思わぬ伏兵に、怒声を上げて飛びかかった男は呆気なく地に伏せる。


 薄い笑みを貼りつけた顔に、数滴返り血が付着するが、馬岱は眉一つ動かさなかった。
 片手の甲でそれを拭うと、あとから彼を追いかけてきた兵士たちに死体の処理をてきぱきと指示していく。
 後片付けのために散り散りに走っていく部下の背中を見送ると、彼は姜維へと振り向いた。
 ゆっくりと、一歩ずつ近づいてくる馬岱に、警戒心を隠せない。
 気を失ったを強く抱きしめ、気の立った猫のように毛を逆立てて馬岱を睨んだが・・・。

「 あーあ・・・たった一夜だってのに、ボロボロだねえ、二人とも 」

 姜維の警戒心など微塵も気づかない体を装って、向かいに膝をついた。
 指を伸ばし、の目元を撫でて涙を拭った。その行為で・・・姜維は、ようやく肩の力を抜いた。
 どっと汗を噴き出す姜維を見て苦笑した馬岱は、ふっと口元を緩めて隣に腰を下ろす。
 焚かれた火が、衰弱したの涙を乾かしていた。
 しばらく黙ってその様を見守っていたが、やがて馬岱の方から口火を切った。

「 数ヶ月前に、諸葛亮殿と姜維が行った山賊粛清の残党だね 」

 俯いた姜維がこくんと頷く。それを見て、馬岱はいつものように柔らかく笑った。

「 間に合って良かった。も姜維も、無事で良かったよ 」
「 ・・・ありがとう、ございます 」

 素直に礼を言い、姜維は深く頭を下げた。馬岱の言う通りだ。何より、彼女が助かって本当に良かった。
 兵士が持ってきた毛布で包んでやると、その暖かさが伝わったのか、次第に彼女の顔色も良くなってきた。
 外傷はないのだ。時間が経てば回復するだろう・・・。

 焚火の中で、ぱちん、と火の粉の弾ける音がした。
 飛んだ火の粉に、あちち・・・と声を上げた馬岱に、姜維が意を決した様子で顔を上げて向き合った。

「 馬岱殿は、丞相の遣わした追手役・・・ですね 」
「 何のことだい? 」
「 惚けなくても結構です。自分のしたことの大きさくらい、判っているつもりです 」

 姜維の確信を持った物言いに、低い声で唸っていた馬岱だったが・・・。
 とうとう諦めたような大きな溜め息を吐いて、がっくり首を落とすと、眉尻を下げて苦笑した。

「 愛し合う2人の仲を裂く気はないが、諸葛亮から指示があれば『 仕事 』しない訳にはいかなくてね 」
「 はい・・・お手を煩わせました 」
「 いやーやっぱりすごいね、姜維は!これでも随分、それも念入りに探したつもりだよ!
  だけど全く見つからなくて・・・騒ぎがなかったら今も彷徨ってたかもしれないねえ 」

 からからと馬岱は笑うが、姜維が全く反応を見せず・・・終いにはまた沈黙が訪れた。

「 ・・・まあ、何にせよ裁きを下すのは俺の役目じゃない。夜が明けたら成都へ戻ろう 」

 今夜はゆっくり寝なさいな、と姜維の肩を叩いて、馬岱は腰を上げてその場を離れた。
 離れた場所に張った天幕に戻るのだろう。姜維とにも用意してくれた。
 ぐるりと辺りを見渡してみる。寛ぐ兵士たちは、小隊ではあったがそれなりの人数がいた。
 ・・・諸葛亮は、それだけくまなく探し出そうとしていたのだろう。
 姜維は、健やかに眠るも、疲労の影を残すを見つめた。



