11.


「………………………?」

 暗い部屋に一人……いや、もう一人気配があることは解る。
 身体を起こしたら、視線の先に人がいることだろうぐらいは解る。
 けれど―――どうして? と思った瞬間、彼はこの部屋で何が行われたか……自分の身に何があったかを思い出した。


 何時ものことだ。


 いつも、という言い方は正しくないかもしれない。
 正確に言うならば、魔力の限界がきたあとの「何時もの」こと。
 更に言うならば、屈辱的な方法で魔力を補給される行為そのもののことだ。

 性交という手段で身の内に注がれる魔力は、確かに彼を現世へ繋ぎ止める唯一の方法だった。けれど、その身に合わない二重の異物は、正の方面への作用だけでない。供給後の酷い倦怠感と、内側から侵蝕されていくようなおぞましさという、負の方面への作用をももたらす。けれど、それは槍兵にとって主から与えられた、唯一の方法だった。
 
 そして、その方法で生にしがみ付いて早数日が経過した。
 幾度も苦しんだ。
 けれど、それを受け入れた。

 
 なのに、どうしてだろう。
 この目覚めはどこか爽快ですらあった。
 完全に身体の隅々にまで魔力が行き渡っているというわけでもない。どちらかといえば不十分と言ってもよい―――それこそ消費魔力が少ないとはいえ、宝具を解放することは数度しかできないくらい。
 けれどこれは、浅瀬での目覚めよりも心地よいくらいだと思えた。
 遠い昔、その姿さえ二度程しか拝んだ事のない父親が与えた一つの眠り。もちろん、神が持つ秘薬の力もあっただろう。けれど、無条件で護られる眠りはそれだけで心身ともに疲れきった猛犬を癒した。

 ―――なんで、こんなことを思い出すんだか―――

 相当、心の内が弱っているらしい……と、ランサーはほんの少しだけ自嘲の笑みを口の端に浮かべる。けれど、完全な嘲笑でなかったのは………多分、そんな自分が気に食わないわけではなかったからだ。

 だから、

「おい、そこで何うずくまってんだよ」

 寝台の端に縮こまるようにして腰を下ろしていた少年に声をかけた。






 あんなの―――初めてだった。


 ただ静かに零れ落ちる一筋。
 号泣でもなく、啜り泣きでもない。
 物言わないまま、表情もないまま、彼の瞳から零れる銀色の糸のような涙はそれ故に貴いもののような気がした。
 そして、それで自分が何をしたのかはっきりと分かった。

 常々爺さんは言っていた「女の子を泣かせるな」と。ついでに「手酷い報復があるからね」と言っていたのも覚えているが、別に自分にとって必要な言葉ではなかった。
 正義の味方になりたくてなり得なかった保護者が残した言葉は色々とあったけど……そりゃもう、正義の味方は万人の正義の味方たりえないとか、後々の自分にとって重要な言葉もあったのだが、何よりも一番身近で、一番実践しやすいその言葉は大きな指針みたいなものになった。
 何て分かりやすい行動理念。
 泣かせる、という行為は正義の味方にあるまじき行いだ。
 ………それは異性同性の関わりはない。


 なのに、自分は一体何をした。
 抵抗できない相手を貪るようにして、幾度となく抱いて。身体の欲求に素直に従って……相手を泣かせたのだ。

 抱いてやれ、という囁きがあったことは事実。
 欲望の欠片を植えつけられたのも、間違いない。

 けれど、結局のところそれらを撥ね退けることを出来ずに、自らの劣情の赴くままに相手を犯したことは―――自分自身が弱い所為。
 それだけではない。
 性欲とともに頭を擡げてきたのは、二度も自分を殺そうとした相手を逆に犯してやるという征服欲。


 それは、純粋な自分のための欲。


 正義の味方になりたい、あの切嗣のように―――それだけしかなかった、士郎の心に明確な「欲望」として君臨したのは………彼が唯一つの願いを、望みを尊い誓約として差し出してから、初めてのことだった。
 正直なところ、混乱していた。
 まさか、自分の中にもう一人の「自分」がいて………しかも、表裏一体であるかのように自分を内側から暴こうとしてくる。偽善的なセイギノミカタを食い破るように。
 だからといって、これまでの自分を否定する気など更々ないし、これからも変わる事はない。

 けれど、どうしてだろう。


 ―――全てのものを救うことなど、できやしない―――


 今になって養父の言葉が重く圧し掛かる。
 それは、単に万人の正義の味方という生き物がありえないものだから……そのことを言っていると思っていた。だかしかし、別の意味も込められていたのではないかという思いも過ぎる。

 それは、もしかしたら。



 思いがけない思考に囚われかけた士郎にとって、
「おい、そこで何うずくまってんだよ」
 その声はあまりにも唐突すぎた。
 けれど、それまでの少年の在り方を根源から揺らした男の声は―――ごく日常的な声。
 槍のように鋭いものではなく、抱かれていたときのように艶麗なものでもない。



 あの、公園で出会った時の、穏やかさを包んだものだった。




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