手術から、5日間が過ぎた。姜維は未だ、目を覚まさない。






 眠ったまま、姜維は自室へと移された。
 その方がも看病しやすいでしょう、と言ってくれたのは月英だった。
 は諸葛亮のいいつけ通りに彼の看病をしていた。それこそ、片時も離れずに。


「 ( 姜維・・・お願いだから、目を覚まして ) 」


 ぎゅ、と水を絞った布を額に当ててやる。
 汗が止まらないのは、姜維はまだ戦っているからだ。身体の中を蝕むものと。


「 ( 頑張って、頑張って・・・私、ずっとついているから ) 」


 約束だ、と言って微笑みかけてくれた姜維。
 ずっと傍に居てくれる約束。それは、もまた、姜維の傍に居るという約束も同じだから。
 布を置いて、力の抜けた彼の手を両手で包む。祈りを込めるように、は握った。
 ・・・かみさまかみさま、姜維の目を覚まさせてください。その為なら、私、何でも我慢します。
 元の世界に帰れなくてもいい、孔明さまのお嫁さんになってもいい・・・傀儡のままで構いません。
 姜維を私から取り上げないで。姜維が大切なんです。姜維の傍に居させてください。


「 姜維・・・姜維・・・ 」


 気がつけば、声に出ていた。切なる想いが涙に変わる。


「 ( 貴方が大切なの。ずっと前から、そしてこれからも・・・私が、本当に、誰より、も、す ) 」






 そこでの中でぱちんと『 何か 』が弾けた気がした。


 無意識のうちに涙がひっこみ、顔を上げていた。だがそこに見えるのは、相変わらずの光景だ。






「 ( ・・・今のは、何? ) 」


 は揺れる気持ちを落ち着かせて、もう一度『 自分の内 』を探ろうとする。
 そんな自分を・・・ようやく開けた瞼で、見つめる眼差しがあった。
 薄く開いた彼の視界に映った自分は、またもや滝のように見開いた瞳から涙を流していた。
 弱々しくではあったが、ふっと彼が少しだけ笑う。


「 ・・・・・・、 」


 泣かないで、と乾いた唇が動いたが、は首を振る。
 かろうじて、今は無理だと呟くと姜維の手に縋りついて泣き始めた。
 自分の頭をそっと撫でてくれる彼は、きっと苦笑を浮かべている・・・それとも呆れているだろうか。
 ・・・どんな風に思われても構わない。貴方が、また私を見つめてくれるなら。


 溢れた彼女の心が落ち着きを取り戻すまで、姜維は撫でる手を止めようとはしなかった。


























「 そうか・・・刺客は逃がしてしまったか・・・ 」


 諸葛亮と月英が見舞いに駆けつけ、ようやくひと段落すると、姜維は天井を見つめて呟いた。
 大きな溜め息を吐き出した彼に、は申し訳なさそうに頭を下げる。
 自分が飛び出さずにいれば、こんな風にがっかりさせることもなかっただろう。
 そうでなくても、姜維が傷を負うこともなかった、と思うだけで自分の軽率さを呪いたくなる。
 しゅん・・・と肩を落としたに、姜維が笑いかけた。


「 ごめん、が気にするなら、もう言わない 」
「 本当に・・・ごめんなさい。私のせいで 」
「 違うよ、かばいきれなかった私にも非がある。それより、ありがとう。長い間看病してくれて 」


 月英殿が教えてくれた。君がずっと付き添ってくれてたって。
 笑顔を向けてくれるのが、ちょっと恥ずかしくなって。赤くなったが視線を逸らす。
 すぐ側にあった桶にじゃばじゃばと布をつけて、何度も無意味に絞っている。


 の・・・こういうところが、まだまだ子供に見えて愛らしい。


 笑えば更に目くじらを立てることはわかっているので『 いつものように 』見ない振りでやり過ごす。
 姜維はふう・・・と吐息を吐いて、うつ伏せに身体を横たわらせた。
 長い時間、身体を起こしておくのは辛かった。だが早く治して、次の戦に備えねば。
 逸る気持ちを、落ち着かせようと深呼吸を繰り返した。そして・・・ふと気づく。
 物音がなくなり、静かになったと思えば、傍らにあったの動きが止まっている。
 時折、濡れた手でしきりに目を擦っているので、姜維はその背中へと声をかけた。


「 どうしたんだ、 」
「 んー・・・眠い、かも・・・ 」


 姜維が目を覚ましたことで、の肩の力も抜けてきたのだろう。
 彼が手招きすると、素直に牀榻の端に腰掛ける。少し詰められる?と聞かれ、少しなら、と動いた。
 一人寝の牀榻に、言われるままに場所を作ってやれば、はそこにごろりと身体を横にした。


「 自分の部屋で寝なくていいのかい? 」
「 いいの。姜維が目を覚まさない間も、ずっとここで寝泊りしていたし 」


 それに、小さい頃から散々入り浸っている部屋だ。何を今更、というようには笑うけれど。
 姜維は年頃の娘が男の部屋で一緒に寝ていては、と思って曖昧に苦笑する。
 私の気持ちなど、が知るはずもないか・・・とこっそり溜め息を零した時、


「 姜維も、眠る? 」


 と、が上目遣いに見上げて聞いてきた。


「 ああ、そうだな。今は休まないと回復しないしね 」
「 そう・・・なら私、起きてる 」
「 え、どうして・・・? 」


 今にも瞼が落ちてしまうんじゃないかと思うくらい、そんなに眠たそうにしているのに。
 ゆっくりと、重そうに瞬きを繰り返しながら、だって、と言った。






「 だって、姜維がまた目を覚まさなかったら・・・困るもん 」






 姜維はぱちくり、と目を瞬かせて・・・とうとう笑った。
 あ、ひどい!と、予想通りに彼女は身体を起こして腹を立てたが・・・正直、嬉しかったのだ。
 がそこまで自分のことを心配してくれる、その気持ちが。
 ぷうと頬を膨らませたを宥めて、姜維は抱き寄せた。ごめんよ、と背中をゆっくりと撫でてやる。
 ・・・6年も前から繰り返されている、2人だけの仲直りの方法。
 なのに今日に限っての肩が大きく震え、頬を染めたのを・・・姜維は見逃さなかった。


「 ・・・? 」
「 なんでも、ない・・・うん・・・寝るね・・・ 」


 そう呟いたが最後、姜維の手に縋るように背を向けて、身体を丸めるとあっという間に寝息を立て始めた。
 ・・・この前もそうだった。昔から心底安心すると、すぐ眠ってしまう。
 知らない世界で常に気を張って生きているが、それだけ姜維を信頼している証拠なのだろうが・・・。
 嬉しいけれど・・・今となっては、複雑な気分だ。
 姜維の『 本音 』を知れば、彼女はこんなに無防備ではなくなってしまうのだろう。
 諸葛亮もそれをわかっていただろうに・・・どうしてあの日、あんなことを。
 功を焦る人でないことは、弟子である自分が一番よく知っている。






 負傷していても心配事は尽きないな・・・と、今日何度目かの溜め息を吐いた。
 ぼんやりと天井を見つめ、腕の中のを牀榻から落ちないように固定してやる。
 気持ちよさそうに眠るを抱き締めているうちに、自分にも眠気がやってきた。
 ふあ・・・と大きな欠伸をひとつ。やがて、眠気と身体に残る熱に飲み込まれていく・・・。


 彼女を護っていくためにも、まずは傷を治さねば。






 姜維はそのまま、瞳を閉じた。










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Material:"青柘榴"