昨夜、ジョミーが眠ってしまった後、自分の食事を機械的に片付けたブルーは思念波でハーレイを呼びつけた。
いきなりジョミーとの約束を破っているが仕方がない。いくら疲れ切って眠っているとはいえ、いつジョミーが目を覚ますかも判らず、その状態で部屋を空けるわけにはいかない。
それに今ならジョミーは眠っているからハーレイが部屋に入ったなどとわからないだろうと開き直ってしまうところが、長年生きて培ってきたブルーの大雑把なところだ。
呼ばれてやってきたハーレイはジョミーの反応を気にしていたようだが、ブルーのベッドで眠る小さな子供の姿を確認してほっと胸を撫で下ろした。
小さな愛らしい子供に怯えられるのは存外に堪えたらしい。外見に似合わずミュウらしく繊細な男だ。
「何度もすまない。トレイを食堂に戻しておいてくれ」
「わかりました……この子は食べなかったのですか?」
半分以上も残っている食事にハーレイが眠るジョミーを伺い、ブルーは苦笑して首を振る。
「いや、食事の途中で眠ってしまったんだ。よほど疲れていたのだろう」
納得したようにジョミーを見て頷くハーレイに、ブルーは軽くつま先で床を叩いて視線を戻させた。
「それで、わざわざ君に来てもらったのは他でもない。今日はもう、僕は休むことにする」
「……今日、朝から行方を晦ませておいて、一度もブリッジに顔を出さずにですか?」
「そう。ジョミーを迎えに行ってすっかり疲れてしまった」
確かに生身の身体で船外へ出てアタラクシアに降りるなど、ブルー以外にはできることではない。しかしいくら体力が衰えているとはいえ、行って帰ってするだけでそこまで激しい疲労があるとは思えない。
ハーレイの顔にはありありと嘘をつけと書かれていたが、ブルーはまったく気にした様子もなく涼しい顔で頷いた。
「明日は顔を出す。せめて今日くらいはジョミーについていたい」
ハーレイは溜息をついて肩を竦める。
「……わかりました。しかし明日は必ず出てきていただきます」
「ああ。ゼルやエラたちにもジョミーのことを話さなければならない。必ず行くよ」
長老たちの中で、ジョミーが後継者としてシャングリラに連れてこられたことを知っているのは、まだハーレイしかいない。
会議の場を設けると約束したブルーは、ようやく納得した様子を見せたハーレイに、それでと前置きをしてまったく話を違う方向へと転換した。
「これからしばらく、君にはこの青の間への出入りを禁止することにした」
「は!?」
さっきの話からどう繋がっているのか、何一つ繋がっているものを覚えない突然の通達にハーレイは狼狽してにっこりと笑みを浮かべるソルジャーを見る。
笑顔のブルーはもう一度、同じことを繰り返す。
「君はしばらく、この部屋に入ってはいけない」
「突然なんの話ですか!」
意味を掴みかねるハーレイの引きつった怒声に、ブルーは途端に笑みを消して低く押さえた、しかし声で人を切ることができればさぞ鋭利に切れるだろう鋭い声で叱咤した。
「ジョミーが目を覚ます。大声を上げるな」
「……失礼しました」
「君に怯えるジョミーに、君を出入り禁止にすると約束したんだ。もし目を覚まして君の姿を見られたら、ただでさえ今はジョミーに嫌われているのに、嘘つきだとますます僕が嫌われる」
理不尽だ。
呼びつけて、いきなり訳のわからない通達を押し付けた挙句にそれですか。おまけに薄々わかってはいたが、はっきりと怯えているなんて言われて、少し傷ついた。
そんなハーレイの心情をわかっているはずなのに、ブルーはベッドを振り返って穏やかに眠るジョミーを確認すると胸を撫で下ろす。
「よかった。よく眠っている。さあハーレイ、わかったらすぐに行ってくれ」
釈然としないものを覚えながら、ハーレイが黙々とトレイを手にすると、ブルーは更に驚愕することを付け足した。
