ジョミーは本当に強い子だ。
長い廊下を後ろについて歩いている子供をちらりと振り返り、ブルーは思わず苦笑した。
一度ブルーの元から逃げ出したジョミーは、この船まで自分を連れ去った男に見つかったことに恐怖を感じ、そして少しだけ安堵していた。
誘拐犯にもう一度捕まると思えば恐怖するのは当たり前だが、広いシャングリラを一人で心細く走り回った後で、それがどんな相手であれ「人の気配」を求めていたのに、手を差し出すとそれを受けることを拒否した。
今も疲れているだろうからと抱き上げようとするとそれを拒む。小さな足を廊下に引きずり、疲れただなんてものではないほど疲弊していることを表しているのに。
本当に、意地の強い子だ。
だがそうでなくては困る。
どんな困難にも打ち勝つような長になってもらうには、人一倍負けん気が強いくらいでちょうどいい。
こっそりと後ろを伺っていると、足を引きずりながら歩いているジョミーの顔が段々と下がって行く。顔を上げることすらつらいのか、もう真下の自分の足だけを見つめて機械的に交互に動かしているだけの状態だ。
ブルーは立ち止まって後ろを返り見た。
「ジョミー」
声を掛けなければ、自分の足だけを見て歩いていたジョミーはブルーの足にぶつかったに違いない。
引きずる足を止め、眉を寄せて顔を上げたジョミーは、腰を屈めて両手を差し出すブルーを見て不愉快そうに顔をしかめた。
「いらない」
「君の足だと部屋に着くまでにあと何時間も掛かりそうだ。僕は早く戻りたい」
「……一人で行けばいいじゃないか」
「君はまだシャングリラに不案内だ。一人でどうやって僕の部屋までたどり着ける?」
「別にお前のところになんて行かなくても」
「ハーレイ……さっき君を見て怒鳴った男がいたのを覚えているかい?」
ジョミーは途端にびくりと肩を震わせた。
あれはジョミーではなくてブルーに対して詰問していたのだが、幼いジョミーにとっては自分を指差しながら大声で怒鳴る大人がいるだけで、十分に怖い体験だったはずだ。
良識のあるハーレイは、幼い子供をいきなり怒鳴りつけたり排除したりする男ではないのだが、この際は泥を被ってもらおうと勝手に決める。
「あのとき、僕が言ったことも覚えているかな」
ジョミーは眉を寄せて考えた。
その思考が流れてくる。
ブルーのマントを掴み、大人の怒鳴り声に震えたところで肩を抱き寄せられた。その温かさにほっとして見上げると、優しい笑顔で安心していいのだというように微笑むブルーが……。
「大丈夫、怖くない。僕が一緒にいるから」
ジョミーは慌ててそのイメージを振り払うように首を振ったけれど、これはブルーも少し気恥ずかしい。
そうか、あのときのジョミーには僕はこう見えていたのかと、わずかに目を逸らしながら口元を抑えた。人の目から見た自分の姿は、鏡で見るより随分と美化されているものだと感心すらしてしまう。
けれど首を振って必死にあのときに感じたことを否定するジョミーには、心が痛む。
『違う、違う。あれは嘘の顔だ。ぼくを油断させようとしただけなんだ』
心が読めてしまうということは、時にとても残酷だ。読めてしまう者、読まれてしまう者、どちらにとっても。
ブルーはわざとブルーの笑顔を否定する思考には触れずに、その前にジョミーが思い出した言葉を拾った。
「思い出したかい?僕が一緒にいるから大丈夫、と言ったんだ。もしジョミーが一人でまたハーレイと会ったら……」
どうなることか……などと呟きながら言葉を濁す。
途端に背筋を伸ばし飛び上がるようにして怯えたジョミーに、密かに笑いを噛み殺す。もう一度、おいでとは言わなかった。
代わりに、黙って手を伸ばすとジョミーを抱え上げる。
「あっ」
「しっかり掴まっておいで」
それだけを言うと軽く地面を蹴る。
次の瞬間には、青の間に到着していた。


