜維の名を呼び、身体を揺さぶった。
「 姜維、姜維、き、傷、痛むの!? 」
「 ・・・・・・ごめん、嘘なんだ 」
ぺろり、と赤い舌を覗かせた彼に、呆然とした。
再び暴れて逃げようとするのを羽交い絞めにして、顔を寄せた。
頬を膨らませたと姜維の顔が、鼻先が触れんばかりの距離まで近づく。
「 どうしたんだい?何をそんなに動揺して・・・ 」
「 姜維のばかばかばか!今すっごい心配した!そんで、すっごい恥ずかしかったんだからね! 」
「 は、恥ずかしい・・・? 」
「 だってだって!いきなり脱ぐんだもん!何なのよ、恥ずかしいじゃな・・・うぎゅうッ!! 」
原因がわかったら、姜維の方こそ恥ずかしくなってきた。
いや、恥ずかしいのではなく・・・『 嬉しい 』。それからたまらなく、ああ好きだ、と思った。
がここまで動揺するのは、自分を『 男 』として意識してくれている証拠だった。
真っ赤になって俯いた彼女の頬を両手で掴むと、そっと持ち上げる。
興奮して涙目になっている瞳のすぐ横に、ひとつ、口づけた。
「 ・・・姜、維・・・ 」
うっとりとしたようなの声。どうしようもなく愛しくて、とうとう唇を重ねる。
ぎゅっと腕にしがみつき、合間を縫って呼吸する。
時折、苦しそうに眉を顰めるのを見て、姜維は息をしやすいように間を置いてやった・・・が。
「 ん、ふっ・・・・ッ!? 」
唇を割って進入してきたものに、彼女が強張った。
それでも必死についてこようとする姿がけなげだ。固まった身体を覆い、牀榻へと沈める。
重なる体温、吐息に、姜維もも酔っていく。そして、つい・・・の胸へと触れてしまったのだ。
びくり、と今までないくらい大きく震えると、見開いた瞳から涙が真珠のように転がった。
「 ご、ごめんッ! 」
さすがに焦りすぎた、と姜維が慌てて身体を起こす。
口づけで終わらせるつもりだったのに、自分は何てことを・・・!
これじゃあ理性を失った、ただの獣のようだ・・・と後悔に顔を歪めていると。
そんな彼の顔にの手が伸びた。彼女は泣いていた、いや泣かしたのは自分なのだが。
・・・なのに、どこを決意を含めた瞳が姜維を射抜いて、離さなかった。
「 ・・・? 」
「 ・・・・・・よ 」
「 よ?? 」
「 いいよ、って・・・言ったの 」
今度は姜維が固まる番。はもう、顔を上げてはくれなかった。
かろうじて見えていた耳から項まで、紅色に染まっていた。
それを見た姜維も自分の理性を保つのに必死で・・・甘美な混乱に、視線を彷徨わせてばかりいた。
「 ・・・私、このまま・・・姜維のお嫁さんになりたい 」
「 お嫁さんって・・・、あの、その、意味わかって・・・言ってるのか? 」
「 わかってる!もう!!すぐ・・・そうやって子ども扱いするんだから 」
声音が小さくなったので、また泣くのではないかと思ったが・・・彼女は笑っていた。
「 姜維が、いいの 」
孔明さまじゃくて、姜維のお嫁さんがいいの。
そう言って優しく微笑んだ彼女を、深呼吸した姜維がこつり、と額を合わせる。
「 本当に・・・私でいいと、思ってくれてる、の? 」
諸葛亮の妻になるのが嫌だから自分を選んではないか、と何度も何度も確認した。
・・・だって、きっともう、この『 道 』を選んでしまったら引き返せない。
姜維もも、今までの過去やこれからも未来、すべてを犠牲にしてしまうのだ。
どんなにお互いを想い合っていたとしても・・・それは、人の『 道 』から外れる。
今度こそ、本当の『 獣 』になってしまう。姜維だけじゃない、も道連れにして、だ。
「 あんまり女の子に恥ずかしい台詞、言わせないで、よね・・・前にも言ったはずだよ。
姜維がいい。他の人じゃダメ、姜維だから触れてほしい 」
「 ・・・私も、です。ずっとずっと貴女だけを愛している。そしてこれから先も、貴女だけを・・・ 」
「 ・・・嬉しい・・・ 」
ふふ、とが笑って、恥ずかしそうに瞳を閉じた。睫が、水気を含んだまま震えていた。
彼女の決意に、姜維にはもう・・・迷うことなどなかった。
再度そっと口づけると、そのまま唇を首筋に這わせる。襟に隠されていた白い柔肌に吸い付く。
乱れないように、と気をつけていた襟を割り、今度こそその隙間から手を差し入れた。
の唇から今までとは違う、堪えるような甘い吐息が漏れた。幼馴染のものではなく『 女 』の声。
その声に、姜維の中で枷の外れる音がした。ずくり、と眠っていたものが頭を上げる。
背中の傷の痛みなんてささいなものだ。これから背負う業と、手に入れる歓びに比べたら・・・。
机に置いた粥はとっくに冷めていたが、それに気づくのは随分後のことだった。
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Material:"青柘榴"
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