「ああ、それからリオの予定を空けるように調整しておいてくれ」
「わかりました」
「明日からしばらくの間を、無期限で」
「どういうことですか!」
思わず叫んで、再び冷たい視線で睨みつけられ慌てて口を閉ざした。
ソルジャーからの用事は何よりも優先されるので、普段の任務を他者に振り替えるということは、ままある話だ。大体は前もって調整されるものだが、場合によっては突然当日にということだって、ないわけではない。
特に今指名されたリオは、元々がソルジャーに就いて動く役目なので調整は取り易い。しかしそれはあくまで一時的な任務に就く場合の話だ。
船の運行、あるいは日常の様々な事柄は、それぞれのセクションに分かれて管理されている。それぞれ責任者がいて、さらにそれを統括しているのが長老たちで、長老たちからの報告を元にブルーがシャングリラの方針を決定して行く。
その際、会議という形を取ることになるが、それぞれのセクションから上げられた問題点や提案を、ミュウのコミュニティ全体を通して見る場合に必要なことに対して、資料を用意するなど雑事に見えて難しい仕事がリオの役目で、長老たちとは違う形でブルーを補佐している。
直接ソルジャーの補佐をするという立場と、おまけにその人柄もあってか、「報告」として纏め上げられ長老に伝わる以外の雑多な話を持ち掛けられることも多く、リオがいなければ小さな声としてブルーや長老たちに認識されないままだっただろう問題というものも、いくつか存在している。
どのセクションにも直接の関わりは持たないが、その役割は大きい。
そのリオを無期限で任務から外すとなると、代わりの者など容易には思いつかない。おまけに、今日の通達で明日からとは無茶な話だ。
「リオを普段の任務から外せば、あなたが一番苦労なさるのですよ」
「リオにはジョミーの世話を任せたい。彼なら細やかなところにまで気が回るし、きっとジョミーもすぐに懐いてくれる」
「子供の世話は保育士たちに任せて置けばよいではありませんか」
何のために子供たちを養育しているセクションがあるのだ。不可解なブルーの考えにハーレイは眉を寄せたが、ブルーは緩やかに首を振る。
「ジョミーは他の子供たちとは違う。他の子供たちは、みな自分がミュウだという自覚を持った上でシャングリラに迎えられた。ミュウ、とはっきり認識していなくても、自分が周囲とは異質だったことは理解して、だ。だがジョミーはまだ未分化の状態だ。自分がミュウだとも、周囲とは異質だとも思ったことはないだろう。その状態で子供たちと接すれば、ジョミーにも子供たちにも大きな負担になりかねない。いずれはともかく、しばらくの間はゆっくりとミュウという存在に触れて理解してもらいたいと思っている」
それにはリオが適任なのだと、そう締めくくられてもハーレイとしては「はいそうですか」とは納得できない。するわけにはいかない。
「子供たちに混じらせることに危惧があることはわかりました。しかしそれなら、保育士たちから一人ずつ、交代で世話をさせたらいかがです。頻繁に相手が変わることが負担とお思いなら、それこそ保育士から専任者を選ぶほうがよいでしょう。リオは確かに気が優しく子供には好かれるでしょうが、彼は子供の世話の専門家ではない」
「それは考えないでもなかったが、女性を専任者に置くことは母親を連想させることになりかねない。ジョミーがより落ち着き易いか、情緒が不安定になるかわからない賭けのようなことはできない。男性の保育士を据えるというのなら、リオがいい」
「なぜです」
「……リオでなければならない理由があるからだ」
「ですから」
その理由はなんだと再度尋ねようとしたハーレイは、緩やかに口角を上げて笑顔を見せたブルーに溜息をついた。
