暖かい温もりに包まれた微眠みの中で、優しく髪を撫でられた。 ジョミーは心地良さにまだ夢見心地で目を閉じたまま、その手に頭を摺り寄せる。 くすりと小さな笑い声に続いて、そっと優しい声で眠りを促された。 「まだ朝も早い。眠っておいで」 むにゃむにゃとろくな言葉も返せないままに、再び深い眠りへと落ちた。 「……ん……」 寝返りを打ったジョミーは、うっすらと意識を浮上させた。 いい夢を見た気がするけれど、それがどんな夢かは思い出せない。 とても温かくて、とても気持ちよくて、いつまでも眠っていたいと思うような、そんな心地良さの中で。 朝の目覚めのはずなのに、薄い紗の向こうから透けて見える光は朝の陽ではなく人工の灯りだ。ベッドの寝心地も、枕の硬さも、覚えのないもの。大体、自分のベッドにこんなカーテンのようなものがあっただろうか。 そんな違和感もおかまいなしに、ジョミーは再び寝返りを打って枕に顔を埋めた。このまま眠れば、もう一度良い夢を見ることができるかもしれない。 半ば微眠みながら、ベッドの傍にある人の気配に気がついて目を擦って顔を向ける。 「……マム……?」 『おはようございます、ジョミー。目が覚めましたか?』 ジョミーが驚いてベッドから飛び起きたのは、返って来た声が母親のものではなく聞き覚えのない青年のものだったから……だけではない。 返って来た返答が、空気を振るわせることなく直接にジョミーの頭の中に響いてきたからだ。 耳で聞こえたのではない。頭で、心で受けた。その馴染みのない奇妙な居心地の悪さは、寝ぼけていたジョミーを一気に覚醒させた。 ジョミーがベッドの上に飛び起きると、ベッドを囲っていた薄い紗が開けられる。 そこには茶色い髪の人好きのする優しい笑みの青年が立っていた。 『ソルジャー・ブルーはもうお仕事にいかれました。私はリオ。ソルジャーがご不在の間、あなたのお世話をするように言い遣った者です』 子供に向けるに相応しいと思えるような優しい笑顔に、だがジョミーは泣きたくなってくしゃりと顔を歪める。 リオと名乗る青年が怖かったのではない。 目が覚めて、やっぱりここが家ではなかったことに悲しくなったのだ。 いい夢を見たどころか、このことこそが悪い夢だったらよかったのに。 『ジョミー……』 今にも泣き出しそうな幼子に、リオがそろりと手を伸ばす。 だがその手がジョミーに触れる前に、ジョミーの手がそれを振り払った。 「触るなっ!」 リオが大きく弾かれた手に引きずられたみたいに後ろに下がり、バチリと小さな火花が上がったような痺れが、リオの手を弾いたジョミーにも返ってくる。 触るなと叫んだのも手を弾いたのも心の底からの思いで、確かに力を一杯に込めたとはいえ、そこまで激しい反発が起こるとはジョミー本人も思ってもみなかった。 ジョミーに弾かれた手を押さえて驚きで目を見開くリオと、なにが起こったのか良くわからないままやはり大きな翡翠のような瞳を見開いたジョミーは、しばしお互いをじっと見て無言だった。 先に正気に戻ったのはリオのほうだ。 『ジョミー、私は』 「頭の中に話し掛けるな!口で喋ればいいじゃなか!頭がガンガンするっ」 話し掛けられてようやく、リオに遅れてはっと気を取り直したジョミーは、頭を抱えてリオの存在を否定するように首を振る。 リオは戸惑うように手を押さえたまま眉を下げた。 『すみません……』 「だから……っ」 『私は声が出ないので、思念でしか会話ができないのです』 頭を抱えたままリオを睨みつけたジョミーは、その言葉にぽかんと口を開ける。 声が、出ない? そんなことは考えてもみなかった。ブルーと名乗った少年の不思議な力を見ていたから、きっとリオもそんな力をただ使っているだけなのだとそう考えてしまった。 自分が放った言葉を思い返し、ジョミーはカッと赤面するとブランケットを頭から被ってベッドに潜り込んだ。 