第二次大戦中、アメリカ海軍が空母に配備した主力艦上戦闘機(以後、艦戦)でヘルキャットと対をなしたのがこのコルセアです。そもそもF6Fは当時まだ二流メーカーとみなされていたボート社が新型機の開発を行うため、保険の意味で手堅い設計を行うグラマン社にF4F「ワイルドキャット」の開発の後継機の開発を命じていました。軍の予想通り画期的な機構を盛り込んだボート社の開発は難航し、保険案としていたグラマン社の新型機は太平洋戦線の救世主となりました。先にロールアウトしたヘルキャットはコルセアの登場まで海軍機の主力として戦い抜くことになりました。
コルセアの特徴は空力学的に洗練された機体形状と逆ガル翼、そしてエンジンのパワーにモノを言わせたスピードでした。1940年試作機の初飛行ではなんと時速650km軽々と超え、アメリカ海軍は次世代機の到来と狂喜しました。
ところが開発スタッフには過酷な運命が待っていました。機体の重量問題と前方視界の悪さから、空母での運用が難しく、艦戦失格の烙印を押されてしまったのです。量産に移るとき開発スタッフに突きつけられた要件は試作機には必要なかったパイロットの命を守る防弾装備の充実、そして空母での運用を可能にすることでした。運用データを取るため、先行量産されたコルセアは1943年に入って海兵隊で陸上基地運用が決まりました。海軍では艦戦失格の烙印を押されたコルセアは海兵隊で大いに歓迎されました。F4Fと段違いのパワーは、最前線ソロモンの日本機相手には非常に有効だったのです。
遅れて登場したコルセアは全ての面でヘルキャットに勝っていたのかというと、そうでもなかったようです。操縦に不慣れな新人パイロットにしては怖すぎるほどのパワーであった上、一撃離脱に向いた機種だったためヘルキャットほど小回りの利く機体でもなかったのです。
実際、コルセアはヘルキャットに比べて主翼への被弾に弱く華奢なイメージもあり、ソロモンの零戦パイロットたちはコルセアを軽く見ていたという記述があります。(事実、零戦に海面すれすれに追い詰められて、機体の引き起こしができずに墜落したコルセアもあった)
現地海兵隊から続々と届く実戦データと開発スタッフの地道な改良はコルセアの完成度を高め、エセックス級大型空母にカタパルトが標準装備されるようになる1944年夏、遂に念願の艦戦として空母配備が決定しました。大馬力のエンジンが産み出すパワーは爆装も可能で硫黄島・沖縄戦で特攻機の飛び交う最前線に投入され続けました。
第二次大戦中は先に配備されたヘルキャットが主流でしたが、日本との戦いが終結した後はコルセアの時代でした。空対空戦こそジェット機にその立場を取って代わられましたが、朝鮮戦争、果てはインドシナ紛争など1950年代まで生産される息の長いベストセラー機でした。