直接対決/1 別れ際、玄関で仗助と抱き合い唇を重ねた。 そうしているうちに腰にまわされている腕の力が強くなり、お互いの身体が隙間もないほど密着していく。 重ねただけでは終わらず、薄く開いている唇の隙間で舌が触れ合い、濡れた音を立てる。それは回を追うごとにためらいも恥ずかしさも薄れ、求め合うように濃密になって いった。露伴はまるで縋りつくように、仗助の首に腕を絡める。 やがて唇が離れると、深く息をついた。ふわふわとした不思議な余韻で、頭がぼんやりとした。何も考えられない。 「好きだ、あんたが好きだよ露伴……」 仗助の囁き声は熱く、とろけてしまいそうな気分になった。以前は顔を見るのも不愉快な相手だったはずが、嘘のように遠い出来事に感じる。 僕も好きだ、と言えればどんなに良いか。しかし今までの関係や雰囲気を考えると、どうしても言い出せなかった。本当の気持ちを。 普段はあれほど突っぱねた態度を取っているのに、急に甘えることに抵抗を感じている。言ってしまえば平気かもしれないが、その1歩がなかなか踏み出せない。 自分から好きだと言わない露伴を、仗助は不満に思っているだろうか。そんな考えが頭をめぐり続けて消えない。 「なんか、帰りたくなくなってきたんスけど……」 「家族に心配をかけるな」 「それは分かってるけど、さ」 そんな会話をしながらも、身体はまだ離れていなかった。無意識に、名残惜しいと思っているのかもしれない。ここで別れても永遠に会えなくなるわけでもないのに。 至近距離まで近づいてようやく感じる、夏っぽく爽やかな香水の匂いが心地よかった。高校生のくせにブランド物の靴や小物を持っているのが生意気で、憎たらしい。 「あー、このままあんたを家に連れて帰りてえ」 「何馬鹿なこと言ってんだ、さっさとひとりで帰れ」 「はいはい、冗談っスよもう……」 拗ねたような口調で言いながら露伴から離れると、仗助は軽く挨拶をして去って行った。ドアが閉まるのを眺めながら、抱き締められた時の余韻を何度も思い出しては 身体の奥が甘く痺れてくるのを感じた。 くちづけ以上の、その先にあるものが欲しくてたまらないという気持ちは、日増しに大きく強いものになる。好きの一言すら口に出せないくせに。 それでも仗助はあまり過激なものを求めてこないので、こんないやらしい感情を抱いているのは自分ひとりだけかもしれない。そう思うと複雑な気分になった。 翌日、夕方過ぎに町を歩いていると学校帰りの仗助を発見した。少し離れたところから見えるのは後ろ姿なので、向こうはこちらの存在には気付いていない。 そっと近付いて驚かせてやろうと思い密かに後を追ったが、その足は数歩進んだところで止まった。仗助はひとりではなく、その隣を誰かが一緒に歩いているのが見えたからだ。 それは億泰や康一ではない、名前も知らない男だった。まず目に付いたのは、女のように長い髪。それを揺らしながら仗助と楽しそうに会話をしている。 仗助と同じ色の制服を着ているので、クラスメイトか何かだろうか。好奇心を抑えきれない性格のせいか、気になりだすと止まらない。 男は鞄から何かを取り出すと、それを手のひらに乗せて仗助に見せる。ここからではよく見えないが、仗助の反応からして小さな生き物のようだ。鞄の中に生き物を 入れておくとは、相当変わった奴だと思った。 友人の多い仗助なら、誰と歩いていようが不自然ではない。いちいち気にしていてはキリがないので、何も見なかったことにしてそのまま帰宅することにした。 何となく、胸の奥に引っかかるものを感じながらも。 『先生、聞いてます?』 「……はっ?」 『おふくろがさ、今度あんたの家に行くときに菓子を持っていけって言ってるんスよ。いつもお世話になってるからって』 その日の夜にかかってきた仗助からの電話中、露伴はいつの間にか夕方のことを思い出して上の空になっていた。気にしないようにしていたが、ふたりが並んで 歩いているあの光景が頭に浮かんでしまい、離れなくなっている。明らかに意味深な関係を匂わすものはなかったはずなのに。 それにしても仗助の母親は、会ったことのない露伴をどういう存在として考えているのか。 まさか好きだと言われたりくちづけをしている仲だとは思っていないだろうが、大人としてどこか後ろめたいものを感じた。仗助との今の関係は、誰にも打ち明けていない。 『何か好きなもんありますか、金渡されてるんで買ってきますよ』 「そ、そんなのお前が考えて持ってくればいいだろ」 『いや、そう思ったんスけどねえ、もし先生の嫌いなもん買ったら文句言われそうですし』 「いちいち勘に触る奴だなお前は」 そう言うと受話器の向こうから笑い声が聞こえてきた。以前ならここで罵り合いに発展しそうな雰囲気だったが、仗助は上手い流し方を覚えたらしい。 一方が喧嘩腰になるともう一方もそれに乗ってしまうという悪循環は、仗助からの告白を受け入れて以来、全く起こっていなかった。 「別に何を持ってきても構わない、それよりお前に聞きたいことがある」 『聞きたいこと?』 「今日の夕方、お前と一緒に歩いていた奴は誰だ」 『ああ、未起隆のことか……って、見かけたんなら声かけてくださいよ』 仗助はミキタカという男について、町で偶然出会ってからは友人になり、少し変わってるけど健気で優しい奴だと説明した。 それを聞いて露伴はいつまでも意地を張って、仗助に好きだと言えないまま憎まれ口を叩いてしまう自分とは正反対のタイプだと思った。 