廊下を二つ曲がった先にある、諸葛亮の執務室。


 息巻いて早歩きで去ったはずの背中が、入口で止まっている。
 どうしたんだ、と声をかける前にが部屋の中へと走り出した。


「 孔明様っ!! 」
「 来てはなりません、!! 」


 部屋の中から鋭い声。丞相のものだ、と思った瞬間、姜維の身体は動いていた。
 倒れた諸葛亮。が、上から庇うようにその身体にしがみつく。
 彼女諸共と、2人に向かって躊躇いなく振り上げられた短剣。


「 ( 刺客か・・・! ) 」


 姜維は槍を掲げて、刺客と孔明たちの間に割って入った。ガキンと刃のぶつかる甲高い音。
 顔を布で覆っていた刺客にも、動揺が見て取れた。驚いたように身体を引いて距離をとる。
 刺されることを覚悟していた諸葛亮とが、同時に驚いた声を上げた。


「 姜維! 」
「 二人とも、ここは私に任せてお逃げくださいッ 」
「 だ・・・だめだよ!姜維を置いていけない!! 」


 ・・・この土壇場でも、のこういうところが好きだと思った。
 彼は魏にいた時から兵を預かる武将の一人だというのに、彼女は『 家族 』として心配してくれるのだ。
 唇が緩みそうになるのを必死に堪えると、姜維は相手の腹を蹴って壁へと吹き飛ばした。
 壁に身体をぶつけ、刺客の身体が抵抗なく床に落ちたのを確認すると、即座に諸葛亮へと振り返る。
 今はへ何を言っても無駄だろう、ならば。


「 丞相!早く、を連れて外へ!! 」
「 わかりました!姜維、貴方も気をつけて 」
「 姜維、姜維ッ!! 」


 慣れない戦闘を目にして、が半狂乱になって叫んだ。
 そんな彼女を諸葛亮が抱える。抵抗するような声が聞こえたが、あっという間に消えた。
 小さくなっていく2人の姿に安堵し、身体を起こした刺客と改めて向き合う。
 じり、と間合いを詰めてくるが、姜維は逆に一歩引いた。
 諸葛亮が衛兵たちに知らせてくれるまでの辛抱だ。それまで、食い止められればよい。


「 どこの国の者だ?魏か、それとも呉か 」
「 ・・・・・・・・・ 」


 元々、答えは期待もしていない。時間稼ぎなのはバレているのだろう。
 相手の詰め寄る気配がなくなった。だが・・・こちらとしても、逃がすわけにはいかないのだ。
 刃を交えて大きな傷を負うことは避けたいが、逃げられてはまた諸葛亮が狙われる。
 今度は姜維が一歩踏み出す。気合の声と共に、跳ねた。
 その素早い一撃を交わすと、刺客の視線が目の前の姜維を突き抜け、更に背後の対象へと移動した。
 はっと勘付いた姜維が振り向く・・・そこには。


「 姜維! 」


 諸葛亮の手を振り払ってきたのか、顔も眼も真っ赤にさせたが部屋に飛び込んできた。
 注意を叫ぶ余裕もなかった。彼女の命だけでも奪おうとしたのか、刺客が跳ねて姜維の頭上を飛び越えた。
 短剣をその胸につきたてようと、刺客の右手が動いた。の目が見開く。
 と同時に、姜維も飛んでいた。彼女を目掛けて飛び込み、姜維とは勢い良く部屋の中を転がった。
 冷たい床へと倒れこむ。痛みを感じる余裕はなかったのに、心のどこかは冷静で。
 は、彼の肩越しに自分の着物の袖が水を泳ぐ魚のように宙に舞ったのを他人事のように見ていた。
 袖を仰いでいた風が収まると・・・すでに、刺客の気配は消えていた。


「 ・・・姜、維・・・? 」


 しん、と静まり返った部屋の中で。は、心臓の鼓動が彼に聞こえてしまわないか不安だった。
 強張った腕が自分を捕らえて離さない。鼓動がいつもより早くて、嫌でも彼が男の人だと意識してしまう。
 こんな時なのに、と思い改め、自分を抱き締める姜維へと声をかけた・・・が、返事がない。
 訝しげに思ったが、身体を起こそうとして・・・初めて、その異変に気づいた。
 あんなに強く抱き締められていた腕が、解かれた紐のように落ち、彼の身体が傾く。
 そのまま床に転がった姜維の背に煌く、一本の短剣。
 瞬時に身体が固まる。死、という言葉が無意識に思い浮かび、声を上げようとするが音にならない。


「 う・・・ッ、くぅ!!がッ・・・は・・・ 」


 の膝の上で、びくり、と姜維の身体が大きく痙攣し、床に血を吐く。
 生きてはいる、が、決して浅い傷ではない。ようやく身体が震え出し、誰か・・・と呟いた。


「 だ、れか・・・だ、誰か、誰か来てぇ!姜維が、姜維がっっ!! 」


 慌てて短剣を引き抜こうとするが、筋肉に埋もれての力では動かない。
 それに、玉のような汗を浮かべた姜維の顔が更に歪んだのを見て、何となく抜いてはいけないような気がしてきた。
 じゃあどうしたいいの、どうしたら苦しまないの、どうしたら助けられるの・・・もう、何をして良いのかわからない!
 混乱したの瞳から涙が溢れ、目を瞑ったままの姜維の頬を濡らした。


「 姜維・・・お願い、目を開けて、姜維っ!!いやぁああ!! 」


 汚れることも厭わず、わなわなと震える手で彼の口元を拭うがその血は広がるばかりで。
 涙を拭ったの顔も、姜維の血の色に染まった。






 諸葛亮から通報を受けた衛兵たちが、ようやく執務室に到着する頃には。


 自分の無力さに打ちひしがれたが、姜維を胸に抱き締めてわあわあと声を上げて泣いていた。










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Material:"青柘榴"