「 パパとママはねえ、人も羨むほどの大恋愛だったのよ! 」
頭の中で鳴り響く声は、向こうの世界の人のもの。これは夢だ、とは思う。
もう思い出せないと諦めていたのに・・・脳ってすごい。本当は私の奥に眠っていたんだ。
失くしたはずの記憶はぼんやりと淡白く光って、の中で鳴り響く。
「 周囲の誰も賛成してくれなくて、耐え切れず2人で家を飛び出しちゃったの。
駆け落ちしちゃうほど、パパとママはお互いを好きでね・・・やがて貴女が産まれたのよ 」
ママの笑う気配。もう止めなさい、恥ずかしいから・・・と照れたように声を荒げるパパ。
両親と共に幼い自分もいる。それを遠くから眺めている今の自分・・・懐かしくて泣いてしまいそうだった。
かけおち?と慣れない言葉をかみ締めて首を傾げた幼いの頬を、優しく包む手。
「 も大人になって素敵な恋をしたら、パパやママに教えてね。絶対、反対はしないから。
誰にも祝福されない恋なんて寂しいわ。貴女の幸せが、私たちの幸せなのよ 」
声がだんだん遠くなっていく。光が急速に縮まるのを感じて、は慌てて叫んだ。
待って、待ってママ・・・教えて、私、どうすれば・・・!
本当にママの言う通り、私の『 幸せ 』は誰かの『 幸せ 』になることがあるの?
私は・・・与えられた恩を忘れて、周囲の皆を不幸にしている。
大好きな姜維に『 好き 』という一言さえ、告げることが出来ない。
それがどんなに彼を苦しめているか、私・・・本当は知っているの。
だけど、姜維と恋に落ちることは、大切な存在である孔明さまへの裏切り行為。
愛を告げてしまえば、罪を改めて認めてしまうようで怖かった。
私は大罪を犯している。今更引き返せないと解っていても、心のどこかで逃げ道を探している。
孔明さまにも、月英さまにも顔向けできなくて・・・優柔不断なこんな自分が一番嫌いなのに・・・!!
は光へと手を伸ばすが、それは・・・宙を切った。
「 ・・・・・・・・・ッ! 」
荒い呼吸が自分のものだと気づくまでに、少し時間が要った。
「 ・・・? 」
ふいに隣から声をかけられる。振り向くと隣には半裸の姜維がいた。
彼の澄んだ瞳を捕え、姜維、と小さく呟くと・・・は安堵のあまり泣き出した。
荒い呼吸を嗚咽に変えて、しゃくり上げて泣く彼女を姜維は抱き締めた。
「 姜維、姜維・・・ふ、うえっく、ひっ・・・ 」
「 どうした?怖い夢でも見たのか? 」
よしよし、と子供を宥めるように彼が背中を撫でてくれた。優しいその手に心が解れていく。
背中に感じる熱も、耳元の姜維の声も、何もかもがを癒すのだ・・・。
震える喉で大きく息を吐いて、濡れた顔を拭って彼を見上げた。
「 落ち着いた? 」
「 うん・・・姜維、ありがとう 」
どういたしまして、とはにかんだ笑顔に、は薄っすら頬を赤らめた。
そしてゆっくり思い出す・・・此処は妓楼の一角で、と姜維は逢瀬の約束をしていたことを。
・・・最近は、こんな風に外で逢うことが多い。
の直感だが、月英が屋敷内で目を光らせているような気がする。
姜維は姜維で、孔明の目が厳しくなってきたようだと漏らすようになった。
見知った場所で、気兼ねなく2人が抱き合うには難しくなってきた。
本当は外での逢瀬だって、危険だということは重々承知している。
だが、そうでもしなければ他にどこで逢瀬できるというのだろう。
「 ( 違う・・・逢う『 約束 』しなければいいだけなのに ) 」
断ればいいだけだ。それだけで心の負担も罪の意識も軽くなるだろう。
だが、姜維と逢えなくなる悲しみはそれらを凌駕し、どんな出来事よりも辛いように思える・・・。
相変わらず晴れない表情に、姜維は胸の中のに、大丈夫か?と訊ねた。
「 うん・・・あのね、昔の夢を見たの。元の世界のパパとママ、お父さんとお母さんの夢。
姜維は、さ・・・かけおちって言葉、知ってる?こっちにはない言葉なのかな 」
「 かけおち?いや、知らないな 」
「 愛する2人が手を取って逃避行するってことなんだって、教えてもらった。