『ジョ……』 思念と表現した力で名前を呼ぼうとして、リオは口ごもるかのように黙り込んだ。代わりに、ブランケット越しに蓑虫のように丸まったジョミーの背中を優しく撫でる。 恥ずかしい。 ジョミーはベッドの中で丸まったまま、ぎゅっとシーツを握り締めた。 マムに言われていたのに。 「人を思い遣る気持ちを忘れないでね、ジョミー」 公園で同じ年頃の子供と喧嘩をすると、母親はそうジョミーを諭した。 ジョミーが喧嘩で負けたことはほとんどない。他の子供たちは、ジョミーほど強く意志を貫くことがないからだ。 子供らしく感情が振れてつい喧嘩に発展することがあっても、強い意志に触れると萎縮してしまう。だから正しくは暴力ではなく、ジョミーの意志の前に負ける。 だがアタラクシアでは、自分の意志を強く押し出すことは良いとはされていない。どんな理由に端を発する喧嘩にしろ、自分が間違ってないと思ったときの「自分の意志を決して曲げない」ジョミーは常に問題児とされていた。 喧嘩に勝てばどんな言い分も聞いてはもらえないことが不満だったし、大して強く殴ってもいないのに泣いている相手を見ると、腹が立ったものだ。 けれど時間が経って頭が冷えてくると、痛くても悔しくても泣かない自分が、すぐに泣く相手と喧嘩をしたことに、まるで弱い者いじめをしているような居心地の悪さを覚えた。 リオに覚えた居心地の悪さは、それと似ていて、けれども少し違う。 相手の事情も考えず、できないことをしろと言ったことが恥ずかしい。 できることをするなと言ったことが情けない。 一度発した言葉は取り消せないのだから、知らなかったから仕方がないというのは言い訳にはならない。 リオはジョミーの剣幕に引き下がったわけではなく、ジョミーを気遣って言葉を発しない。 それが背中を撫でる優しい手からわかる。 ジョミーはブランケットに丸まったまま、手だけを出してリオの服を握り締めた。驚いたように背中を撫でる手が止まる。 勇気を出してブランケットから顔も出した。 「……ごめんなさい……」 謝るなら、顔を隠したままでは意味がない。そう思ってのジョミーの行動に、目を瞬いたリオは、それからふわりと優しく微笑んだ。 『いいえ、気にしないでくださいジョミー。いきなりのことに戸惑うのは当然です』 意志が弱いからではなく、優しいから怒らない。 そんなこともあるのだと、リオの笑顔に触れてジョミーはもう一度だけ、ごめんなさいと口にして起き上がった。 ちゃんと謝ったし、リオは許してくれた。 けれど落ち込んだように、ベッドから降ろして床には着かない足をブラブラと空中で揺らすジョミーの頭を、暖かい手が優しく撫でる。 『ジョミー、お腹は空いていませんか?昨日は夕食の途中で椅子に座ったまま眠ってしまったとソルジャーから伺っているのですが』 「お腹……」 寝起きでそんなにすぐ空くわけがないと思ったのに、まるで言葉の代わりにリオの質問に答えるかのように、喉よりずっと下の腹部からグーと音が鳴る。 顔を真っ赤に染めて腹部を押さえたジョミーに、リオは笑顔を零しながらテーブルのほうを示した。 『軽い朝食を用意してあります。寝起きのお腹に優しいようにシリアルなので、今すぐ食事にしても大丈夫だと思いますよ?』 ジョミーは深皿とコップの置かれたテーブルと、自分のお腹と、リオの顔と、それぞれを二巡するまで順番に目を向けて、やがて開き直ってベッドから飛び降りてテーブルに近づいた。 ここは連れ去れてきた場所だ。長居するつもりは毛頭ないし、この場所で提供されたものを食べることに少しの抵抗はあったけれど、空腹には勝てない。 それに、逃げ出すためにも食べるものを食べておかないと力も出ないと割り切った……言い訳を用意して。 逃げ出す……そう考えたとき、ジョミーは勢い込んでリオを振り返った。 