周囲に灯は一つもない。私たちの傍にあるのは、頭上に輝く満天の星だけ。
先の見えない夜の森の奥から聞こえる鳥の啼く声。
驚くほど低く、おどろおどろしいのに・・・ちっとも怖いとは思わない。
「 ( だって、私ひとりでいる訳じゃないもの ) 」
くすり、と頬が緩んだは、ふいに名前を呼ばれた。
「 ほら、君の分。熱いから気を付けて 」
「 ありがとう、姜維 」
自分の方が野営には慣れているから、と姜維が今夜の食事当番をかって出てくれたのだ。
数種類の野草を煮込んだ粥は、思っていたよりもずっと美味しい。
・・・魏では、人の上に立つ将軍の一人だったという姜維。
諸葛亮の弟子となった今も、台所には一度も立たせたことはないのに。
純粋に疑問に思ったが訊ねると、彼は照れたように笑った。
「 昔も自分で作って皆に振る舞ったよ。何でも一人でできるように、と母に言われて育ったからね 」
「 姜維の、お母さん?? 」
「 え、ああ・・・そういえば、あまり私の話をしたことがなかったね。まだ魏にいると思うよ 」
「 ・・・そっか・・・ 」
『 星 』として『 降って来た 』を拾うほんの少し前。
姜維は諸葛亮に導かれるようにして、蜀へと降ったことは知っていた。
その時に、唯一の肉親であった母親と別れてしまったことも・・・。
も姜維も「 逢いたい人に逢えない 』という悲しい思いに触れてしまいそうで遠慮していた。
・・・だからだろう。今更ながら、それ以上の話を聞いたことがなかったことに気が付く。
冷める前にと粥を啜り、食事を終えると、は無言で隣に座っていた彼の肩に頭を乗せた。
「 寒くはないか? 」
冬場ではないので、火や食料があれば野宿には苦労しないのが救いだった。
はふるふると首を振り、平気だよ、と微笑む。
けれど・・・姜維に身体を預けながら、心は別の場所に在った。
「 ( ・・・孔明さまのことだもの、感づかない訳がない ) 」
逃避行に気づいていたのなら、即追っ手を手配するだろう。
念の為にと街道から外れた獣道を使用したせいで、この密林に埋まることになったのだが・・・。
無口なままのに指し示すように、ふいに姜維が右手を天高く掲げた。
「 ほら見て。綺麗な星空だ。成都の街でもよく見えるほうだと思ったけど、外はもっと、だ 」
つられて顔を上げたと共に、2人で夜空を仰ぐ。
吸い込まれそうな星々を眺めていると、現実すら夢まぼろしのように思えてくる。
・・・自分でさえ予想がつくのだから、きっと姜維だって孔明さまのことに気づいている。
それを敢えて口にしないのは、私が不安にならないように気を遣ってくれているのだろう・・・。
姜維の袖を、ぎゅっとが握りしめると、彼はの肩を抱えるように抱き寄せた。
「 が『 降って来た 』頃・・・私は、なかなか蜀軍に馴染めず、難儀していた時だった 」
ぽつり、と滴が零れるように。の耳元で姜維が静かに語りだす。
「 魏軍で指揮を執っていたんだ。当然だろう。だからこそ、信用してもらうことが第一だったのに。
もっと頑張らないとと思うのと同時に、残してきた母が心配で・・・毎日苦悩していた 」
「 そうだったんだ・・・ 」
「 うん。そんな時にがやってきたんだ。貴女を通して、皆と仲良くなれた時もある。
だからには感謝してばかりだし・・・誰よりも、貴女を一番に幸せにしたいと思う 」
やっぱり・・・こんな星空の日だった。
焦るなと言われても焦ってばかり。肩の力を抜けといわれても、抜き方がわからない。
そんな毎日で、極度に疲労していた・・・そんな時だった。諸葛亮の『 予言 』が下ったのは。
言葉の通じなかった幼いが、少しずつ少しずつ、自分なりに努力し成長していくのを見て。
秘かに元気をもらっていたのだ、と、過去を思い出してか、姜維ははにかんだ。
思いも寄らない姜維の告白に、は目を丸くして聞いていた。
・・・遠い地の母は確かに心配だ。忘れたことなんてない。
だけど・・・母は、どこにいても自分の成長を願ってくれていると信じているから、と。
「 私ね、姜維とのことを誰に解ってもらえなくたっていいって思ってた、でも!
