すっかり眠ってしまったを見届け、姜維は静かに部屋を後にした。
 これから・・・どうしたらいいかなんて、わからない。
 自分はの傍にいると約束した。だけど、根本的な解決にはなっていないのだ。
 諸葛亮に『 開放 』してもらわなければ、彼女は永久に翼を失うだろう。
 どうしたものか・・・と重い溜め息を吐いた時、背後から名前を呼ばれて振り返る。


「 月英、殿 」


 手に灯を持った彼女は、いつものように柔らかく微笑んだ。
 促すように先導され、二人はの部屋から深夜の庭先へと移動した。


「 は、眠りましたか 」
「 ・・・はい。先程は申し訳ありません。礼も忘れて、退室してしまいました 」
「 気にする必要はありません。誰もが動揺するようなことを言う、孔明さまに非があります 」


 月が高い。照らされた庭は、灯がなくても歩けるほど明るかった。
 月英やが家のことを自分たちでこなしてしまうから、元々この屋敷には人が少ない。
 だからこそ、だろう。夜が更けてしまえば、屋敷の中は時が止まってしまったかのように静まりかえる。
 誰もいない廊下に、月英の吐息が響いた。


「 私は・・・孔明さまを信じます。あの方はどんな形であれ、を愛しています。
  彼女の為にならないことをする人ではありません。それは、この6年間を共に見てきたからこそ 」
「 月英殿・・・ 」
「 姜維にも思うところはあるでしょう。けれど、もっと深く考えをめぐらせなさい。
  目先の想いに捕らわれてはなりません。飲み込まれて苦しむのは、貴方自身なのですから 」


 この方は・・・強い、本当に。自分はそこまで理性が及ばない。
 孔明さまと同じように自分を諭してくれる彼女は、やはり夫婦なのだ、と思う。
 魏より降った時から、自分を見てきてくれた月英殿だからこそ、言えるのだ。


「 ・・・善処、します 」
「 ふふ、それでこそ『 天水の麒麟児 』と謳われた姜維殿ですわ 」
「 か、からかわないでください! 」
「 いいえ・・・私も孔明さまも、そんな貴方だから買っているのですよ 」


 にこりと月英殿は笑って、自分の部屋に戻っていく。
 姜維はその背中を見送って・・・夜空を見上げた。




 星も月も、輝いている。この広い夜空に姜維自身を浮かべたら、それはちっぽけな存在だろう。
 ・・・こんな日は、彼女が降ってきた日を思い出す。
 予言をされた日の夜、姜維は窓辺で本を読んでいた。控えめな蝋燭の灯だけを頼りに。
 だけど、本当は全然集中できなくて・・・澄んだ星空ばかり眺めていた。
 『 星 』の存在を、心の底から待っていたのだ。


 を不幸にするために、神は彼女を地上に与えたのか・・・そんなはずはない、と信じたい。
 もう少し静かに見守るべきだ。月英だって味方なのだから。


 自分は・・・ただ、との約束を守る。彼女の傍で、彼女が望む限り護る。






 姜維の決意に応えるように、一等星がきらりと光った。




























 月英が寝所に戻ると、夫は薄暗い部屋の中で資料を広げていた。


「 討伐が終わったばかりですのに、もう次の仕事ですか? 」
「 婚姻の簡略化がどこまで可能なのか、調べてみようと思いましてね 」


 と、諸葛亮はぱらりと資料をめくった。
 月英は、小さく溜め息を吐いて孔明さま、と彼の名を呼んだ。


「 一体、何をお考えなのです?も姜維も、酷く傷ついています 」
「 ・・・まあ、そうでしょうね 」
「 孔明さま・・・? 」


 自嘲気味に笑った彼に月英が首を傾げると上げると、彼はようやく振り向く。
 その顔にはどこか憂いを含んだ、いつもの諸葛亮らしからぬ微笑みが浮かべられていた。
 月英の前でもなかなか見せない仮面の下を、今夜だけはさらけ出したい・・・とでも言うように。
 資料を閉じて、妻の前に立った諸葛亮は、寂しげな瞳をしていた。


「 月英・・・貴女にも辛い思いをさせてしまいますね。申し訳ありません 」
「 ・・・いえ、そんな 」
「 もう少しだけ待って下さい。話せる時期がくれば、きっと 」
「 きっと・・・? 」
「 ええ、きっと・・・全てを話しますから 」






 諸葛亮は微笑んだ・・・それは、儚げに。






 不安がよぎった月英は彼の手をそっと引き寄せ、胸に抱く。
 彼女の想いを汲み取ってか、寄り添った諸葛亮は祈るように静かに目を伏せた。










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Material:"青柘榴"