16.


 ゆっくりと―――ただゆっくりと、肉の繋がりが解かれた。
 もう、衛宮士郎と槍のサーヴァントを結ぶものは―――何も、ない。


「……………………」
 気だるげに、それでも俊敏な獣を思わせるいつもと変わらない動きで、ランサーは自分の身体を引く。その反動に呆気に取られたように見上げてくる少年を一瞥すると、何も言わずにそのまま寝台から降りた。

 一度目のただの身体の繋がりに比べて、二度目の交わりは何と身体に深く染み入ったことか。
 元より根源が似ていたモノ。
 その心の在り様が似ていた存在。
 たった一つだけあった異なる部分―――「全てのモノを助けたい」「全てのモノに最善の道を」―――そんな我欲を必死に飲み込んだ少年が自らの内に放ったもの。その切なく狂おしい思いが、どうして馴染まないわけがあろうか。


 全く………これだから困る。


 背中に少年の視線を痛いほど感じながら、槍の英雄は苦笑を漏らした。
 ただ真っ直ぐに自分に向けてくる視線に籠もる、その情の深さが……様々な感情の数々が鋭い剣のように突き刺さる。

 まだこの少年は心のどこかで諦めきれないでいるのだ、自分に救いの手を差し延べることを。
 自分を、助けることを。
 懸命に己の中の尊い願いを殺して、殺して、殺して………それでも槍の英雄が自らに助けを求めることを願っている。

 そんな彼を問答無用で抱きしめて、その柔らかい髪をぐしゃぐしゃとかき回すように撫でてやりたい、ランサーはそんな思いに駆られた。
 人の心根の美しさを真正面から見せられて、それに心を動かされないわけがない。
 間違いなく、この少年は英雄だ。
 力こそない、けれど、その内に抱くものは英雄としての心意気だ。
 この少年に唯一足りない………そう、英雄と呼ばれるに値する「力」を身に付けた時、間違いなく彼は自分と同じところに立つのだろう。
 そんな彼を見て見たい―――そこまで思って、ランサーはその口唇を再び歪めた。
 

 もう笑うしかない。
 気に入った者が敵に回るという運命からは逃れられないのだと。

 少年は敵となる「マスター」だ。
 いつか、少年のサーヴァントである剣の英霊と刃を交えれば………それはこの少年とも刃を交えるということになる。
 それは至極当然のこと。
 それが、自身を生かす聖杯戦争のサーヴァントシステムなのだから。


 ランサー………クーフーリンは英霊になったところで変わらない自らの生を皮肉るように、軽く鼻を鳴らしてわざとらしい嘲笑を一瞬だけ浮かべる。
 そして、全てを断ち切るかのように瞑目すると、槍の英雄は自らの内側に語りかけた。



 ならばせめて―――師母の顰みに習うとするか、と。
 ガラでもねえ、と少しばかり呆れた苦笑を浮かべながら。






 自分に背を向けていた男が、再び自分に視線を向けてきた。
 寝台にへたりこむようにして座り込んだままの士郎が顔を上げると、視界には男の顔が飛び込んできた。
 くっきりとした鼻梁、月の光を受けて妖しく煌く紅の瞳。
 けれど先程同様、槍騎士の面に表情らしきものは見えなかった。
 その、炎を思わせる瞳もどこか氷のようで。白い貌は白磁の人形めいていて。
 ごく、と唾を飲み込む士郎。それと同時に、男は自らの右腕を士郎へと差し出した。

「え…………………」

 どのような意図を持って、男は腕を差し出したのか。疑問未満の声が思わず口をついて出た士郎に、
「まだ、オマエはオレを助けたいと言うのか………?」
 そんなランサーの言葉が重なった。
 ほんの少しばかり掠れた、情交の名残を匂わせる声で。
「……………………」
 すぐに反応できない。けれど、士郎の視線はランサーの顔から瞳から離れ、自らに伸ばされた白い腕に移っていた。


 助けたいのであれば、この手を取れ。
 男が言外に伝える言葉に、士郎は軽い目眩に襲われた。


 ああ、助けたい。助けたいとも………!!
 いくら力が伴わないとは言え、目の前で犯されて現世に縛られるアンタを助けたいと思うのは当たり前じゃないか………!
 いくらアンタ自身が助けられることを望んでいなかったとしても、アンタ一人助けられない『正義の味方』なんてあっていいはずがないじゃないか………!!


 そんな衝動のまま、士郎はむしゃぶりつくようにしてランサーの腕に自分の手を絡めた。びく、と一瞬逃げるように震えた白い腕を逃さない、とばかりに身を乗り出して抱きしめる。
「………………………」
「………………………」
 始めだけ逃げる素振りを見せた白い腕は、おとなしく士郎の為すがままにされている。それでも、士郎は身体を震わせながら、ひしと腕を抱く自分の腕に力を込める。

 離さない、と。
 逃がさない、と。
 必ず助けてみせる………と。
 頭の中を真っ白にして、ただ行為で自らの意思を露わにした士郎だったが、



 ―――これだけ、だろ。今の、オマエが………オレにできる、こと、は…………―――



 快感と苦痛を滲ませながら笑みを浮かべる男の顔と声が、脳裏に鮮やかな絵となって浮かび上がってくる。そして、それは瞬く間に士郎の中に巣食う「正義の味方」への呪縛を光の彼方へと消し去っていった。

 そして―――士郎は掻き抱いていたランサーの腕を手放した。

 半ば呆然となりつつも、自らのエゴを手放すことこそが、彼にとっての「救い」であることを自覚してしまった士郎ができることは、それだけだったのだから。

「………………………」
「………………………」

 顔をあげて士郎はランサーを見上げる。すると、
「なんだ、できんじゃねえか」
 と、全開の笑みを浮かべた槍の英雄は、わしわしと乱暴な手つきで士郎の頭を鷲掴みするようにして思い切り撫でた。
「な、何すん、っ…………!!」
「あぁ!? 褒めてんだよ! オマエ、やっぱりいい度胸してるわ、ってな!」
 これじゃ子供扱いじゃないか! と懸命に、撫でる手から逃れようとする士郎だったが、その手は程なく彼から離れていく。その、引かれていく手を見送るように視線を向ければそこには、

「――――――――」

 青い装甲に、そのしなやかな体躯を包んだ男がいた。
 冴え冴えとした月の光に照らされたその身体には英雄の力を纏い、その瞳には槍の穂先を宿して―――士郎に、忘れていた現実を思い出させるように。
「ラ……………」
 ただ男の名を口にしようとした士郎だったが、


「ブシノナサケ、と言うんだったか」
「・・・はい?」
 瞑目した男の口から予想外の言葉が漏れるのに、思わず表情が強張る。が、
「服を着るくらいの時間は待ってやる」
「っ!!」
 ふふん、と鼻であしらうように笑われて、自分がどんな状況にあるかを理解した。
 かっ、と顔に血が上るのを感じながら、ただいそいそと先程自分が脱ぎ散らかした服を身に付ける。くっくっ、と背後で笑いを堪えるような声がしたものの、そんなことを一々指摘していたらまた何を言われるかわからない、とばかりに士郎は自分の着衣に集中した。



 だから―――から、と何かが零れ落ちる音など耳に入ってもいなかった。




>続く
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