「あのさ……………その手、どうしたの?」 振り返ってリオを見ると、痛々しく火傷のように赤く染まった右手が目に入って、言おうとしていた言葉が摩り替わってしまう。 リオはそっと左手で右手を隠して、『いいえ、特になにも』と誤魔化すように微笑む。 だがその微笑みを見て、ジョミーは自分がしたことを思い出した。 心配して伸ばされた手を、思い切り振り払ったのはジョミーだ。 「ぼくのせいなの!?」 『いえ、そんなことは。今朝からずっと』 「嘘だ!だってさっきはそんなに赤くなかったもの!」 『少し赤くなっただけですよ』 右手をジョミーの目から隠すように後ろに回そうとするリオに、ジョミーは飛びつくようにして駆け寄った。 少し離れて見たときよりも、赤々とした掌は見ているだけで痛い。 「冷やさないと!医療キットは?ぼくが薬缶にいたずらして火傷したとき、マムが冷たいスプレーをかけてくれたんだ。それから病院に行って」 『この部屋に冷却スプレーは備わってはいなかったと思いますが……そんなに心配しなくても、ジョミーが朝食を取っている間に医務室へ行ってきます。すぐに戻りますから……』 「病院!よかった、空にもあるんだね!早く行こう!」 驚くリオの左手を引いて駆け出したジョミーは、螺旋の回廊に差し掛かって、突然リオの手を離すと着ていた服を脱ぎだした。 『ジョミー!?』 驚愕の声にも止まらずに、回廊の脇いっぱいに張りつめる水に服を浸すと、それを絞ってリオの右手をくるんで再び左手を取って走り出す。 『ジョミー!そんな薄着では風邪を引いてしまいます!』 「だって冷やさないと!早く病院に行かないと!」 『ジョミー!』 慌てたリオの思念なんて完全に無視をして、ジョミーは螺旋の道を上がると部屋の外へ出た。 優しい人に怪我をさせてしまったということばかりに気が向いて、その優しい人が自分を連れ去ってきたブルーの関係者だなんてこと、今はすっかり頭の隅に追いやられていた。 『ジョミー!部屋へ戻りましょう。まずなにか服を着てから』 「だめだよ!火傷は急いで病院に行かないといけないんだよ!」 『私のこれは火傷というほどの重傷ではありません。だから……』 リオの手を引いて回廊を走り続けたジョミーは、その先に分岐点が見えて指を差した。 「どっち?」 『右で……いえ、ジョミー!部屋に戻りましょう!』 ジョミーの勢いに押されてつい答えそうになったリオが首を振って思い直したとき、その分岐点に人影が差し掛かった。 駆けて来る足音と、騒がしい思念にまっすぐ通り過ぎようとしていた少年が藤色のマントを翻して振り返る。 「ジョミー!その格好はどうしたんだい!?」 上半身に何も着ていない状態で廊下を走っていれば驚かれもするだろう。 だが急いでいたジョミーは、お前には関係ない、と勢いのままに突っぱねようとして、すぐに握って引いている手を思い出した。 「病院はどこ!」 「病院?医務室のことか。……どこか怪我でも!?リオ!」 『いえ、違いますソルジャー……』 「ぼくじゃない!ぼくがリオに怪我させたの!いいから病院はどこ!?」 ジョミーはブルーの前まで到着したとき、廊下の角で姿が見えなかった別の人物がいることに初めて気がついた。 「リオに怪我をさせた?」 低い声が上から降ってきて、ジョミーは小さな悲鳴を上げて今まで引っ張っていたリオの後ろに思わず隠れてしまった。 先ほどリオに尋ねようとして、その怪我を見てすっかり忘れていたこと。 本当にこの部屋には、あの金の髪のおじさんがもう来ないのか。 どうやったらあのおじさんに会わないで、部屋の外へ行けるのか。 それを聞きたかったのに、訊ねる前にハーレイと遭遇してしまったジョミーは、リオに助けを求めるようにその足にしがみついた。 |
ハ、ハーレイ……! いい加減に彼も怯えた状態でないジョミーと 接することができたらいいのですが(^^;) |