6.
その伽藍は群青色の空に溶け合うようにして聳え立っていた。
求めよ、さらば与えられん―――聖句の一節に相応しく、その扉に鍵がかけられることはない。けれど、そうして誰をも受け入れるはずの聖堂はその実誰をも拒絶する雰囲気を纏っている。
衛宮士郎もまた、冬木教会の扉の向こうへの来訪はただの一度きり…しかもごく最近のことである。ついでに言えば、もしかしたら二度と足を向けることはなかったかもしれない。けれど、聖杯戦争の監督役という神父に呼びつけられてしまっては、行かないわけにはいかない。かの神父は伊達や酔狂で動くことなどなさそうだ、という見解は多分間違っていないからこそ余計に。
ぎい、と軋む音を立てて扉が開かれる。
深夜だというのに、煌々とともされた灯りはやはり来訪者のためのものなのだろう。そんな聖堂に居心地の悪さを多少感じながら、士郎は足を踏み入れた。
「………………いないのか?」
あの独特の存在感がない。
ついでに、人気の「ひ」の字すら感じさせない。
時間の指定をしなかったからといって、さすがに深夜に訪ねるのは非常識だったかと暫し反省する士郎だったが、出直す気にもならなかった。
―――ここは、何かがおかしい。
直感に過ぎないが、あながち間違いでもないだろう。
長居は無用、とまるで毛穴の部分から空気が入り込んでそれだけを告げているように感じる。
それでも用件は済ませないと、と士郎は聖堂の奥の住居部分に歩を進めた。
中庭のある回廊を進む。
清貧を旨とする聖職者の住処としては、多少贅沢なような気もしたが、白で統一された生活空間は静謐を湛えていた。
「呼んでみた方がいいのかな……?」
頭の片隅にそんな意見がちらと浮かぶが、この静寂を壊すことは罪であるように思えてしまう。そんな士郎の思考と連動するように、いつの間にか足運びは猫のようになってしまっていた。そのまま奥へと進んでいく。
自分の足音すら聞こえない、存在しない。そんな中微かに、
「……………………え…?」
人の声らしきものを、士郎は聞いた気がした。
途切れ途切れに。
うたうように。
呟くように。
囁くように。
………叫ぶように。
ふらふらと、士郎はまるで神の声に導かれる使徒のようにして声のする方へと歩みを進めていく。危険だ、と直感が警鐘を鳴らす。けれども歩みはとまらない。むしろ、少しずつではあったが、その足取りは次第に速くなっていった。
喘ぎ声のように。
睦言のように。
秘め事のように。
水音のように。
………それらを全て否定しようとする意思の、最後の叫びのように。
たどり着いた扉は、微かに開いていた。おそらくは、ここから声は漏れ出ていたのだろう。隙間から覗く暗闇は外界を拒絶するかのように見えて、巧妙に誘いの手を延ばしている。普段であればドアの隙間から覗くという行為には躊躇いを覚える士郎だが、どうしてもその場から立ち去ることができないでいた。と、
「……ぁ…………ん………っ……!!」
ぐちゅ、とどこか淫らな水音とともに漏れる喘ぎ声に、士郎は身体をびくんと震わせる。そしてほぼ同時に、中からは何かが軋む音と耳障りな金属音とが覆いかぶさるようにして響いてくる。
「…………………」
さすがに晩熟(おくて)というか、あまりそういったことに関わってくることはなかった士郎としても、中で何が行われているかということくらい容易く想像できた。思わずカッと頬に血が上って耳を塞ごうとするが、次の言葉に身動きが取れなくなる。
「………その名に相応しい形で男を受け入れる気分はどうだ、クー・フーリン」
え………!?
初めは自分の耳を疑った。けれども、
「……る、せ………ぇよ…………っ、ん………っ…!」
抗う声は聞き覚えがあるものだった。
そう、彼とは昼間話したばかり。
自らの、内に秘めた誓いを吐き出して。そして……彼はその誓約を肯定も否定もせず、ただ頷いた。
そこにあるのは、強さに裏打ちされた自信。
その強さ…力に、自分は励まされるような気持ちさえ抱いたというのに。
「………………」
士郎は、少しだけ口の中に溜まった唾を飲み込むと暗闇の中に目を凝らす。
最初に視界に入ったのは、黄金色。
それは、闇を照らすほど豪奢な金色の髪だった。そして、その金色に照らされるようにして見える白い輝き。
それは人の肌で、誰のものか……頭がはじき出したその答えを否定したいような気分に駆られたものの、その答えを確かめたいような気もしないでもない。本能の赴くまま、半歩だけ身を乗り出しかけた士郎だったが、
「ふむ、こんなところにいたのか、衛宮士郎」
右肩に手を置かれ、瞬時に身体は硬直する。
それは、ただ単に覗き見をしていたところを見つかった、ということに対する恐怖からではない。もっと根源的な、もっと心の深淵からやってくる本能が訴える恐怖に他ならない。
けれども、
「子供でもあるまいに、もう少し気の利いた方法は思いつかなかったのか」
などと、士郎の背後に立つ男……言峰綺礼は、まるで覗き見をした子供を叱る口調で咎めるだけである。
「……………………」
それが尚のこと恐ろしい。この神父の底知れなさはなんとなく分かってはいたが、今の状況はどうだ。なんとなくどころではない、全くと言っていいほど底が知れない。どうしたらよいのかなどと思考の働く余地もなく、固まったまま一言も言葉を発しない……いや、発せない。
そんな士郎に業を煮やしたというわけでもないだろうが、言峰神父は士郎の右肩ごと自分の方に抱き寄せると、空いた手で扉に手をかけた。
「最初から、こうしておればよかろう」
その言葉とともに、言峰は士郎を室内へといざなう。
いくら以前よりは成長しているとはいえ、この時の士郎に抗う術など無きに等しかった。
>続く
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