急に目の前に現れた扉に、ジョミーは驚いたようにブルーの腕の中で仰け反った。慌てて後ろを振り返り、長く続く廊下を見る。
ブルーが空を飛べることは知っているが、テレポートのことまでは知らなかったジョミーから、どうして、どうやってと疑問の渦巻く思考が流れてくるが、ブルーはそれには答えずに自動で開いた扉を潜った。
「ここが僕の部屋だよ」
後ろを振り返っていたジョミーは、前に向き直って見た部屋に目を瞬く。
最初に流れてきた思考は「広い、暗い!」だった。
ブルーにとって自室は身体を休めて少しでもくつろぐためだけのものだったので、瞑想に適している程度までいつも光度を落としている。
青い光で照らされた部屋は、確かに言われてみれば仄暗い寒々しい部屋と言えなくもない。
太陽のような子供に似合う部屋でないことは確かだ。
ブルーはさも部屋に戻ったから明かりをつけたとでもいうように、いつもは上げない光度を上げて、部屋全体を明るく照らす。
「水だ……」
明るくなった部屋の通路の脇が全て水面になっていることに驚いているジョミーは、ブルーの腕から降りなければという気持ちをすっかり忘れている。ブルーに抱き上げられたまま広い部屋を見回して、ベッドの傍に着く頃にはすっかり呆れ果てていた。
「何もなさすぎる」
ジョミーが呆れるのも無理はない。緩やかな螺旋を描く通路を降ると、そこには中央にベッド、その傍に小さなテーブルと一脚の椅子だけという簡素な部屋なのだから。
通信には思念があるし、一応はブリッジのメインスクリーンをこちらに映せるコンソールも置いてはあるものの、そちらも大抵は思念でカバーしてしまうので使うこともなく見事に収納されている。着替えなどわずかな身の回りの物は次の間にあるので、普段ブルーが過ごすこの部屋には本当に物がない。
「確かに、何もないな。けれどジョミーのものを増やすためにはちょうど良いだろう。君の部屋が用意できるまでは、ここで僕と過ごすのだから」
ぽかんと部屋を見回していたジョミーは、途端に視線も鋭くブルーを睨みつけた。
今すぐにだって帰ってやるんだという意志が、思念だけでなく視線ひとつにまで込められている。
ずっと切なく片想いだった子供に、この視線をことあるごとに向けられるのは、覚悟していたとはいえいささか傷つく。
それは「ミュウだから」ではなく、「ブルー」という個人を拒絶する視線に他ならない。
本当はジョミーの部屋がすぐには用意できないなんて、嘘だ。シャングリラに住まうミュウの数は少なくはないが、この船の居住空間は十分に広い。
ジョミー一人の部屋も命じればすぐにでも用意できるし、まだ幼いジョミーを一人にすることが不安ならば他のミュウの子供たちと一緒の部屋にすることだってできる。
それをしたくないのは、ジョミーのためであり、他のミュウたちのためであり、ブルーの我侭でもある。
ジョミーはまだ思念を遮蔽することができない。受け取る側が閉ざすしかないのだが、力の強いジョミーの感情が大きく振れると、受け取る側が閉ざした思念壁などすぐに突き破ってしまう。
それではジョミーも、ジョミーと共に過ごす方も心身ともにすぐに疲弊してしまうだろう。
その点、ブルーならジョミーの力が強く働いても、それを導いてやれる。
それに何より。
ブルーはジョミーの睨みつける視線などさも気にしていないように微笑みかける。
「ともかく、食事にしようか」
ようやく連れてくることのできたジョミーを、手元に置いてその実感を噛み締めたい。


食事は、既に事情を話してあるハーレイに連絡して運んでもらった。
とても艦長の仕事とは言えないことでも、ブルーからの名指しなのだから否応もない。
ハーレイを指名したのには、事情を知るという以外にも理由がある。
「ソルジャー、食事をお持ちしました」
ブルーの腕から降りたあと、部屋の隅まで駆けてうずくまると、警戒するようにこちらをじっと伺っていたジョミーは、その声に飛び上がって驚く。