周囲の人の反対にあっても、我慢できなくて家を飛び出しちゃうんだって 」
「 そうか・・・まるで、今の私たちのようだね 」
姜維の呟きは、の心に更に濃い影を生んだ。
周囲には秘密の関係。誰にも何一つ相談できなくて、罪悪感を背負って苦しむばかり。
ならせめて、お互いの心だけでも救えているのだろうか・・・。
不安で堪らなくて、はこっそり泣く時もある。
零れそうになった溜め息を飲み込むと、では、と姜維の声が降って来た。
「 私たちも飛び出そうか。手をとって・・・かけおち、とやらに 」
「 ・・・え・・・? 」
「 あのね、。私は貴女の苦しみがわからないほど、鈍感ではないよ。
私との関係を気にしているなら・・・それは全て私のせいなんだ。は悪くない 」
「 ち、違う!姜維のせいじゃないっ!!私が、私がいいって言ったから姜維は、 」
「 渋々抱いた・・・とでも言うつもりかい?それこそ私には酷い話じゃないか。
のことをずっと好きだからだって、言ったじゃないか 」
彼は、の髪に指を通して撫でた。
気持ちよさそうに瞳を閉じたが再び目を開けると、うっとりするほど美しい笑みがあった。
「 貴女を愛している。だから、此処が辛いというのなら2人でどこかへ行こうか。
丞相にも、月英殿の目にも留まらない場所で・・・ひっそりと暮らしていこう 」
成都から遠く離れた山間の寂れた村かどこかで、2人で家庭を築こう。
農地を買って、そこで作物を育ててもいい。自分たちで作ったものを食べて生活をする。
家族が増えればなお嬉しいし、年をとっても一緒にいられたら・・・最高に幸せだろう。
煌々と瞳を輝かせて語る姜維と対照的に、は戸惑いを隠せない。
唯の夢物語だ、と思う気持ちと、奇跡を信じたい想いがせめぎ合う。
・・・だが罪の意識に弱り、疲れきったには、とても甘美な誘惑だった。
姜維の顔は自信に溢れている。の・・・一番大好きな姜維の表情。
見上げる彼女の迷いを吹き飛ばすように、彼は力強く頷いて語りかけた。
「 好きだ、。貴女がいれば、私は他に何も要らない 」
その言葉に、自分が裸であることも忘れて、は姜維に勢い良く抱きついた。
ふくよかな胸に顔を埋めた彼が、わ、わわ、ちょ・・・ッ!と顔を真っ赤にさせている。
だけど、は離さなかった・・・もう絶対に、姜維を。
「 ( 離さないよ。私も貴方が傍にいてくれれば、それでいい。大好き・・・大好きだから ) 」
今は・・・彼を好きだと大きな声では叫べない。だけど、いつか『 その時 』には自分から言おう。
最愛の姜維に、たくさんの愛の言葉を。今まで口に出来なかった分、すべて。
その決意は、を奮い立たせる勇気の『 呪文 』だった。
抱き合った2人には、これからの未来が全て希望に満ちて見えた。
陽が沈んでも戻らない2人を、月英が心配して登城していた諸葛亮に連絡をとった。
・・・姜維は登城していない。ふむと唸った諸葛亮は、配下を遣わしてその行方を調べた。
すると、姜維とは限らないが、都と荒野を仕切る門が閉ざされる直前にそれらしき人影があったという。
被り物をしていたが男女2人を乗せた馬で、少しの荷物と共に西の街道へと進んでいったらしい。
「 ・・・馬将軍を呼んで下さい 」
諸葛亮の考える『 可能性 』に、その『 確率 』も含まれていた。
けれど、も姜維もこの国を愛しているから、出奔などしないはずだと思っていたのに。
最も排除したい『 可能性 』であったが・・・どうやら的中してしまったらしい。
「 それだけ互いを必要としている、ということですか。だがそう簡単にはいきませんよ 」
窓から差し込む月光を背に、諸葛亮は不適な微笑をうかべていた。
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Material:"青柘榴"
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