・・・でも、ね・・・本当は誰かに理解してもらえたら・・・こんなに心強いことはないのにって思う 」
諸葛亮と月英にも、今は理解してもらえずとも、いつか自分たちを祝福してくれると信じたい。
血の繋がらない4人だけれど、私たちは確かに『 家族 』だったのだから。
ようやく向き合った自分の本心に・・・の目頭が熱くなる。
「 姜維は・・・姜維は、今もお母様に逢いたい? 」
徐にが尋ねた。
姜維は驚いたような表情の後、しばらく考え込んで、どうかな、と姜維は苦笑した。
・・・けれど、彼女の中では既に決まっていたようだ。
「 あてのない旅なら、折角だもの。姜維のお母様に逢いに行こうよ! 」
「 ええっ!?で・・・でも、そうなると目的は魏になるよ 」
姜維の心配を他所に、は目一杯胸を張った。
「 だって姜維のこと、もっと知りたいんだもの!お母様にいっぱい教えてもらいたい。
・・・お、お嫁さんだって紹介してくれたら、もっと嬉しい、けど・・・ 」
暗い中でも判るくらい顔を真っ赤にしたが、えへへ、と恥ずかしそうに笑った。
その笑顔を見た姜維の中に、熱い想いがこみ上げていく。
涙が浮かびそうになるのを堪えると、抱き締めていたの身体をより一層強く抱き締めた。
「 ( ・・・誰よりも、貴女を幸せにしたい ) 」
それが私の使命だと思っている。自分の我儘で、こうして貴方の人生を変えてしまったのだから。
そんな彼の想いを察してか、も身体を預けていたが、急に腕が解かれる。
驚いて首を傾げる前に、立ち上がった姜維は傍に置いていた槍を掴んだ。
彼の顔と、その視線の先にある暗闇を交互に見比べていると・・・ゆらり、と火の影が揺らいだ。
土を踏む音。反射的に身体が強張り、は姜維の背後へと身を潜めた。
「 蜀の軍師、姜伯約、だな・・・ 」
「 貴様は誰だ!? 」
「 へっ、へへ・・・お前を殺すのを夢見てたぜ、仲間がお前らに捕らえられた時からな 」
現れた男の顔を知っていたのか、左腕を広げ、を庇う姜維が奥歯を噛み締める。
「 丞相と退治したはずの、山賊の一味か・・・! 」
状況が把握出来ず、おろおろと一歩下がったに、背後の闇間から手が伸びる。
驚きすぎて声も出ない。気配に振り向いた姜維が手を伸ばすが、宙を掴んだ。
ただ震えるばかりで、自分が誰かにあっという間に拘束されたのだと認識するまで時間が要った。
耳元に下世話な笑い声が吹きかけられて、はようやく声を上げた。
「 や・・・やああッ!!はなっ、離してぇっ!! 」
「 ッ!! 」
「 お前の相手はこっちだ! 」
振り下ろされた刀を、三俣の切っ先が受け止める。ぐっと力を入れて弾き返した。
だが、間合いを詰められ、すぐに次の攻撃が振り下ろされる。
繰り出される攻撃に翻弄される。姜維は苦しげに眉を潜めた。
攻撃力は相手より上だが、姜維の長い槍では木々の多い森の中を思うように動けない。
避けるのが精一杯であることに、相手も気づいているようだ。
小振りの剣が槍の動きを封じ、じわじわと距離を縮め、姜維は次第に追い詰められていく。
次の一手を考えるのにも必死で・・・冷や汗を浮かべた時、絹を裂いたような悲鳴が聞こえた。
を捉えた男が馬乗りになり、彼女の胸元へと手をかけたのだ。
「 姜維、姜維ッ!!やッ、助けて・・・助け、っ・・・・・・ 」
「 くそッ!、だめだ、っ!! 」
姜維の呼びかけも空しく、恐怖に引きつったの顔がふっと翳る。
耐え切れずに意識を失ったのだろう。けれど、それこそ相手の思うつぼだった。
下卑た男がの身体を覆うと、憤怒と殺意が、姜維の中で爆発する。
絶叫が、夜の森に木霊した。
「 ーッ!!! 」
空気を振るわせたそれは、目の前の男の動きを一瞬止める。
瞬間、何かが闇を裂いた。
一発必中。それは、目の前の男と、へと馬乗りになっていた男の首筋に的確に刺さる。
声もなく、男たちは血泡を吹いて横倒しに沈んだ。姜維はすぐにの傍へと駆け込む。
蒼褪めた顔で意識を失ってはいるが・・・命に別状はなさそうだった。
肩で息をしていた姜維は、溜まらず安堵の吐息を漏らす。
「 ( しかし、一体誰が・・・ ) 」
まだ終わったわけじゃない。そう考えた姜維の真後ろで、新たに土を踏む足音がした。
咄嗟に武器を握り直して、素早く振り返る・・・が。
暗闇の奥から現れた人影に・・・安堵すると同時に、顔から血の気が引いていくのが解った。
「 お待たせ!いやー、間一髪ってところかな? 」
「 ・・・馬岱、殿・・・ 」
相変わらず、戦場に似合わぬ笑顔で現れた男は、律儀に帽子をあげて姜維に応えた。
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Material:"青柘榴"
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