あまりにも素直な反応にブルーは笑いを堪えながら、トレイを持って部屋に入ってきたハーレイを労った。
「すまない、ありがとう。テーブルに置いてくれ。ジョミー、おいで」
部屋の隅で小さな塊となっていたジョミーは、ハーレイとブルーを等分に見比べて酷く葛藤している様子だった。
ハーレイは怖いが、ブルーに縋りつくのも嫌だ。
思念を読むまでもなく、忙しく変わる表情を見ているだけでその内心が手にとるようにわかる。
一方、やけに怯えた思念を向けられたハーレイは、疑問に思って眉を寄せながらジョミーを振り返る。
その表情を見た途端、ジョミーの怯えは最高潮に達した。
その場で飛び上がって、わざわざハーレイを避けるように大回りをしてブルーの後ろに回る。それでも、マントを掴まないところはさすがというべきだろうか。
ジョミーの態度に困惑したハーレイからの視線を受けても、ブルーは素知らぬ振りで後ろのジョミーの肩に手を掛けた。
「さあ食事にしよう」
「あの……ソルジャー?」
「ああ、ハーレイ。すまないが後でトレイを取りにきてくれ。それとも、君も共に食事を取っていくかい?」
「え!?」
途端にジョミーが嫌そうに、怯えたように声を上げる。
なぜそんなに忌避されているのか、ハーレイはますます困惑するばかりだ。
「おやおや……それではこういうわけだから残念だが」
「いえ、それは別に構わないのですが……」
暗にジョミーが怯えるから帰れと言われて、そもそもその怯えられる理由がわからないことに困惑しているのだとハーレイが言葉を濁しても、長はにこりと笑うだけで理由を教えてはくれなかった。
もしかするとそんなに子供に怯えられるような顔をしているのだろうかと、僅かに傷つきながらハーレイが部屋を出て行くと、ジョミーは明らかにほっとしたように息をついた。
だがその様子をブルーが微笑みながら見ていることに気がつくと、またすぐに不機嫌そうな顔でふいと横を向く。
「ハーレイが怖いかい?」
「………別に」
意地を張るジョミーが即答しなかったことがその答えだ。
ジョミーのために椅子を引きながら、ブルーは自分の食事はベッドに運ぶ。なにしろ椅子が一脚しかないのでベッドに座って食べるしかない。
「ジョミーが嫌なら、ハーレイはこの部屋には近づけないようにしておこう」
返答はなかったが、ジョミーはぱっと顔を上げて今にも頷きたいという顔をする。
「では、もう少し歳の若いミュウに君の世話を頼もう。この部屋にいればハーレイとは会わない」
ジョミーはあからさまにほっと胸を撫で下ろした。
ハーレイに食事を持ってきてもらったのはこのためだ。
ジョミーがもう少しこの状況に慣れるまでは、付き添いもなくこの部屋からは出て欲しくない。だが脱走を誓っている以上、目を離せば元気のいいこの子が部屋から出て行くのは火を見るより明らかだ。
愛らしい子供に怯えられたハーレイには少々気の毒だが、彼には防波堤となってもらった。
ジョミーの気性では、それも長くは続かないだろうけれど。
「さあ食べようか、ジョミー。空の上だけで生活しているとは思えないほど、ここの食事もなかなか悪くはないと思うよ」
そう勧めるブルー自身は、実のところあまり食にこだわりはないので、美味い不味いを気にしたことはないのだが。
ジョミーはブルーを見上げていた顔を逸らし、トレイに視線を落とすと小さく消え入りそうな声で呟く。
「………マムのごはんの方が、何倍もおいしいに決まってる」
そこから引き離したブルーには、そうだろうねと、声には出さずに心の中で答えることしかできなかった。







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そこはかとなく気の毒なハーレイ。
ブルーの部屋の様子は雑誌「アニメーションノート」の記事と
そこから自己設定をちょこちょこと付け足してみました。