2.

「は……!?」
 あまりのことに、ランサーも二の句の継げようがない。怪訝というよりは阿呆面という態で、かろうじて口だけを開いたままである。けれど、アーチャーはランサーのそんな様子を気にとめる風もなく、再び口を開いた。
「君は私の虜囚だと…そう言ったのだ、クー・フーリン」
 自分の外套の裾を掴むランサーの指を離させると、返す手で白い顎を持ち上げる。すかさずその黒い指を叩き払うランサー。
「ふざけんな…!」
 その勢いのまま、ランサーはアーチャーの胸元に手をかけて詰め寄る。
「誰が貴様の虜囚になぞに甘んじるか……! このオレが……っ………!!」
 言葉を最後まで言い終えることができないまま、ランサーは力を失った身体を傾がせる。そんなランサーを正面から抱きとめると、アーチャーはまるで聞き分けのない幼児をあやすかのような仕草で自らの懐に抱き込んだ。
「無理をするものではない。身体の維持や現界といった程度であればともかく、失われてしまっている分の魔力の回復は望めないのだから」
 ランサーの耳元に囁きかけるようにして言ったアーチャーは、腕の中の生き物が動かないのをいいことに再び口を開いて、その真名(な)を舌の上で転がすかのようにして発する。
 クー・フーリン、と。
「クランの猛犬」という意のその言葉は、アイルランド最大の英雄の名。そして、赤い弓騎士の腕の中にいる青の槍騎士の真の名であった。。
「……テメエに気安く呼ばれるほど、安い名じゃねえんだよ」
 アーチャーの胸板を押し返すようにして顔を上げたランサーは、押し返す腕がようやく動くのとは対照的なほどの力強い輝きをその視線に込めて見返した。
「……なるほど。クー・フーリン、君があの魔槍の持ち主として相応しいのはよくわかった」
 ランサーの瞳は、彼が持つ魔槍ゲイ・ボルクと同じ色。
 槍が打ち合うごとに飛び散る火花を結晶にしたらこの瞳になるのだろう―――口に出さずに心の中で呟いたアーチャーだったが、それを咎めるようにランサーの手は無礼な男の喉を潰さんばかりにしてかかっていた。
「……オレの名を呼ぶな、と言ったはずだ」
 その名に自らの誇りをかけ、自らの道をかけた。だからこそ、他人に容易く呼ばれたくはない。ましてや、主を裏切ってそれを外道とも思わないような、こんな男には特に。
 それに、何か不気味だった。
 得体の知れないこの弓騎士が自分の名を口にするとき、生理的嫌悪感だけでない戦慄がランサーの背筋を通り抜けた。臆病、恐怖といった言葉から自分は最も遠くにいるはずなのに。
 だから、思わず手が出た。隙あらば、早々に消してしまった方がいい―――と戦士としての本能が告げていたかのように感じられたから。
 けれど、
「そんなに目くじらを立てることもなかろう。真名を私に知られているということが、弱点を握られていそうで嫌か?」
 またもや、アーチャーは丁寧な動作で自らの首にかかったランサーの指を一つ一つ外していく。
「……ならば、こうすれば文句はあるまい?」
 僅かしかなかった2人の距離をより縮めると、アーチャーはランサーの右のピアスに自らの口唇を軽く触れさせる。
「な……!!」
 明らかな身の危険を感じて、その腕の中から逃れようとしたランサーの耳に、その言葉ははっきりと響いた。



 ……………。



 確固とした意味を持つ言葉。
 けれどそれは……
「……テメエ、気は確かか………?」
 アーチャーの意図が掴めない。半ば自分自身に向けたような問いだったが、答えはあった。
「主を裏切ったというその一点だけでも、君から見れば私は気狂いの仲間なのだろうが……一応、正気のつもりだ」
 という、いつもの皮肉気な口調で。
 2人の距離は元に戻り、アーチャーは見下ろすようにしてランサーを見つめている。
「ありえねえ、というのが正直な感想だな」
「それは、私に名があるということがか? それとも真名を明かすという行為のことか……?」
 面白そうに尋ねるアーチャー。反対に、最初の驚愕なぞ既に忘れたというふうに、心底つまらなそうにランサーは答える。
「強いていうなら、両方、と言ったところか」
 戦上手であろうとも、英雄としての誇りなぞ微塵も感じさせないこの男に「真名」があるというのもランサーにとっては信じられなかったが、何よりも自らの真名を明かすということは、自らの弱点も露わにするということである。
 弱点がない、という英雄などいない。だからこそ、死を迎え、英霊として幾度かの生を受ける―――それはランサーとて例外ではない。故に、それを見破られないように英雄の名の象徴である宝具は最終手段として用いられるのだから。
 けれど、この男ははっきりと口にしたのだ。


 ―――エミヤ


 他でもない、自らの真名を。



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