8.
バゼットの呼ぶところの「仮の工房」まで、2人は一言も口を開かなかった。
けれどもその理由はそれぞれ違っていた。
バゼットには、ランサーを現界させてまで話をする理由がなかった。
そして、ランサーはあまりの感情の昂ぶり故に口を開くことができなかったのだ。
「……もう、今日は外出はしない。数日後には聖杯戦争の舞台となる土地に出発するが、それまで現界する必要もない。本番に備えて、身体を休めていろ」
工房にたどり着いての第一声をランサーに向けながら、バゼットは朱に染まった衣類を容赦なくゴミ箱に叩き込んでいる。
「………………………」
対するランサーの返事はない。無言であることを肯定と取ったのだろう、バゼットは何も言わず半裸の姿のままで別の扉の中へ入っていく。
「………………………」
その途端、現世の帳を掻き分けるがごとくランサーの蒼い姿は顕現した。扉の向こうのバゼットの姿に鋭い視線を向けながら。
ここまでやり場のない感情を抱いたことなどランサーにとっては未だかつてなかった。澱のように沈殿して心を侵食していくほどの、ドロドロとした感情。
怒りでもない。
憎しみでもない。
愛でもない。
ただ、どうしようもなく、やりきれない―――言葉にするのが難しい感情。
あの、花屋の女の心臓を躊躇いなく貫いたバゼットの腕の線が、ランサーの視界に焼きついて離れないのだ。別に殺し方が残酷だとか言うつもりは毛頭ない。むしろ、苦しまずに一撃で相手を死に至らしめる技量は並大抵のものではない。けれど、まさか妊婦を腹の子共々葬ろうとは予想だにしていなかった。
自分の技量を知りたいのだろう、と主は下僕を誘った。その点で言えば、文句の付け所など微塵ともなかった。ルーンを扱う魔術師……特に神話の時代に比べて文字の持つ神秘が失われつつあるこの時代でソウェルのルーンを扱い、しかも、発動までの音節は単音ではないにしろ相当に短い。そしてテイワズのルーンから発現させた、あの光の槍。
―――あれは、人の子が手にするべき槍ではない―――
実のところ、槍を手にしたバゼットを見た瞬間、戦慄に近い悪寒がランサーの身体を駆け巡った。不吉な予感と言っても間違いではないくらい、はっきりとした恐怖。彼女がアレを使い続けるならば………その先に待っているものは彼女自身の破滅だ、と断言してもやぶさかではない。
主は自分の「望み」に相応しい実力を備えていた。
けれど、どこか噛み合わない歯車のように感じている自分がいる。
ランサーとしてではなく、クー・フーリンとしての忠誠を求めてきた女。
自分の意に沿わぬサーヴァントを実力で押さえつけようとする女。
自分と同じものを見て、同じように笑える女。
街中でソウェルのルーンを解放する女。
神の槍を具現化しようとする女。
―――そして、自ら祝福を与えた人間に容赦なく刃を振りかざすことのできる女。
そう、ランサーの感じている靄がかった感情。
それは何より、バゼットの真意がまるで見えないという一点だったのだ。
「………霊体化していろと言わなかったか」
扉の開く音と共に、開口一番にサーヴァントの粗相を咎めるバゼットの声は残酷なまでに涼やかだった。しかも、この時の彼女の姿は、ランサーがこれまでに見たどんな姿でもなかった。
大きめのバスタオルを上着のように肩にかけただけの、素肌を晒した姿。
「……………………」
ランサーとて健全な成人男子だ。思わず、バゼットの肌に視線が吸い寄せられる。
無駄のない筋肉と、女の身体に特有の丸みを帯びたライン……なのに、その身体のいたるところに白い筋のようなものが見え隠れしている。もともと肌が白くきめ細かいためにあまり目立つことはないが、明らかに人為的な力で与えられた傷痕である。傷の多さが、当人の勇歴を示すとは決まっていないが、彼女の技量はこの身体が物語っているようにランサーには思えた。
「で、何の用だ。まさか用もなしに、私の命令を聞かなかったわけではないだろうに」
ほんの微かに苛立ちが混じった声で糾すバゼットに、ランサーは気づけなかった。
「………お前、目的は何だ」
がしがしと乱暴な手つきで髪を拭いているバゼットは、ランサーの問いに答える素振りもみせない。気が長いほうではないランサーがもう一度問いただそうとすると、
「目的、とは何を指してのことだ」
と、バゼットは質問に対して質問で返す。思わず、頬に朱を散らしたランサーだったが、一つ呼吸をして再び口を開く。
