9.
あの手が始まりだった。
灼熱の業火の中に差し延べられた手。
あの笑みが始まりだった。
安心したように形作られた笑み。
その時決まったのだ。
衛宮士郎は「正義の味方」になるための道を選ぶのだと。
あの時差し延べられた手を、別の者に差し延べられたら。
あの時見せられた笑みを、別の者に見せられたら。
そう思ったとき決まったのだ。
衛宮士郎は英霊エミヤとなるための道を往くのだと。
それが、煉獄への道だとも知らずに。
………いや、もしかしたら知っていて選んだのかもしれない。
今となっては誰も知らぬことではあろうが―――。
ランサーの血の気の失せた端正な顔を見やりながら、アーチャーの思考は自己の中に埋没していた。
―――何故、気づかれたのか―――
気づかせないように、悟られないように……細心の注意を払っていたはずだった。最後の言葉を絞るように吐き出した後に気を失ってしまったランサーをそれこそ叩き起こして問い詰めたい衝動に駆られたアーチャーだったが、そんなことをすればランサーの言葉を肯定することになる。
実際に事実なのだから肯定も何もないのだが、アーチャーにとって「衛宮士郎」であるということを肯定するのは、最も許しがたい行為だった。
生温い理想論だけを振りかざした甘っちょろい過去の自分。
それでもその願いを捨てきれず自分は英霊になった。
理想を貫くために。
そして、自らの思うとおりに生きた己が呼び込んだのはその身を覆い尽くさんばかりの悔恨。
けれど。
自分は英霊であり続けた。
英霊エミヤとなる前の自分、そう衛宮士郎を―――エミヤを―――殺すために。
何もかも歪んでいる。
アーチャー自身、そんな自覚はあった。自分の行為の愚かしさも、無意味さも。けれど、だからといって当初の目的を忘れてしまったら意味がないではないか―――そう自分を叱咤してここまできた。
けれど、叱咤しなければここまでこられなかった。
召喚されたその時、アーチャーは自らの幸運に感謝した。けれど、時が経つにつれ少しずつ気持ちに変化が生じてきた。どんな変化か、と問われても説明することなどできないくらい些少で、微妙で、わかりずらい変化。
一つだけ確実に分かっているのは、その変化が一人の少女によってもたらされたことぐらいであった。
更に、少女が愛しているのは衛宮士郎だと理解できてしまったとき―――遠くない将来に英霊エミヤと成る衛宮士郎を―――アーチャーをイラつかせていた変化は明らかになった。
それは、アーチャーが否定して消したがっていた自分をあっけなく肯定されたのだということ。
ドロ水のように汚い人間だと思っていた自分を処女雪のように綺麗だと言われたようなこと。
ならば「私」は―――?
ただただ自分を嫌悪し、憎悪し、果ては消滅まで願った英霊エミヤはどうなるというのだろう。
衛宮士郎を殺すためだけに生きてきた……英霊としての生を甘受していた自分、エミヤは何のためにいるのだろうか。
半ば堂々巡りにも似た思考に、ある時アーチャーは光明を見出した。
それが、槍の英雄ランサー。
英雄となるためだけに生まれ、英雄の名に恥じない生き方をし、英霊となってなお「光の御子」の名に相応しい航路を歩んできた。
この男なら、自分を見事なまでに否定する。
そんな確信があったからこそ、アーチャーはその欲求の赴くまま行動を起こしたのだ。
自らの真の正体を明らかにさせられるとは塵ほども思わず。
>続く
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