12.


「……………………」
 必死に士郎が返す言葉を探しているのが分かる。けれど、どれだけ知恵を振り絞ろうと、どれだけ言語中枢を刺激しようと出てくる言葉は一つだけのようだ。ぐっ、と口唇の内側を噛むようにしてから―――自分にひたと視線を向けるランサーに向き直り、その紅い瞳を真正面から見つめ、

「ごめん」

 と、それだけを口にした。
 そんな士郎の顔を一瞥すると、ランサーは目を細めた。
 本当はもっと何か言いたいのではないだろうか? この状況だ、言い訳の一つくらい出てきて当然だろうし、巻き込まれた形なのだから言って当然だろうとも思えた。けれど、士郎は決してランサーから視線を逸らさない。むしろ、罵倒の一つでも与えられるのを待っているかのよう。
 そんな少年の様子に、自分の頬のざらついた感触が何かを教える。


 ―――ああ、そうか……コイツは…………。


 ランサーには一つだけ、思い当たるフシがあった。
 魔術師としても、武器を取る者としても半人前以下。けれど、そんな彼が心に抱くものはあまりにも美しく、あまりにも尊貴。
 だからそんな士郎に、掛ける言葉は一つしか思いつかなかった。
 罵倒でも、貶めでもない。慰めでも…ましてや、なかったことにしてやるような言葉などでは絶対に無い。それは、



「お前の誓約(ゲッシュ)は、お前だけのものだろうが」



 言うなれば、叱責。
 けれどそんな畏まったものではなく、年長の少年がほんの少しだけ年少の少年に注意をするようなその程度のもの。偉そうに導くなんてつもりは更々なかったから。
 けれど、それがあるのとないのとでは大きく違う。

 少年の心を、誓約を、そして誓約が導く将来も否定するつもりはランサーにはない。
 けれど、たった一度自らの過ちに掬われてしまったとしたら。人間の本能が持つ肉欲にただの一度だけ身を委ねてしまったことを悔いとして残してしまったとしたら―――その少年の気持ちはどこへ行ってしまうだろうか?

 確かに、その程度のことで躓(つまず)いてしまうことを「弱さ」とあしらった所で何の問題もない。そもそも、この少年はランサーとは何の関わりもないどころか、敵手という立場にある者だ。弱さに足を取られて道を踏み外すというならば勿怪の幸い。
 けれど、放ってはおけなかった。


 誓いを抱くその心根が、あまりにも綺麗だったから。
 そして、その綺麗なモノが『この世全ての悪』という泥に日夜穢されていく自分を―――どこか清めていくように感じられてしまったから。
 勿論、身体と心を侵食していく泥を全て抱えこむ覚悟はあった。不可能ではなかった。元より自分ともう一人……2人分の宿業を背負っていたのだから、屈することなどできようはずもなかった。
 けれど、ふとしたことから触れたそのココロに、強さを分け与えられた気がして………自分がどうしようもなく疲れきっているのがわかってしまった。
 分け与えられたものを、もっともっと、と強く求めるくらいに。

 それが悔しいほど情けなくて―――いつの間にかほほをつたっていたのだ。
 昔、無くしてしまったと思っていた、何かが。


 だから―――そんなもので、少年の尊い誓いを壊したくはなかったのだ。



 



 え? と最初は耳慣れない言葉に士郎は戸惑った。
 謝って済む事ではないというのは自覚している。何しろ、自らの性欲と征服欲に囚われたまま、相手を散々犯し尽くしたのだから。
 なのに、目の前の男はほんの少しだけ困ったように口を開く。それは、魔術を教わり始めた頃に夢中になりすぎて、他の事が頭の中から出て行ってしまったかのような士郎を見つめる切嗣の表情にも少し似ていた。



 ―――何かを思い出す。



 正直なところ、士郎は自分の誓いにも似た願いに失望していた。
 自分ひとりの欲望すら抑えることができないのに、他人を救えることなど―――できるはずもないと。
 なのに、どうだろう。目の前の男は士郎が自ら否定しようとしたそれを、簡単に肯定してみせた。何よりも、自分の実力に見合うまでも無い……無謀とも言える「望み」を否定できるのは眼前の男であるのに。

 どうして否定しようとしないのだろうか?
 それとも自分には否定される資格すらないというのだろうか? 

 そんな風に思ってしまった士郎の内心を見抜くように、男はもう一度言葉をつむいだ。


「………お前の願いとやらは表面に見えるものだけか? 目に見えるものだけが、全てなのか? だとしたら………お前の目はとんだ節穴じゃねえか」
「え………………」


 表面に見えるもの「だけ」………?
 何を指しての言葉なのか、解らない。
 混乱に近い戸惑いを滲ませた士郎の表情に、ふっと軽く息を吐き出すと、ランサーは彼の元へと近づく。ますます情けない表情になる士郎に「しょーがねーな」という感じに苦笑を浮かべると、敷布をぎゅっと掴んでいた手に自分の手を重ねると、

「……………!!」

 少年の手を、自分の頬に触れさせた。
 つたったものの跡が残る、白いほほに。


「………オレの悔恨を、どうしてオマエが気に病む必要がある。それは、オマエの誓約(ゲッシュ)ではないだろう」

 互いの温度を交換し合うように、互いの気持ちを交換し合うように。
 ただ静かに自分の頬に重ねた士郎の手をランサーはその上から軽く握ると、厳しい表情で言葉を続けた。


「自惚れるな、小童―――手前でできることとできないこと………していいことと悪いことぐらいの区別くらいつけやがれ」
「あ…………………」


 その槍兵の言葉で、士郎は自分が一体何をしようとしたのか………見えたような気がした。




>続く
>戻る



>裏・小説部屋へ戻る
>小説部屋へ戻る