「お前が聖杯を求める目的だ。願いを叶える万能の大釜……それを手にして、お前は一体何を望む?」
詰問するようなランサーの口調に、バゼットは一度手を止めるとちらりとランサーの方に視線を向ける。
「私は魔術協会から聖杯戦争に参加するよう命令を受けただけだ。別に、私個人の望みが聖杯にあるわけではない」
淡々と事実を述べながら、彼女は髪を拭いていたタオルを放り投げる。湿り気を帯びている金砂の髪は、太陽の光を受けるときとはまた違った艶めきを見せていた。
「なるほど、その魔術協会とやらの犬というわけか、オレの主殿は」
寝巻き代わりのバスローブに手を伸ばしていたバゼットの動きが、その瞬間、ぴくんと静止した。が、何事も無かったかのようにそのまま衣を着けると、ランサーの方へと向き直った。
「で、私を挑発して一体何が聞きたいというのだ、クー・フーリン?」
あくまで彼女の声は冷たい。
夏でも融けない、彼の故郷の山の万年雪のように。
「私の力に不満はないだろう。お前の主に相応の……お前の望みを叶えるに値する力としては充分なはずだ」
バゼットの発言に、ランサーは僅かに眉根を寄せたが反論する気はない。自信過剰にも聞こえるセリフだが、事実、バゼットほど聖杯戦争に適合する魔術師はいないだろう。魔術のみならず、格闘術らしきものにも秀でている。何しろ、素手で人間の身体を破壊するのだから。
ランサーの脳裏に、その情景が浮かび上がる。
すると、まるでランサーの心中を読み上げるかのように、バゼットは口を開いた。
「それとも、女子供に手をかける私が赦せないのか……?」
「……………………」
沈黙を守るランサーに、くす、と口唇の端に笑みを浮かべるバゼット。
「なあ、ランサー……いや、クー・フーリン。お前の『願い』とお前の『在り方』は大きく矛盾しているとは思わないか?」
「え…………」
ランサーから視線を外すと、バゼットは何か遠くのものでも見るように顔を上げた。
「国や王に縛られて、生前は死力を尽くした戦いなどできなかったお前が、その実力に見合った戦いを求めることになんの異論があるだろうか。誰が異論を挟むというのだろうか。そんなもの……」
一度瞑目すると、何か余計なものを振り落とすように再びバゼットは口を開く。
「与えられて当然だ。なのに、どうしてそれを手に入れられないか……考えたことはないのか?」
彼女は一体何が言いたいのか。
そもそも、この場で問いの答えを求めていたのはランサーの方だった。目的のためなら容赦なくその力を振るう女あるじは、いかにも遠大な野望を抱いているように思えたのだ。それがただの命令から由来するものとは考えにくい。もしかしたら、魔術協会からの『命令』を隠れ蓑にして自らの願い……途轍もなくケタ外れに極悪なことを実現させようとしているのかもしれない。そんな主のもとで聖杯戦争に参加する意味などあるというのだろうか。
だから、問い詰めた。
もっとも、ランサー自身としては彼女が否定することを願っていた。自分の実力に見合う主を手に入れたのだ、その主を失ってしまっては英霊としての生を受け入れた意味がなくなる。
「………………………!!」
そこで、ランサーは自らが抱える矛盾に気づいてしまった。
そう。
誰もが称える光の英雄は、誰もが忌避する戦を求める。
そして。
戦いを求めながらも、卑怯な真似を汚い行為を決して赦すことができない。
「英雄の名に縛られ、英霊の枠に嵌められ……そして、それを受け入れるお前が『願い』を成就させることなどできようはずもないものを」
哀れなことだ、そう口にしたバゼットにランサーは思わず掴みかかった。
「テメェ……!!」
召喚直後にも同じような行為があった。けれど、ランサーの心中はその時とはまるで違う。バスローブの袷を掴むと、感情の赴くままバゼットの喉元を締め上げた。
「ぐ……ぅっ………」
英霊であるサーヴァントが本気を出せば、魔術師とはいえ女一人彼岸へ追いやるくらい造作もない。バゼットは気管を塞がれる苦しさに呻き声をあげる、そして、その声はランサーに正気を取り戻させた。
―――今、オレは何をしようとしたのか……!!―――
自らの行動に愕然としながらも、ランサーの手はバゼットを解放する。今の槍の英雄には、床にへたりこんで、けほけほと小さい咳を繰り返す主を助け起こすような余裕などなかった。
>続く
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