海軍局地戦闘機 「紫電」/「紫電改」(紫電21型)
   
                        海軍局地戦闘機「紫電」
 
 戦争も後半になると大馬力、重武装の連合国空軍に押され名機といわれた「零戦」は戦闘機としての活躍の場は失われていました。日本海軍は制空権奪回、本土防空のために後継機の開発を急ぎました。

 水上機メーカーの名門であった川西航空機は自社開発の水上戦闘機「強風」を陸上機仕様に設計変更すれば短期間で陸上戦闘機が開発できると海軍に提案しました。この背景には日本海軍が制海権の喪失によって、既に南方方面での水上戦闘機の活躍の場がなくなっていたことが挙げられます。

 また、開戦初期に必要だったのは空母で運用できる艦上機が中心でありましたが、昭和18年以降防戦一方の日本に必要だったのは陸上基地で運用できる局地戦闘機でした。新型陸上戦闘機の必要に迫られていた海軍は昭和16年に川西に指示を出し、昭和17年暮れには試作1号機が完成しました。川西はこの新型機にこれまでにない新機構を採用しました。その新機構は「自動空戦フラップ」とよばれるものでした。この「自動空戦フラップ」は空戦中に失速しそうになると自動的に揚力が回復するようフラップを作動させるものでした。しかしこの新機構は不具合の調整に時間がかかり、初飛行を迎えたのは昭和17年12月31日のことでした。「紫電」として海軍に制式採用されたのは日本の敗色が濃くなった昭和19年後半のことでした。

 動力には最新型の2000馬力級エンジン「誉」が採用され、最大速度は主力戦闘機「零戦52型」を大きく上回る時速590キロを記録しました。武装も防御力の高いアメリカ軍機に対抗し、20o機関砲を4門搭載し、現場のパイロット達が切望してきた防弾装備も完備されました。着陸装置の不具合や、「誉」エンジンの稼働率に悩まされた反面、自動空戦フラップのおかげで空戦性能は極めて良く、パイロットには好評で迎えられ、本土防空の要として対戦闘機戦に活躍しました。

 しかし、胴体の太いシルエットは時おりアメリカ海軍の「ヘルキャット」と誤認されることもあり同士討ちが発生したという悲しい記録が残っています。



性能諸元(紫電11甲型)

 全長; 8.88m
 全幅;  12.00m
 全高; 4.05m
 正規全備重量; 3900kg
 エンジン; 中島「誉」21型 (離床出力1990HP)
 最大速度; 583km/h 
  武装;  20mm機銃×4 ( 60kg爆弾×2 )


    「紫電改」(「紫電」21型)

 戦争後半に登場した新型機「紫電」ですが、着陸装置の不具合や視界の悪さは軽視できない状況にあり海軍は川西に対してこの点の改善を指示しました。これに対して川西の設計チームは強風から紫電に設計し直した時からハンディキャップとなっていた中翼配置を低翼配置に変更など、胴体の設計変更を行いました。

 設計変更に次いでもう一つの重要な改善が為されました。それは生産性の向上でした。紫電は零戦と比較すると生産性が悪かったのです。これまでの紫電の部品数がおよそ6万点、これに対し、設計変更タイプは4万数千点に抑えられ生産性は向上しました。昭和19年に海軍での審査が進み、昭和20年1月にこの設計変更タイプは「紫電21型」(俗称「紫電改」)として制式採用されました。

 この新型機を配備して本土防空戦に臨んだ部隊がありました。愛媛県松山を本拠地とした343航空隊「剣」部隊でした。詳しい解説は省きますが、零戦を上回る性能とそれを操る激戦を生き残ったベテランパイロット達の活躍は本土空襲任務のアメリカ軍機に衝撃を与えました。しかし、連日の空襲で生産工場は壊滅状態に陥り、400機ほどの生産が進んだところで終戦を迎えました。


 紫電改が配備されだした昭和20年5月、紫電改の前身であった紫電11型がアメリカ側の手に落ち、性能テストが行われました。この時、アメリカ側では熟練メカニックの手による念入りな整備はもちろん、アメリカ製の点火プラグと100オクタンのハイオク燃料を使用し万全の態勢でテスト飛行が行われました。テストの結果は上々で最大速度670km/hを記録しました。この結果を見たアメリカ側が性能向上型の新型である紫電改に興味を持つのは当然でしたが、本土に配備された紫電改は捕獲することができず、性能テストのチャンスは終戦まで待つことになりました。

 終戦後、アメリカ本土で同条件でテスト飛行が行われた際、最大速度689km/hを記録し設計値をもはるかに超える記録を残し、アメリカ軍機を使用した模擬空戦も行われましたが、どの機も紫電改に勝てなかったと伝えられています。数こそ忘れてしまいましたが、現存する紫電改は何機かあり、アメリカの「スミソニアン航空宇宙博物館」、日本では愛媛県御壮町の「南レク紫電改展示館」にあります。

 余談となりますが、この紫電改を運用した343航空隊を取り上げた「太平洋の翼」(1963年東宝)という映画があります。三船敏郎、佐藤允、夏木陽介、あと有名どころに超大物歌手の加山雄三や寅さんシリーズでおなじみの渥美清が出演しています。映画であるだけに少々無茶なところがありますが、40年前の映画とは思えないくらい見ごたえはあります。
 
性能諸元(紫電21甲型、通称「紫電改」)

 全長; 9.34m
 全幅;  11.99m
 全高; 3.96m
 正規全備重量; 4200kg
 エンジン; 中島「誉」21型 (離床出力1990HP)
 最大速度;594km/h 
  武装;  20mm機銃×4 (60kg爆弾×2または250kg爆弾×2



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