露伴は見え見えのお世辞でも、仗助から健気で優しい奴と評価されたことはない。 別にそう思われたいわけではないが、何となく負けたような気分になった。まだまともに顔を見ていないミキタカに。 あいつ鞄にハツカネズミ飼ってるんスよー、と仗助が楽しそうに語る。それ以降の内容は、胸に生まれてきた暗くもやもやした気分に邪魔されて頭に入ってこなかった。 できればもう忘れたかった、ミキタカと仗助のふたりをまた見かけてしまった。今度は人通りの少ない道で。 仗助は友人だと言っていたので、それで納得すれば楽になれるはずがそう上手くいかない。億泰や康一と歩いているのを見ても平気なのに、ミキタカだけは何故こんなに 胸を不安で乱されるのか、自分でもよく分からない。 大きな木の陰に隠れながら、ふたりの様子を窺う。しばらくは普通に歩いているだけだったが、突然立ち止まったかと思うとミキタカは仗助の髪に触れた。 それを見て心臓がじわりと冷えていくのを感じた。好きだと告白された後は、露伴は仗助のリーゼントについて話題にしたことも、そして直接触れたこともない。 初対面の日に仗助に殴られて吹き飛ばされた後、康一が語っていた幼少時代の仗助を救った男の話は今でも覚えている。 気軽な気持ちで踏み込んではいけない、決して崩れることのない仗助の聖域。 少し間違えば、露伴に優しく触れて抱き締めていたあの手で再び血を見る羽目になるかもしれない。 自分らしくもなく、胸の奥底では常にそれを恐れていた。貶されなければ我を忘れて逆上することはないと分かっていても。 しかしミキタカは仗助のそんな思い出話を聞いているのかどうかは分からないが、ためらいなくあのリーゼントに触れている。仗助はそれを嫌がりもせずに笑って いた。そんな光景をこれ以上はもう見ていたくない。 木の幹に背中を預けながら、露伴は静かで暗い感情に胸が満たされていくのを感じた。 手渡された袋の中には、鎌倉カスターと書かれた菓子の箱が入っていた。 仗助は露伴への手土産を何にするか店で延々と悩んだ末に、母親の好物を選んできたらしい。前に何度か食べてみて美味かったからだと、照れたような表情で告げた。 そんな仗助を、露伴は何も言わずに見つめた。こちらの視線に気付いた仗助は頬を赤く染めながら逸らしてしまう。もう見慣れた態度なので、今更文句は言わない。 温かい紅茶を振る舞い、仗助が持ってきた菓子をふたりで食べながら客間で色々な話をした。ありふれた日常の出来事を。今日はミキタカの名前を聞くことはなかった。 そしていつも仗助が帰宅する時間が迫ってきた。母親が夕飯を作り始めるので、この時間に帰るとちょうど良いのだと前に聞いたことがある。 向かい側のソファに座っている仗助が腕時計を見た時、露伴は立ち上がるとすぐ隣に移動して腰掛けた。かなり近い距離で座ったので、肩や腕が触れ合う。 「……もう帰るのか」 「そろそろ夕飯の時間なんで。また来ますよ」 「今日は、もう少しだけここに居てほしい」 「えっ?」 お前が嫌じゃなければ、と露伴は仗助に甘い声で囁いた。その後で身体を寄せて右肩に強くしがみつく。いつもの香水と、仗助の匂いを感じる。慣れない行為に、 緊張を隠すことで精一杯だった。それでも、もう後戻りはできない。する気はなかった。 仗助は明らかに動揺していた。いつもはさっさと帰れと言っている相手から予想外の行動を起こされて、戸惑っているのかもしれない。驚いた表情でこちらを見ている。 緊張しながらも、絶対に逃がさないという強い決意があった。仗助に対する独占欲、ミキタカに対する薄暗い嫉妬、それらが混ざり合って露伴を支配していた。 ソファに仗助を押し倒すと、腰のすぐ下辺りを跨いで馬乗りになる。 「どうしたんだよ、今日の露伴おかしいぞ」 「僕のどこがおかしいって? これが普通だろ」 「絶対ちが……っ」 頑なに反論する仗助が途中で言葉を失い、小さく呻いた。露伴は仗助の股間の上で何度か腰を動かし、布地越しに刺激を与えたのだ。1度もしたことのない、性行為を 連想させるような動き。今までずっと人付き合いを疎ましく思ってきたため、親しい友達も恋人も作らなかった。この町に来るまでは。 誰かと触れ合い繋がりたいと思ったのは初めてだった。この身体は仗助の温もりしか知らない。重ねた唇も指の動きも、熱っぽい囁きも全て。 拒む言葉とは逆に、仗助の股間は露伴の下で固くなり反応を示してきた。その感覚にこちらの理性が先に飛びそうになる。このまま煽り続けて、勢い任せにでも襲われること を密かに期待していた。ろくに経験もないくせに、狂っていると言われても構わない。 どうせこれまで何度も、周囲から引かれるような異様な行動を取ってきた。これくらい大したことではない。 そして今は『創作のため』ではなく、『仗助を独占したい自分自身のため』という目的に変わっていた。 大きさや形を確かめるように腰をゆっくりと前後させると、仗助は堪えるような表情でぎゅっと目を閉じた。それを見ていると急に気分が昂ぶってしまい、 露伴は渇いていた唇を舌先で舐めて潤す。仗助の胸元に手をついて、力が抜けていく身体を支えた。 「お前は、僕のことが好きなんだろ。こうしたいって思ってたんじゃないのか」 余裕を見せながら言ったつもりが、声は震えていた。興奮なのか緊張なのか、それとも拒まれることへの恐怖かもしれない。もう自分でも分からなかった。 |