この表情をするときのブルーは、いくら訊ねても心の内を詳らかにはしてくれない。
「それにジョミーは他の子供たちと比べて感情表現が少々激しい。穏やかな子供たちに慣れている保育士たちでは、逆に戸惑う元になるかもしれない。素人のほうが良い場合もある」
そう説明すると、ブルーは僅かに顎を上げてハーレイをひたと見据えた。これ以上は何も聞かないという意思表示と共に、話が終わったことを告げる。
「リオを呼んでくれ」


そう言って、ハーレイの反対を押し切ってリオをジョミーにつけた。
ジョミーは元気がいいとは言われたが、まさかいきなりリオに怪我をさせるなんて思いもしなかった。見たところ大きな怪我というものではないらしいことが、救いと言えば救いだ。
そしてやっぱり自分が怯えられていることに、ハーレイは相変わらず僅かなショックを受ける。
明らかに自分を見て怯えている子供に、ハーレイがどう出たものかと戸惑っている間に、ブルーが前に出てリオの足に縋るジョミーに手を伸ばした。
抱き上げようとした手は、しかしジョミーをますますリオに縋りつかせる結果にしかならなかった。ただそれは、怯えてのことではない。
ジョミーはハーレイには怯えるけれど、ブルーには敵愾心を顕わにした目を向ける。
ブルーはしばらく手を伸ばしたまま無言でいたが、無理にジョミーを引き寄せることはしなかった。代わりに、黙ってマントを翻すと医務室へと足を向ける。
「リオ、怪我とは?」
一緒に行くのか。
恐らくブルー以外の誰もが思ったに違いないが、当の本人はそれが当然だと言わんばかりに進むので、リオも濡れた布の巻かれていない左手で自分の足に縋ったジョミーの背を軽く押して一緒に歩き出した。
ハーレイが続こうとすると、ジョミーはやはり怯えて、リオの服を握り締める。
『軽い火傷程度のものです。サイオンの軽い暴発……というところでしょうか。私がいきなり触れようとしたので驚かせてしまったのです。申し訳ありません、ソルジャー。ジョミーがミュウのことを理解していないことは先にお聞きしていたのに、少し配慮が足りませんでした』
だからジョミーが悪いわけではないし、危惧するような怪我ではないのだとの説明に、ハーレイは安心していいのか不安に思うべきなのか、自分の感情に迷った。
リオを襲ったというような攻撃的な理由ではなかったことは喜ばしいが、サイオンが暴発するとは、意思を持った攻撃よりある意味では危険だ。おまけにジョミーはまだ未分化のはずなのに、すでに火傷を負わせるほどの力を発揮したということになる。
「ではミュウとして目覚めたということか?」
ハーレイが訊ねると、その声を聞いただけでジョミーがびくりと震えた。
縋りつかれてそれを顕著に感じたリオから、困ったような視線を向けられる。
『いえ、一時的な暴発かと思います。申し訳ないのですが艦長、会話は思念波でお願いします。ジョミーには聞こえないように』
この短い間で、ジョミーがハーレイに怯えていると正しく理解したリオからの要請。その上、肩越しに振り返ったソルジャーからのプレッシャーを感じて、ハーレイは胃の辺りがしくしくと痛むような感覚を覚えた。
しばらくは思念波でも会話に参加すまい。黙っていよう。
「それで、ジョミーのその格好は」
『火傷の対策として、濡らした布を私の手に巻こうと……ただ手近によい布がなかったために自分の服を使ってしまって』
「大雑把だな。しかしリオも、せめて代わりの上着を羽織らせてあげればよいものを。風邪を引いたらどうする」
「リオは心配してくれたよ。でもぼくが引っ張ってきたんだ。手がすごく痛そうだった。のんびり着替えなんて出してられないよ」
ブルーの声は咎めるというよりは呆れた要素を多分に含んでいたのだが、ジョミーはリオが怒られたと感じたらしい。リオがブルーに謝罪する前に勢い込んで割り込んだ。
