9.


「………お前の『望み』は、お前自身の持つ信念や理想や……英雄としての在り方を捨てない限り、叶うことはないだろう」
 床に座り込んだままの女は、それでも顔を上げて口を開く。
 死ぬような目にあったというのに、バゼットは己の言葉を撤回するようなこともしなければ、臆する気配も見せない。
「…………………………」
 そんな彼女の視線を真っ直ぐに受け止めながらも、沈黙しか返すことのできないランサー。
「……理性を失い、欲望の赴くままに槍を振るい……それでも『望み』を叶えたければ、お前はバーサーカーの器にその身を委ねるしかない」


 理性を放棄することで、その力を増す狂戦士。
 伝説に曰く、クー・フーリンは戦闘時には平素の貴公子然とした風貌を全て脱ぎ捨てたという。その姿はアルスターの猛犬と呼ばれるに相応しい、いや、既に化け物と称しても不思議ではないほどのものだった。
「別に問題はないだろう? 狂化したお前は何よりも、誰よりも強かった……覚えがないわけがないだろうに」
「それは…………」
 激情の赴くまま、その身体の中にある力という力を解放した。
 初陣の時も、妻を娶る時も、彼の名を後世に残すことになった『牛争い』でも。
 
 狂化の末、たくさんの死体の山を作った。血の池を作った。
 そんな虐殺という名の勲しこそが彼を「英霊」の位へと導いたのは言うまでもない。


 ―――けれど、理性を失って叶える『望み』に、何の価値があるのだろうか……!!―――


 純粋に『望み』だけを追いかけて、長い長い英霊としての生を甘受してきたクー・フーリンにとって、今更のことだ。
 悔しさのあまり、奥歯がギリ、と鳴った。
 何故悔しいのか、そんなことを考えたくもないくらい、悔しかった。やりきれなかった。


 そんなランサーの葛藤を知ってか知らずか、
「もっとも、この聖杯戦争では、既にバーサーカーの器は満たされているがな」
 と、バゼットは淡々と言葉を吐き出した。

 それは単なる事実を告げたものなのか。
 今生で『望み』を実現させるには難しいと暗に言っているのか。
 ……それとも、何か別の意味があってのことなのか―――。

 そんなことを考える余裕など、今のランサーにあるわけがない。
 ぎゅう、と握り締めた拳は皮膚を突き破って、いつの間にか紅い血を流していた。その眩しいくらいに白い肌に映える紅い雫は、いつの間にかもう一つの手によって拭われていた。
「…………………………」
「え………………………」
 見れば、バゼットの手指がランサーの拳を包んでいる。
 柔らかな手、華奢な指はやはり女の手だと―――どこか頭の遠くで思いながらランサーは彼女を見下ろした。
 あれだけ真実を冷酷に突きつける女のものとは思えないほど、優しくて暖かな手指。
 血を拭う仕草も、どこか別人のようだ……そう思ったところで違和感が全くない。寧ろ、これがこの冷淡な女あるじの本質と考えてもおかしくないくらいだった。
 しかも、
「っっ…………!!」
 何を思ったのか、バゼットはそのままランサーの手を取ると自らの方へと引き寄せ、そのまま口唇を寄せる。
「…………………っ」
 啄ばむようにして触れてくる口唇はどこかこそばゆく、どこか淫猥でもあった。
 そう、まるで子猫が水を舐めるようでもあり……男に奉仕する女のようでもあり……思わず背中を這い上がってきた悪寒にランサーが身を震わせた瞬間、





「……無駄に魔力を捨てるような真似はするな」
「……………………は?」




 膝立ちの姿勢から音もなく立ち上がったバゼットは、氷の槍のような視線でランサーを射抜く。
「今の私はルーンの行使で、マナの流れが不安定だ。できるだけ効率のよい魔力の使い方を心得てはもらえないだろうか」
 今までの一方的な命令の口調ではなく、頼むという素振りを含ませた口調。けれど、言っていることは火を見るより明らかだ。


「………………了解した、マスター」


 それだけ言うと、ランサーは即座にその蒼い光を纏った姿を消した。
 もう、何を言ってもすれ違うだけの主だと―――理解せざるをえなかったのだ。
 だから、彼女の名すら既に口にしようともしない。あれほど彼女の名に拘ったというのに。


 何があっても、今度の生は『望み』を手にしてみせる。
 自分の英雄としての誇りを踏みにじり、槍の英霊としての生を無価値なもののように言ってのけた、この女あるじのようなマスターに二度と喚ばれたくない。


 ―――そんな決意を胸に秘めて。



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