「 ごめん、 」



 こういう『 危険 』があるということは重々承知していたはずなのに。
 一番大切な人を、怖い目に合わせてしまった・・・。



 諸葛亮の一番弟子である自分の顔が知られているは、それだけ活躍している証拠だと自負している。
 有名税だと解っていても、そのせいで危険まで呼び寄せてしまった。
 蜀の地でさえこの調子なのだ。訪れようとしていた魏で見つかったとしたら、こんなものでは済まない。
 の願いを叶えてやりたかった。けれど・・・、と最悪の事態を想定して、ぶるり、と身体を震わせた。
 その震えが伝わってしまったのか、抱いていたの眉間に皺がぎゅっと寄って・・・目を開けた。

「 !・・・よかった、目が覚めたかい? 」
「 ・・・ん・・・きょう、い?あ、れ・・・ 」

 目を擦りながらゆっくりと身体を起こす。
 突如、はっと怯えた表情に変わるが、もう大丈夫だよ、と諭すように言った。

「 山賊たちは退治されたよ。危ないところを、馬岱殿が助けてくれたんだ 」
「 え!あ、そ、そうなんだ・・・でも、どうして?どうして馬岱さまが・・・ 」
「 ・・・丞相の命令で、私たちを探していたそうだ 」

 できるだけ衝撃を和らげようと、優しい声音で伝えてみたが変わらなかったようだ。
 は絶句し、見開いていた大きな瞳にあっという間に涙を浮かべる。
 ころころと頬の上を転げ落ちる涙を無視して、小さく首を振った。



「 嫌・・・姜維と離れるの、いや・・・やだよぉ・・・姜維・・・っ!! 」





 彼女もすぐに予想がついたようだ。丞相の元へと戻れば、次にいつ逢えるかわからない。

 最悪・・・もう二度と逢えないかもしれない、ということも・・・。





 全身を震わせて姜維にしがみつくを、力強く、でも壊れないように抱き締め返す。
 かろうじて泣き喚くのだけは我慢している様子だったが、胸の中で嗚咽したの背を撫でる。
 宥めた彼女の額に軽く唇を押し当てて、姜維はその耳元に寄せた。

「 、忘れないで。私は貴女を愛している、たとえ命の燃え尽きる最期の時でも 」
「 そんな、そんなこと悲しいこと言わないで・・・ッ! 」
「 貴女を想うこの気持ちは誰にも負けないし、不変なものだと誓える。だから約束して欲しい。
  どうか幸せになって。丞相と婚姻したとしても・・・私の想いは、貴女の傍にあるのだから 」
「 なれるはずない・・・貴方が居なきゃ幸せになれないッ!姜維は、私がそんな約束すると・・・ 」
「 頼むから約束して、 」

 大粒の涙が、彼女の睫毛に宿っては落ちていく。姜維が何度懇願しても、なかなか縦に首を振らなかった。
 こうしてに何かを伝える時間すら限られている。だから今、何が何でも『 約束 』してほしかった。
 自己満足だと思う。でも、この約束があれば・・・これからも自分は生きていける。
 頼む、と根気良く頭を下げた結果・・・姜維の断腸の思いを察してか、とうとうは小さく頷いた。

「 ・・・! 」
「 でも、姜維にも忘れないで欲しいことがあるの。私の幸せを願うなら、死なないで。
  傍にいなくても、姜維が長く生きていること・・・貴方の活躍を聞けることが、私の幸せになる 」

 これも・・・約束ね、と頑張って笑おうとしているに頷いて、もう一度抱き締めた。
 愛してる、とその耳元に囁けば、私も、と涙声のが答えた。
 胸に抱いた彼女の肩越しに広がる夜空。
 涙で視界は酷く曇っていたが、その中でなお光り続ける孤高の存在。






「 ( どうせなら・・・とひとつになって、星になってしまいたかった ) 」






 そうしたら誰の手も届かない場所で、永遠に一緒にいられたかもしれないのに。













 頬を伝う涙のように、星空の彼方へとすうっと流れ星が堕ちていった。













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Material:"青柘榴"