ノースアメリカンT-6「テキサン」

     ノースアメリカンT-6「テキサン」

 
 日本が傑作練習機「九三式中間練習機」「九五式練習機」を開発した頃、アメリカ陸軍は新型練習機の開発指示をゼネラル・モータース(現在の通称はおなじみのGM)に出しました。実際に設計開発したのはG・Mの航空機部門であり、後に独立してP-51「ムスタング」B-25「ミッチェル」などの傑作機を送り出すノースアメリカンの前身でした。

 開発指示が1934年前半でしたが、試作機の初飛行は翌年の1935年4月と完成は異例のハイスピードで迎えることができました。この新型機の開発目的は戦闘機パイロットの育成にあり、軍でも採用直後はBasic Combatの頭文字を取ってBCという略称で呼ばれていました。やがて陸軍はこの新型練習機の使い勝手の良さを認め、戦闘機パイロット育成専用機としてでなく、高等練習機としての運用を開始しました。今回の航空機講座のタイトルATはAdvanced Trainer(高等練習機)の頭文字を取った略称でした。陸軍ではATという略称で使用しましたが、海軍ではSNJという略称で使用されました。やがてこの練習機は「テキサン」(テキサス人という意味)という愛称が付けられ、後世まで名練習機の代名詞として語り継がれました。


 テキサンを使用したのはアメリカだけではありませんでした。アメリカに次ぐ運用国にイギリスもその筆頭に挙げられます。新生ドイツ空軍の脅威が現実になっていたイギリスは空軍を大幅に増強する必要に迫られており、特に戦闘機パイロットの確保は緊急課題でした。その使い勝手の良さから第二次大戦勃発前から大規模な量産が行われ、バトルオブブリテンや北アフリカ戦線などで武勲を挙げたイギリス人パイロット育成の原動力となりました。日本の「赤とんぼ」と同じく、練習機としてだけでなく、沿岸哨戒や対地・対潜攻撃、連絡、偵察にも運用される縁の下の力持ちとも言える活躍を見せました。戦後も西側諸国や世界各地で多くのパイロットを育てており、生産数も300種近くのバリエーションを合わせて15000機超という大ベストセラーとしてその名が残されています。

 アメリカの同盟国でもある日本の自衛隊にも導入はされたのですが、その頃には日本独自開発の練習機T-34(航空自衛隊)、KM-2(海上自衛隊)が配備されており、短い期間でテキサンは姿を消しました。。

 

 日本とテキサンの接点は意外な所にありますので、最後にエピソードを2つほどご紹介します。

 テキサンの性能を評価したのはイギリスの同盟国だけではなく、戦前の日本もその真価を見抜いており、研究用として2機が輸入されました。調査の結果、日本海軍はテキサンを参考にした練習機の開発は有益であると考え、渡辺鉄工所という航空機メーカーに開発を指示しています。このメーカーは後に九州飛行機と社名を変え、幻の十八試局地戦闘機「震電」を開発したことで知られています。震電とテキサンに技術的なつながりは全くありませんが、練習機開発で得られたノウハウは震電開発には役立ったはずです。

 もう一つはテキサンがハリウッドの戦争映画などで日本機に化けて出演することが多いということです。特に有名なのは「トラ・トラ・トラ」に出てくる日本の艦載機で、アレは全てテキサンを改造した機体です。マニアが見ればすぐに分かる外見ではありますが、塗装や全体の雰囲気は苦心して再現されており、最大の見せ場である空母「赤城」からの発艦シーンは迫力ある出来となっています。

 時代考証もろくにせず、映画「パールハーバー」で昭和18年に配備された52型を登場させたマイケル・ベイ監督は40年前にここまで考証に苦心したこの努力を見習うべきでしょう。(露骨なまでの反日意識が見え見えでアメリカ人にも呆れられていたそうです)

  



性能諸元  

 全長; 8.99m
 全幅;  12.81m
 全高;  3.58m
 正規全備重量; 1890kg
 エンジン; プラット&ホイットニー R-1340-AN1「ワスプ」空冷星形9気筒 550馬力×1
 最大速度; 330km/h 
  武装;  
なし   



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