ブルーはまた肩越しに少しだけ振り返ったけれど、ハーレイを睨んだときのような刺はまるでなく、ちらりとジョミーの様子を確認しただけのようだった。
ブルーが沈黙すると、その場で自ら発言しようとするものは誰もいない。
ジョミーはブルーの背中を睨みつけているし、リオはそれに困ったようにどうしようかと考えあぐねている。それぞれの様子を最後尾から見ていたハーレイは、発言自体を禁じられている。
結果、医務室までの移動は奇妙な沈黙に包まれたままとなってしまった。


その奇妙な一行を出迎えたドクターのノルディーはブルーとハーレイとリオという顔ぶれに、見慣れない子供が混じっていることに目を丸める。
「新しい子供をお連れになったんですか、ソルジャー?」
「ああ。詳しい話は後でする。それより」
「リオの怪我を診てあげて!」
ジョミーがリオの手を引いて前に出てきた。
ソルジャーの話に割り込むなんてと驚く看護士たちに気づく余裕もない様子で、ジョミーは濡れた服に包まれたリオの右手を、肘の辺りを掴んでぐいぐいとドクターに突きつける。
「怪我をしたのか。どれ、見せてくれ」
ソルジャーも頷いたので、ドクターはリオの右手に巻きつけられていた布を外して患部を直接見てすぐに頷いた。
「火傷か。薬をつけよう」
看護士に出す薬の指示をすると、ドクターは今にも泣き出しそうな顔をするジョミーに苦笑した。
この中で動揺しているのはジョミーしかいない。
ブルーもハーレイも、ドクターと同時にリオの火傷した掌を初めて見たが、虚弱な体質のミュウとしても、肌が特別に弱い者でなければ慌てるほどではない軽傷であることはすぐにわかった。当のリオ本人も同じで、むしろジョミーがあまりにも気にすることのほうが申し訳ないくらいの様子だ。
『大丈夫ですよ、ジョミー。ドクターは名医ですから、これくらいの傷はすぐに治してくれます』
「本当?すぐに治る?」
ジョミーから縋るような目を向けられて、ドクターも軽く胸を叩いた。
「もちろんだとも。任せなさい」
実のところ、薬を塗るくらいしかすることのない傷なのだが、自信満々に答えたドクターにジョミーはほうっと安堵の息をつく。
「ごめんなさい……」
安心したら改めて申し訳ない気持ちが強くなったらしく、再び謝るジョミーにリオは微笑んで首を振る。
『あなたのせいではありませんよ。そんなに悲しい顔をしないで』
ドクターが薬を塗る間、ずっと傍に張りついて離れないジョミーの頭を、反対側から窮屈そうに伸ばした左手で撫でると、リオは少し離れたところでじっとこちらを見ているブルーを見上げた。
『ジョミーは、とてもいい子ですね』
ブルーは黙って頷くだけだったが、その顔が「そうだろうとも」と言っている。ちょっと嬉しそうだ。
そこでハーレイは初めて、ブルーがリオに軽く嫉妬していたことや、それにリオが気づいていたことを知った。
リオがわざわざブルーにジョミーのことを伺ったことで、少し気が晴れたらしい。
ハーレイの心中に、どっと疲れが押し寄せる。
「……ご自分でリオを指名したのでしょう」
ジョミーがリオに親身になるなら、思惑通りにいっているはずなのに。
それは呟くような声だったのだが、気にしているものほど目ざとく耳ざといのが人という生き物だ。
リオのことばかりだったジョミーがすぐにびくっと震えて、今度はリオに縋ることはなかったのだが怯えたことはブルーとリオにはすぐにわかった。
「ハーレイ」
『艦長』
同時に咎められて、ハーレイは釈然としないものを感じながら瞑目して口を引き結んだ。







BACK お話TOP NEXT



リオの役職が原作でもアニメでもはっきりしないので、
ここぞとばかりに捏造。
やっぱりジョミーが懐く一番手はリオということになりました。