グラマンF4F 「ワイルドキャット」

  

     グラマンF4F「ワイルドキャット」
 
  
 1936年、アメリカ海軍はグラマン、セバスキー(後にP-47「サンダーボルト」を開発したリパブリックの前身)、ブリュースターに対し新型艦上戦闘機の開発を指示しました。この頃の世界情勢といえば仮想敵国になりつつあった日本は九六式艦上戦闘機、ドイツはBf109、イギリスではスピットファイアと新世代の戦闘機開発に成功しておりアメリカも静観していられる状況ではありませんでした。

 開発スタート時の設計プランは複葉機とありましたが、複葉機では他国の新型機どころか他社のプランにも勝てないと判断され単葉機として選定試験に挑んだ形になりました。グラマン社の設計スタッフは初の単葉機開発ということもあり、これまでに培ったノウハウを駆使し、ついに1937年2月待望の初飛行を迎えました。

 
 海軍の審査を受ける段階ではセバスキーの姿はなく、ブリュースターとの一騎打ちとなりました。性能は実力伯仲、どちらが採用されてもおかしくなかったのですが、実用性という面でブリュースターの試作機に軍配が上がりました。結果としてグラマンは落選でしたが、別の言い方をすれば今後の可能性におおいに期待して採用を先延ばしにされたといったほうが正しいのかも知れません。事実、アメリカ海軍はグラマンのこの試作機に興味を持ち、開発の継続を指示しました。


 海軍からの指示を受けて、設計スタッフは試作機XF4F-2をさらに発展させたXF4F-3の開発に着手しました。主な改良点として次の点が挙げられます。

  〇エンジンをR-1830-76エンジン(1,050hp)に換えて、パワーアップ(零戦よりエンジンの出力は上)
  〇プロペラを2枚形式から3枚形式に交換
  〇基礎設計を見直し、高速飛行と防御力を高めた


 この地道な改良が功を奏して、2年後の1939年2月、試作機XF4F-3は初飛行を迎えました。前身であるXF4F-2よりも性能向上したのを確信したアメリカ海軍は1939年8月、F4F「ワイルドキャット」として制式採用しました。初期生産型であるF4F-3は細かな改修を経て、日本の参戦直前、空母レンジャーとワスプに配備されました。


 F4Fの実力は対日戦勃発直後にすぐに明らかになりました。先に制式採用されたブリュースターの開発した戦闘機F2A「バッファロー」は零戦に対して、スピード、運動性、武装の全ての面で大きく劣っており、一方的な惨敗を喫していたのです。後に開発されたワイルドキャットですら、格闘戦に持ち込まれれば最後、後ろに回りこまれて20ミリ機銃で撃墜されると結果に終わりました。

 アメリカ海軍はこの事態に対し、全軍に対して、零戦相手の1対1の空中戦は禁忌とし、一撃離脱戦法と複数機での戦闘を徹底させました。この命令を遂行できたのはただ1機種、ワイルドキャットだけでした。日本海軍の空母艦載機部隊との戦闘で得られた戦訓から空母に少しでも多くの戦闘機を搭載すべきだという考えが多数派となり、F4F-3に折りたたみ機構を取り入れたF4F-4が改良機として実戦に投入されました。

 初期の苦しい戦いを凌いだアメリカ海軍は1942年10月、グラマンから喜ばしいニュースを手にします。ワイルドキャットの優秀な性能を受け継いだ後継機F6F「ヘルキャット」の開発成功でした。ワイルドキャット同様、武骨そのものな設計でありましたが、戦闘機に必要とされた防御力、使い勝手の良さ、今後の戦況に備えたマイナーチェンジを考慮した設計とワイルドキャットの後継機に恥じない名機と記憶されました。

 後継機ヘルキャットの就役後もワイルドキャットのマイナーチェンジは繰り返され、ゼネラルモータースで生産された機体はレイテ沖海戦で奮戦したり、連合国に供与されたりと息の長い活躍を続けました。


性能諸元   (F4F-3型)  

 全長; 8.8m
 全幅;  11.6m
 全高;  2.8m
 正規全備重量; 3359kg
 エンジン; プラット&ホイットニー R-1830-86「ツインワスプ」空冷星形複列14気筒 1,200馬力×1基
 最大速度; 512km/h 
  武装;  12.7mm機銃×6
       45kg爆弾×2
       

             



                             TOPページへGO! 

            
航空機講座過去ログ1  航空機講座過去ログ2  航空機講座過去ログ3  航空機講座過去ログ4